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615 土方のかまかけ


 女は土方と名乗った。


 ……土方。


 聞いたことがある。当然だ。しかしシャネルは誰だか分からないようで、


「知らないわよ、貴女のことなんて」


 と、まだ喧嘩腰だ。


「私のことを知らないか。まあ、それも良いだろう」


 女は薄く笑いながら、部屋の中を歩き回る。


 ただ歩いているだけとは到底思えない。むしろ俺たちとの間合いをはかっているようだ。


 長い刀……あの刀ならば敵との間合いをとりあう際に有利な位置につくことも容易だろう。その分、振りにくいだろうが。


 そういえば、この前に新選組の隊士たちとやりあったときも、全員が長めの刀を持っていたように思う。もしかして隊の中での流行なのだろうか。


「彼女は新選組の副長、土方歳三さんだよ」


 名前、合ってたよな?


 ちょっとうろ覚えの部分があって、俺は恐る恐る言ってみる。


 しかし土方がなにも反応しないあたり、どうやらその通りらしい。


「新選組? ああ、この前、外で襲ってきたやつらね。なに、この船に乗っていたの?」


 それは俺も思った。


 しょうじき、一緒に蝦夷に行く人たちのことを俺は詳しく知らない。総勢で2000人規模ということは聞いていたが、その人物たちまでは。


「失礼な女だな」


「あら、どちらが」


「妙な女でもある」


「人様たちの部屋にいきなり入ってきて、言いたいことだけ言うつもり? なんの用? 用がないなら帰りなさい」


「用ならあるさ。榎本殿、少しばかり相談が」


「なんでしょう?」


 困ったな、相談だって?


 そんなのまともに答えられるわけないじゃないか。こちとら知識なんてまったくないぞ。もし専門的なことなんて聞かれたらどうしようもない。


 俺はシャネルに「澤ちゃんを呼んできてくれ」とこっそり言う。その後で少し大きな声で「シャネル、出ていってくれないか?」と言った。


 まるで土方の話を他人に聞かれたくないから人払いをしたように。


「分かったわ」


 シャネルは部屋を出ていく。しかし部屋のすみには服が散乱したまま。土方はその服を見つめて忌々しそうに舌打ちした。


「なんだ、あの女」


「シャネル・カブリオレですよ」


 タケちゃんは土方に対してどういうふうな口調で離していたのだろうか。とりあえず敬語な気がするが。そもそもこの土方という女、まとう雰囲気がおっかないのでタメ口で話なんてできそうもない。


「それは聞いた。なんだ、冗談のつもりか?」


「面白いでしょう?」


 はて、タケちゃんはこんなこと言うだろうか?


「榎本殿……雰囲気が変わりましたな」


 女が俺を睨む。


 その瞬間、俺は察した。


 ――気づかれているな。


 さすがは土方歳三というべきか。


 というか女なのね、土方さん。まあこの異世界じゃなにがあっても不思議には思わないけど。


「そうでしょうか? べつに変わったつもりはないですけどね。とはいえ人は変わるものです」


「それにしたって激変だ。みんな言っているぞ」


「なんて?」


「部屋から出もしないで、おかしいってな。緊張してるのか? 蝦夷に行くことに」


「どうだか」


 ああ、そうか。タケちゃんは他の人たちと仲良しだったのだ。俺のようにコミュ障じゃないから、他の人たちと楽しく会話なんかをしてたわけだ。


 それをしなくなった、と。


 しょうがないだろ。知らない人と上手く喋ったりできないし。


「それに、そんな目をする男じゃなかったな、榎本殿は」


「そんな目とは?」


「人殺しの目さ」


 こいつはカマをかけているのだろう。俺のことを疑っている、ほとんど確信に近いぐらいに。だが明確な証拠がないので、こうして自ら出向いて確認にきたわけだ。


「失礼なことを言いますね」


「ああ、これは失敬。ただ男らしくなったと褒めているのですよ。まるで別人だ」


 言葉で斬り込んできた。


 さてどう答えるか。


「少し心境の変化がありましてね」


「ほう、どのような?」


「いえいえ、土方さんにわざわざ言うほどのことでもありませんよ」


「そうかい、つれないね。一緒に戦う仲間だろうに」


 仲間?


 なにを言っているんだこいつは。


 いまにも刀を抜きそうなくらいの雰囲気をかもし出してるくせに。こいつは暴れたくて、戦いたくて、そして死にたくてしかたないのだ。


 死にたがり。


 もっともタケちゃんの国造りに賛同した人間たちは多かれ少なかればその傾向があるのだが。


 俺も含めて。


「それで土方さん要件とはそのことですか? 俺の雰囲気がおかしいから、心配して来てくれたんですね。ありがとう」


 それがおそらく表向きの理由。


 しかしその裏は、俺が本物の榎本武揚かの確認。


 どうやら土方はこの短時間で俺が身代わりであると気づいたようだ。


 とはいえ、こっちも尻尾を出したわけではない。相手からすれば決定的な証拠がなくもどかしいところだろう。


 こういうとき、相手はどうするか?


 さらに間合いを詰めてくる。


「そういえば榎本殿。どうも先日、町でうちの隊士と揉めたらしいですね」


「ああ、そういえばそういうこともありましたね。いいえ、気にしていませんよ」


「いや、こちらが気にするんだ。どうも言うことを聞かないきかん坊ばかりで困る。それで榎本殿

どうやらそのときにとても強い護衛がいたとか」


 そこまで知っているか。


 つまりかなりの詰めに近い位置まで俺とタケちゃんの入れ替わりに気づいているのだろう。


「ああ、はい。彼が先程言った、ドレンスからの軍事顧問の男ですよ」


「しかしその男は?」


「死にました、先程も言ったとおり」


「それは悲しいですね。葬儀は?」


「していません。ドレンス式の葬儀が分からなかったもので」


「そうかそうか。私もね、近藤さんの葬儀はあげられていないんだ」


「だから?」


「あげる前に死ぬかもしれないけど、あげたいね」


 悪いやつじゃなさそうだ、と思った。俺はタケちゃんのことを思い出して少しだけ泣きそうなくらいの気持ちなった。


 が、しかし。


 土方はそんな俺の反応を見ているようだった。


「死んだ男のこと、好きだったんだな」


「変なこと言わないでもらいたい」


「どういう関係だったのか。そういえば似ていたとも聞くが、榎本殿に」


「なにが言いたんでしょうか?」


「いいえ。べつに、ただ榎本殿。変わりましたよね、もしやその友人が死んだのが原因でしょうか?」


 友人、か。


「人はいつか必ず死にます」


 俺は話を打ち切りたくて、つっけんどんに返した。


「その通りだな」


 誰かが駆けてくる足音がする。


 そう思った次の瞬間には、澤ちゃんが部屋の扉を慌てて開けていた。


「土方殿、これはこれは!」


 息せき切っている。


「ああ、澤さん」


「本日はどのようなご用件で?」


 あきらかに慌てているようだ、澤ちゃんは。


「いえ、ただ総大将の榎本殿のお加減が悪いのかと心配で」


「そんなことはありませんので、大丈夫ですから!」


 土方はその澤ちゃんの様子を見て、ある意味では確信を得たようだ。そういう顔をしていた。


「そうかい。じゃあ退散させてもらおうか、榎本殿もそれでは。さっきの女性によろしく」


 そう言って土方は出ていった。あとには俺と澤ちゃんが残されるのだった。


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