626 地理を知ろう!
俺たちは新たな船を手に入れ、そしてまた海に出て北海道へと向かっていた。
ゆっくりと、水平線の彼方から氷が流れてきた。
俺はシャネルとアイラルンの3人で甲板の横から海を眺めていた。
もうすぐ、蝦夷地が見えてくるのだというから、こうして寒さの中でわざわざ外に出ているのだ。
「あれ、あれ見てくださいませ。朋輩、流氷ですわ!」
「本当だなぁ、氷流れてきてるなぁ。あれ、北海道に流氷なんてあったか?」
「そりゃあ、ありますわよ。網走とか紋別の方に」
「へ~、そうなの。ちなみにそれ、北海道のどこらへん」
「地図で書くとここらへんですわ」
アイラルンは服の中から黒い石炭のようなものを取り出して、甲板の床木に北海道の地図を書く。それは北海道というよりもブサイクな猫が尻尾をたてているような形だったが、まあこのさいどうでも良い。
「そんな上の方?」
「こっちが網走、こっちが紋別」
「札幌は?」と、俺は聞く。
「札幌はここらへんですわ」
「え、そんなに下なの!」
「かなり離れてますわね、網走とは直線距離だと250キロくらいでしょうか?」
「すごい距離だな。あんまり想像できてないぞ」
「ですわね、ちなみにわたくしたちが目指す函館はここですわ」
そういって、アイラルンが指差したのは猫の後ろ足の部分だった。
どちらかといえば北海道の尻尾の部位に思えるが、アイラルンの絵の場合はそこが後ろ足である。
「おお、こんな隅っこか」
「こうして見れば青森から近いですわね」
「青森との距離感が分からねえ」
そもそも行ったことないし。
「2人とも、楽しそうね」
シャネルが少しだけ不満そうに言う。
あ、まずい。
これはあれだ、俺とアイラルンが楽しそうに話してたから嫉妬してるんだな。
「あのなシャネル、ここが俺たちがいまから行く場所なんだ」
「ふうん」
「ここに俺たちは国を造るわけだな」
「島国なのね。どれくらいの大きさ?」
「え? えーっと」
俺はアイラルンをちらっと見る。
アイラルンはにっこりと笑って答えた。
「だいたいドレンスの半分くらいの大きさですわ」
「あら、意外と大きいのね」
「俺はいまいち北海道の大きさが分かってないぞ」
そもそもドレンスってどれくらいの大きさなんだ?
分からない。
シャネルはアイラルンが書いた絵から、なにを感じ取ったのか、そのとなりにドレンスの地図を書いてみせた。縮尺があっているのかは分からないが、まあだいたい2倍の大きさだった。
「ここらへんがパリィね」
「なるほど」
「だいたいここらへんが私のいた村」
「ほうほう」
「それでここらへんがテルロンで、こっちがノルマルディ」
「こうして見るとあれだな、俺たちってけっこうドレンスのあちこちに行ったんだな」
「私はテルロンには行ってないわ」
「ああ、そうだった」
だいたい地図を頭にいれたつもりになって、俺たちはまた海の方を見る。
流れてくる氷が、船体にあたって粉々に砕け散る。
氷はどうやら北の方から流れてきているようで、つまりそちらに北海道があるのだろう。
それを見ていると、不思議に思うことがあった。
「なあ、アイラルン」
「なんですの?」
「お前さっき、流氷がどこらへんにあるって言った?」
「網走や、紋別ですわ」
「それってここらへんだよな、それで俺たちが行きたいのは函館だったよな」
「ですわね」
「じゃあなんで流氷がここにあるの?」
「ミステリーですわね」
「まさか海路が間違ってるとか、そんなことねえよな」
「わたくしには分かりませんわ」
不安になってきた。澤ちゃんに聞いてこようかな?
なんて思っていると、ちょうど良いところに澤ちゃんが甲板に出てきた。
「ああ、榎本殿。ここにいましたか」
「いましたよ」と、俺はおどけて答える。
「いま、お時間よろしいですか?」
「もちろん。それと俺の方からも質問が」
「なんでしょうか?」
「俺たちが行くのって函館だったよな?」
「ですね。あそこには最新式の西洋要塞がありますので」
「ちゃんと向かってる? 函館に」
「もちろんです。どうしてですか?」
「いや、なら良いんだけど……ただ流氷が気になって」
「流氷? たしかに……氷が流れてきていますね」
「でしょ?」
おかしい、と澤ちゃんは顎に手をあて考えこむ。
しかし答えは出なかったようだ、首を横に振る。
「分かりません、どうしてでしょうか?」
「寒いからじゃないの?」と、シャネル。
なるほど、寒いからかと俺は納得した。
「なるほどですわね」と、アイラルンも納得した。
しかし澤ちゃんだけは「こんなはずが」と、疑問を浮かべているようだった。
「まあ考えても分からないことは考えないのが良いよ」
「そうでしょうか?」
「で、澤ちゃんはなんで俺のこと探してたの?」
「ああ、そうでした。榎本殿。いちおうあと数刻で蝦夷に降り立つのですが」
「はい」
「上陸ののち、ひとつ演説のようなものをしていただきたのです」
「え? 俺が?」
「はい」
「なんで俺が」
と、言ってから理解する。
そりゃあそうだよな、俺はタケちゃんの変わりなんだから。
俺がリーダーなのだ。
「ダメでしょうか?」
「あ、いや……ダメではないけれど」
ダメではないけど、嫌だ。
「言っておくけど、シンクはそういうの苦手よ」
シャネルが心配するように横から言ってくれる。
「そうなのですか?」
「まあね」
「それは意外ですね。ドレンスでも部隊を率いていたのですよね?」
「まあね、って言っても大事なところは他の人に任せてたけどさ」
「ではやめておきますか?」
ここでやめる、と言うのは簡単だ。
しかしそれではいけない気がした。
「シャネル」と、俺は情けない声をだしてしまう。
「なあに」
「ど、どっちが良いと思う?」
「シンクはどっちが良いと思おうかしら」
質問に質問で返される。
「そりゃあ、どっちが良いかって言うと……」
「もう答えは出てるんじゃないかしら?」
そりゃあね、と頷く。
演説を、する方が良いか。しない方が良いか。
そりゃあする方が良いに決まってるよね。
――ちゃんと出来るのならば。
「自信がないんだ」
と、俺は素直に言う。
「自信がなければなにもやらないの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ分かったわ、シンクが問題だと思うのは自信だけなのね?」
「え?」
「いまから練習しましょう、2人で。ちゃんと文面を考えて、発声の練習もして、身振り手振りも入れましょうか」
「いや、あの」
「そうと決まれば!」
俺はシャネルに引っ張られる。
どうやらシャネルは本気のようだ。
「朋輩、がんばって~」
アイラルンは助けてくれる様子はない。
ああ、俺はどうなっちゃうのでしょうか?
なぜかシャネルは、ノリノリだった。




