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623 市村少年


 雨はいぜんとして降っている。


 が、周りの人間はまったく行軍スピードを緩めない。さきほど村を1つ奇襲で潰したというのにだ。


 さらに驚くべきことに、明かりもろくにない道を全員しっかりとした足取りで歩いてく。


 そりゃあ俺は目が良いから夜だろうが昼間のように周囲が見える。けれど誰しもがそういうわけではないだろう。


 いったいどうして、こんなふうにまっすぐ歩けているのだろうか?


 ただ前の人についていっているだけ? いや、それは違うはずだ。


 人間、暗闇で歩くというのは想像以上に恐ろしいものだ。目を閉じて10歩でもまっすぐ歩ける人間は、そういない。


「なあ」


 と、俺は近くにいた島田に話しかけた。


 さきほどまで先頭集団を歩いていた俺だが、次第についていくのが面倒になり後の方に移動していたのだ。 


 先頭を行くよりも、後からただついていっているだけの方が楽。


「なんだい」


 と、島田は面倒そうに答える。


 ――島田魁しまだかい


 身長はおそらく2メートルを超す巨女だ。


 身長だけではない。プロレスラーかよと言いたくなるほど筋骨たくましい体つきをしている。たぶん真正面から殴り合ったら、俺も吹き飛ばされるだろうな。


「いやね、ちょっと気になってるんだけどさ。みんなどうしてこんな真っ直ぐ歩けてるの?」


「なにがよ」


 ちょっと機嫌が悪そうな島田ちゃん。


「怒るなよ」


「べつに怒ってないわよ。それで、なにがそんなに疑問なのさ」


 俺たちはほぼ最後尾のグループを歩いていた。おそらく島田は意図的にそうしているのだろう。一番後の方で、はぐれる人間がいないか見ているのだ。


「いや、こんな暗いのにさ。島田は見えてるの?」


 数人は松明を持っている。


 けれどその明かりはか細い。


 まさか周り全てを照らすほどではない。


 俺の疑問に、島田はなんだそんなことかいと鼻で笑った。


「当たり前さ」


「すごいね」


「あたりらは京で夜警やけいもたくさんしてたのさ。夜の都での切り合いを繰り返してりゃあ、必然的に夜目が効くようになる」


「えー? 本当かよ?」


 そんなことってあるかな?


 暗闇に慣れるって言っても限度ってもんがあると思うけど。


 いや、むしろ。と俺は考える。


 もしかしたら逆ではないだろうか。


 夜に切り合いをしていたから夜目が効くようになったのではなく、夜目が効く人間が暗闇での切り合いをくぐり抜けることができたのではないだろうか?


 進化論、ってやつだね。


 だとしたら、新選組の隊士たちはそれくらいの数の修羅場をくぐり抜けてきたのか。


「ま、中にはダメなのもいるけどね」


 そう言って、島田は道をはずれようとした人間の腕を掴む。


「わっ!」と、掴まれた男は大声を出す。


「あんた、そっちに行くと危ないよ」


「す、すいません」


 言われているのはまだ若い男の子だ。


 たぶん、中学生くらいだ。


 少年、というべきだろう。


「すいません!」


「叫ぶんじゃないよ、うるさい。さっさと前見て歩く」


 少年はブンブンと必死に首をたてにふって、歩いていく。その足取りは少しだけおぼつかない。しかし勇気のある子なのだろう、怖がらずに歩いていく。


「あはは」


 俺は思わず笑ってしまった。


「なんだい」と、島田は不満げな顔だ。


「あんな若い子もいたんだね」


「ここに来る前に集めたやつさ。若すぎるからダメだって言ったんだがね、どうしてもって言って付いてくるから仕方なくね」


「ふうん、名前は?」


「本人に聞けばいいだろう」


「それもそうか」


 俺は少しだけ足取りを早めて、その少年の隣に行く。「やあ」と、声をかけた。


「はい、榎本殿!」


「元気だな……関心だよ」


「なんの御用でしょうか」


 答えると同時に、少年はこちらを向く。それで足元がお留守になった。転けそうになる。


「おっと、危ないぞ」


 今度は俺が腕をつかんでやった。


「す、すいません」


「前を向きながらで良いから。キミ、なんて名前?」


「市村です!」


「ふうん、市村くん。若いね、いくつかな?」


「15になります」


「あ、そうなんだ。じゃあ俺と3つ? いや、4つ差か」


「榎本殿、そんなに若いんですか! す、すごいですね。でしたら自分くらいの歳にドレンスに渡ったわけでしょうか?」


「あ、いや……まあ、あはは」


 まずったか?


