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620 雨の停泊


 俺たちはしばらくの間、地形を頭に叩き込むためにずっと海岸線を見ていた。


「ああ、そうだ。榎本」


 おや、『殿』の敬称が消えたな。


 それだけ2人の距離が縮まったということか?


「なんでしょう?」


「大鳥圭介のこと、あまり信用するなよ」


「え?」


「あいつは信用できないと言っているんだ」


「それは土方さんが大鳥さんのことを嫌いだからじゃなくて?」


「違う。あいつは本当に信用ならないんだ。ここぞというところで頼りにならない。ああいう人間を信用することはできない」


「一応、覚えておくよ」


「そうしてくれ」


 俺たちはお互いすっかり体を冷やしてしまっていた。


 港に近づくにつれて甲板に人が増えてくる。


「副長、ここにいましたか!」


 その中の1人に、いつぞやの大女の姿があった。


 タケちゃんと仙台にいるときに、茶屋で絡んできた大女だ。


 たしか名前は――島田魁しまだかい


「はっ! あんたは」


「こんにちは、島田さん。先日はどうも」


「ど、どうも……」


 おや? もしかして嫌味っぽい言い方だっただろうか。反省しなければ。


「どうした、島田」


「いえ、そろそろ部屋に戻っていただかないと。隊士たちも気にしております」


「ああ、分かった。榎本殿、それでは」


「はい」


 土方は島田と一緒に去っていく。「話をしていたのですか?」と、島田が心配しているような声をだす。「まあな、あいつはなかなか話せる」


 さて、俺も部屋に戻るか。


 ということで1人で部屋に戻るとなぜか澤ちゃんが俺の部屋にいた。


「あれ。、澤さん……じゃなかった。澤ちゃん」


「澤ちゃんって言わないでください」と、お決まりの言葉を澤ちゃんは言う。


「どうしたんですか?」


「そろそろ気仙沼です」


「知ってますよ」


「シンク、ビショビショよ。どこにいたの?」


 シャネルが心配している。


「ちょっと甲板にね」


「え、そこの酔っぱらいのこと介抱してからずっと?」


「うん」


 酔っぱらい、ことアイラルンはベッドの上に寝転がっていた。「体調はけっこうけっこうですわ」と、意味の分からないことを言っている。


「着替えなくちゃ、こっちに来て」


「いや、1人でできるから」


「私は部屋を出ていましょうか」


「ちょっと、なんか俺が変なやつみたいじゃん」


 本当に着替えくらい1人でできるからね。


「はい、タオル。さっさと拭いて」


「分かってるって」


 これじゃあ俺が着替えもできない甘えん坊みたいだ。


 澤ちゃんが部屋を出る。本当に着替えが終わるまで待っていてくれるらしい。


「それで、甲板でなにしてたの?」


 シャネルは新しい着替えを用意しながら俺に聞いてくる。


「土方さんと話してた」


「へえ、そうなの。浮気かしら?」


「違うって! ただ戦闘に向けての心構えとかね、そういうことを話してたわけ」


「あら、色気のないお話してたのね」


「あの人の持ってる薬、すごい良いですわ! わたくし、あれ常備薬にすると良いと思います」


「……バカは黙ってて」


「酷いですわ!」


 いや、まあたしかに日に日にアイラルンのIQが下がってるような気もするけどね。


 それにしてもシャネルさん、辛辣すぎやしませんか?


「それで、どうなの?」


「なにが?」


「あの人、私たちのこと気づいてるの?」


「ああ、それなんだけどさ。最初からバレバレだったみたい。どうもタケちゃんは土方さんのこと『トシさん』って呼んでたらしくてね」


「なんだ、私たち泳がされてたわけなの」


「そうみたい」


「性格悪いわね、あの女。最初から分かってたことだけど」


「あんまり言ってやるなよ」


 よく考えてみればあっちだって驚きだろう。榎本武揚という人間がいきなりただ似ているだけの他人に変わっていたら。


「はい、服脱いで」


「自分でできるからな、こっち見ないで」


 普通に恥ずかしい。


 いそいそと着替えを終わらせる。シャネルが買ってくれた服はなんだかいかにもな格好いいコートやらジャケットばかりだ。


 そういえば、土方はあれだな。新選組っぽい服を着てなかったな。


 ほら、あの新選組っぽい服あるでしょ? 袖とかの部分がギザギザしてる。


「はいはい、似合うわよシンク」


「バカにしてるのかよ」


「着替え、終わりましたか?」


 澤ちゃんがまた入ってくる。


「ええ。それでどうしました?」


「すでに気仙沼近くですが、いまのところ海岸沿いからの迎撃はありません」


「それは良かった」


「港に入った場合はどうなるか分かりませんが」


「大丈夫でしょう」と、俺は適当に言った。


 そしてそのまま待ってどうやら開陽丸は気仙沼に入港したようだった。


 どうやら敵から攻撃、ないし妨害はなかったようだ。


 それとも、ここまで大きな船相手では誰も戦意すら沸かないのだろうか。


「入りましたよ」と、澤ちゃん。


「降りるのか?」


「いちおうはそのつもりです。船長たる私から周囲に説明はしておきます」


「戦闘になるかもしれないんだろう、俺もついていこう。シャネルはどうする?」


「行くわ」


「わたくしはパスですわ」


 ま、アイラルンの場合は一緒にいても役にたたないからな。


 そういうわけで、俺たちは雨の中外に出るのだった。


 どうやら新選組の隊士たちも一緒のようで。


「あいつらも来るのか?」と、俺は澤ちゃんに聞いた。


「抑止力ですよ」


「抑止力?」


「ああいう押し出しの効く集団がいれば、それだけで脅しになりますからね」


「……なんかそれ、悪い考え方な気がするぞ」


 ですね、と澤ちゃんは悪びれもせずに頷いた。


 新選組の隊士たちは闇夜に溶け込むような黒い服を着ている。嵐の中で不気味にうごめく集団だった。


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