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629 腐ったアイラルン


 心とは裏腹に、体は動き続ける。


 戦うことは好きではない、むしろ嫌いだ。


 できれば日がな一日、アパルトメントの狭い一室でアルコールでも摂取して、気が向いたときにでもシャネルと外に出て、てきとうにお金を使ったり、演劇を見たり、美味しいものを食べたりしたい。


 すべての復讐を終えた俺にはそういう人生を謳歌おうかする権利だってあったはずだ。


 それがどうして?


 北の大地を歩いている?


「朋輩、このお馬さんなんか足みじけえですの!」


「……あっそ」


「シンク、本当に馬に乗らなくてもいいの?」


「いいよいいよ、歩く方がマシ」


 いやね、本当は乗ってたのよ、馬に。


 だってほら、俺ちゃんいちおう指揮官だし。一番偉いわけだし。そりゃあ馬にくらい乗るよね。なんなら駕籠かごに入ってたって良いくらいのご身分なのに。


 でもね、アイラルンが文句言うのよ。


 俺が馬に乗ってたら全力で落としにかかるのだ。


 それこそ殺す気で。


『朋輩だけお馬さんに乗って楽して卑怯ですわ!』


 とのことだ。


 いちおう、シャネルも馬に乗ってるのだけどね。さすがにあちらに楯突く気はないようで。か弱い俺が狙われたのだ。


「シンク、一緒に乗る?」


「2人乗りなんてしたら馬が可哀想だろ。それにさ、自分の足で歩くってのも良いもんさ」


 もちろんこれは強がりだ。


 俺だってできれば馬に乗って楽がしたい。


「ふんふ~ん、朋輩、ここからの眺めは最高ですわよ」


「あっそ」


「あら、雪だわ」


 シャネルがつぶやく。


 たしかに、ちらほらと雪が降ってきた。


 これのせいで全体の動きが鈍くならなければ良いけれど。


 俺たちの予定としては、本日中に五稜郭まで到達。そこから一気呵成に戦闘に入り、できればそのまま占領。無理な場合は周囲で野営をするということになっている。


「五稜郭ってどこらへんだ?」


 と、俺はなんとなく地理に詳しそうなアイラルンに聞いた。


「すぐそこですわ。普通に歩いても1時間くらいでつきますわ」


「え、そうなの?」


 思ったよりも近かった。


 行軍はヘビの胴体のように長くなっている。そのため、先頭集団が見えていない。土方たちや大鳥さんたちはもう五稜郭についているだろうか?


 まだだと思うけど。


 俺たちはだいたい行軍の真ん中の方にいた。澤ちゃんは後の方にいるらしい。まわりの人たちは知らない人ばかりかと思いきや、少し離れた場所にキャプテン・クロウがいた。


 わざわざ陸に降りてきたのだろう。


 俺は見知った顔を見つけた嬉しさで、キャプテン・クロウの方に近づく。


「キャプテンも攻城戦に参加するの?」


 と、声をかけた。


「いえいえ、こちらはただの物見遊山ものみゆさんですよ!」


「良いご身分だなぁ」


「我々は海賊ですからね! 陸では戦いませんよ!」


「たしかに。陸で戦ってたらそれもう山賊みたいだもんね」


「ですな!」


 キャプテン・クロウのまわりにはドレンスからずっと一緒の海賊たが数人いた。大多数は船の中に残っているのだろう。


「あんまり危険なことはしないでくださいよ」と、俺はいちおうキャプテン・クロウに言っておく。


「もちろんです!」


「貴方にもしものことがあれば、俺たちはドレンスに戻れないから」


 そう言うと、キャプテン・クロウは首を傾げた。


「はて、榎本さん。帰るつもりがあったのですか?」


「え?」


 言われて、俺も考える。


 そういや俺……ドレンスに帰れるのか?