 たぶんタケちゃんがドレンスに行っていた、と知っているのだろう。


 タケちゃんっていったい何歳くらいだったんだ?


「それでいて剣術まで扱えるなんて!」


「いや、まあ」


「土方さんと肩を並べて戦えるなんて、新選組にもそういませんよ!」


「あんまり買いかぶらないでね」


 なんか俺のこと、バレそうだし。


「すごいですね、本当に」


「キミだってすごいよ。15で新選組に入って」


「いえ……自分にはこれくらいしかありませんから」


 あ、これもしかして地雷とか踏んじゃった感じか?


 ダメだな、俺って。


「あんた」と、島田。「うちの若いのをイジメてやるなよ」


「え、イジメてないよ?」


「見てやりな」


 見ろ、と言われて市村くんを見る。


 すると、すぐに察した。


 疲れているのだ、市村くんは。たぶんこの行軍に耐えられていないのだろう。


「ごめん、歩いてくれ」


「はい!」


 ここに来る前に集めた、と言っていたからな。訓練もそこそこなのだろう。


 俺はまた島田と並んで歩く。


「良い子だな」と、俺。


「あんたよりはね」


「それ、どういうこと?」


「あたしからすれば、あんたも子供みたいなもんさ」


「むっ、そうですかそうですか」


 これでもこっちの異世界に来て、いろいろ成長したつもりなんだけどね。


 17歳から18歳、そして19歳へ。


 いちおう成人はしてないけれど、子供だというつもりはないぞ。


「それよりあんた」


「なんだよ」


「刀、雨に濡らすんじゃないよ」


「うん? ああ、気をつけます」


 思わず敬語で言ってしまった。


 なんだか恥ずかしい思いだった。


 まわりの人を見ると、たしかにみんな刀が雨に濡れないように気をつけているようだ。


 対して俺は無造作に腰にるしているだけ。


 道具の扱い方一つでお里が知れるというものだ。


「あんたさあ……」


「なに?」


「榎本ブヨウじゃないね」


「え? なにが? ブヨウくんですが、僕」


 あれ、タケちゃん自分のこと『僕』って言ってたか?


「まあ、なんでもいいけどね」


 これはバレてる、と見ても良いな。


「土方さんに聞いたのか?」


「副長はあたしらに何も言わないよ。自分の中で全部考えるお人さ」


「じゃあなんで?」


「あたしが自分で思っただけ。あんたとは一回刀を交えたんだ、忘れるわけないだろ」


「そういやそうだった。あのさ、これいちおうオフレコということで」


「オフレコ?」


 あ、通じないか。


「人に言わないでくださいってこと」


「……事情があるのかい?」


「ある」


「副長は知ってるのかい?」


「まあね」


「ならあたしから言うことは何もないよ」


 え、それで良いのか?


 でも島田はたぶん良いと言ったら良いのだろう。そういう性格に思える。


「恩に着る」


 それからしばらく歩くと、前が止まった。


 大きな木の元で、どうやら休憩しているようだ。


「雨宿りだな」と、俺は笑う。


「あんたバカかい?」


「ひでえこと言いやがる」


「こいつはケンカの前の準備さ」


 なるほどな、と俺は思った。


 どうやらここで一回休憩してから敵の船を攻めるらしい。


「お前たち、指先を温めておけ!」


 土方が隊士たちに言って回る。


「指先か……」


 たしかに夜の雨に打たれて体はすっかり冷えている。とくに指先なんて酷い。このまま刀を振ることはできないだろう。


「島田、落伍らくご者は出たか?」


「いえ、大丈夫です」


「市村は?」


「あそこで休んでいます」


 おや、と俺は思った。


 そして思わず、ニヤリとしてしまう。


「なんだ!」


 目ざとく土方は俺を睨んだ。


「いやね、意外と隊士思いなんだなと思って。市村くんのこと心配してるなんて」


「うるさい」


 土方はそれで、俺たちから離れていく。市村くんのところに行くかと思ったが、そういうこともなかった。


 俺は指先を揉む。手が少しずつ暖かさを取り戻していくのだった。


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