 よく考えていなかった。


「国を造るのですよね?」


「ま、まあ……」


「そしたら榎本さんはその新しく造った国の国王でしょうに!」


「いや、まあ……いちおうそうなるのかな?」


 ぜんぜんそんなこと、考えたこともなかった。


 俺はただタケちゃんのやりたかった仕事――あるいは夢の続きを叶えようとしているのだけなのだ。


 キャプテン・クロウは手首の鉤爪かぎづめの付け根の部分をいたわるように触る。寒さのせいで痛むのかもしれない。


「でも、そしたらキャプテン・クロウはどうするんですか? 俺が国を造るとして、貴方はここに残るんですか?」


「さて、どうしましょうか!」


 からからと笑いながらキャプテンは首をかしげる。


 いい歳したオッサンがそういう仕草をするのは、少しばかり不気味なものがある。しかも強面の髭面というのだからなおさらだ。


「それよりも榎本さん!」


「はい?」


「あっちは良いのですか?」


 キャプテン・クロウが後の方を指差す。


 見ればシャネルがいかにもつまらなさそうな顔をしていた。


 そのシャネルに、アイラルンがなにやら楽しそうに話をしている。


 シャネルがちらっとこちらを見た。さっさと戻って来てくれない、と言いたそうな顔だった。


「俺、戻ります」


「尻に敷かれてますな」


「本当ですよ」


 シャネルの元へ戻ると、彼女はなにを思ったのか馬上からとなりの馬上に座るアイラルンのほっぺたをつねっていた。


「痛いですわ、痛いですわ!」


「貴女ね、言って良いことと悪いことの区別もつかないの!」


「ご、ごめんなさいですわ!」


 珍しくシャネルが怒っている。


「ど、どうした?」


 どうせろくでもないことだろうと思いながら、シャネルに聞く。


「なんでもないわ!」


 おおっ、これはかなりお冠だ。


「いや、なんでもないならそんな頬つねるなよ。可哀想だろ」


 というかアイラルンの頬、モチみたいに伸びてるし。


 キモチワルイ。


「そうですわ、わたくしが可哀想ですわ!」


「貴女のどこが可哀想なのよ、ふざけたことばかり言って」


「アイラルン、とりあえず謝ったら?」


 なにが原因でシャネルがこんなに怒っているのか分からないが、とりあえず謝っておくにこしたことはないだろう。


 謝るんなら、とシャネルが頬から指をはなした。


 その瞬間、アイラルンは馬から飛び降りた。


 そして地面に頭をこすりつける。


「すいませんでしたっ!」


 見ているこっちが申し訳なるほどの完璧な土下座だった。


 アイラルンが乗っていた馬は所在しょざいなさげにその場に立ち止まっている。


「ふんっ、分かればよろしい。金輪際、ふざけたことを言わないでね」


「はい。ゆめゆめ忘れませんわ」


 ……うーん。


 ここまでガチでアイラルンが謝っているのを見ると、むしろアイラルンが何を言ったのか気になるなぁ。


「なあ、アイラルン」俺は手をかしてやる。「お前、いったいなに言ったんだ?」


「わたくし、思ったことを言っただけですわ」


「だからなにを言ったんだ?」


 シャネルがこんなに怒るなんてそうとうだぞ。


「わたくし、言ったんですわ。男同士でそういう関係になるのもアリですわね、って」


「はい?」


「その女、私のことをバカにしたのよ!」と、シャネルは激昂する。


「いやいや、ちょっと待ってシャネルさん」


 えーっと、つまりなんだ?


「アイラルン」


「なんですの?」


「お前、そういう趣味あるの?」


「そういうって?」


「つまりその、腐女子的な」


「女の子はみんな腐ってますわ」


 そんなわけねえよ!


 なんでドヤ顔で宣言してんだ、こいつ。


「私があんな男よりも魅力がないって、そう言ったのよ!」


「いや、シャネル。そういう意味じゃないと思うよ」


 というかアイラルン、俺とキャプテン・クロウが話をしているところを見て発酵はっこうしてたわけ? 勘弁してくださいよ。


「まあまあ、朋輩。それよりもほら見てくださいまし」


「露骨に話題を変えたなぁ」


「あれが五稜郭ですわ」


 え?


 ああ、言われてみれば。


 見えてきましたね。


 ギザギザとした城壁が遠くに見えている。


 いまからあそこを攻めるのか。


 というか、もう戦闘が始まっている雰囲気があった。


「土方のやつ……」


 せめてみんなが揃うまで待とうよ。


 まあ、それだけやる気があるなら良いことなんだけどね。


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