608 夢を語る
城の中、長い廊下を歩いていく。
俺たちの前には案内の家臣がいたが、その男は明らかに面倒くさそうで。厄介事を頼まれたというような感じもあり。さらに言えばさっさと帰ってくれないかなという雰囲気が体中からにじみ出ていた。
言われなくてもお殿様と少し話をしたらすぐに帰るつもりだ。
なにせ今日はこの後に北海道に向けての出港があるのだ。おいおい、どんなスケジュール管理だよと思うのだが。
「こちらです。どうぞ」
まるで顎で指すような態度で言われる。
「はいはい」
ちょっとムッとしたけど、もしも俺がタケちゃんだったら怒るようなことはしないだろうなと勝手に思った。
なので素直に中に入る。
部屋はこの前に藩主に会ったときと同じ場所。あれからけっこう時間が経った気もするが、それはタケちゃんが死んだからで。本当はつい数日前のことなのだ。
仙台藩の藩主は普通の挨拶をしてくる。
俺も普通――ちゃんとできているか不安だが――の挨拶を返す。
それから、雑談。ではなく出港するという意思を示すのだが。
「その……そちらの、その……」
モゴモゴと喋る藩主。
はて、名前はなんだったか。
「そちらの方は? 本日はどのような要件か?」
藩主がシャネルにたずねた。
ここは俺が返答する場面ではないだろう。
だが、
「………………」
シャネルは何も答えない。
おいおい、と視線を向ける。
答えたくないとばかりに片目を閉じてみせた。
やれやれ。あんまりよくないぞ、そういうの。
「えーっと、彼女は付き添いであります」
俺が答える。
だが、藩主はそれが気に入らなかったようだ。
「お主には聞いておらん、榎本殿」
はいはい、そうですかと俺は唇を尖らせる。それならそれでいいのだけどね。はいはい。
しかしシャネルは喋らない。
そんなシャネルに藩主の男はもう1度質問をした。
「この前のあの男女はどうしたのだ?」
男女、とはつまり俺とアイラルンのことだろう。どうやら藩主は俺のことを榎本武揚だと信じて疑っていないらしい。
そんな変装らしい変装をしたわけではないのだが、それだけ俺たちが似ていたということだろうな。
「さあ、知りませんね」
と、シャネルは答えた。
「そうかそうか、知らぬか」
あきらかにそっけない返事だというのに藩主はまるで優しい言葉でもかけられたかのようにデレデレとした表情を浮かべる。
頭が悪いのか、それともそれだけシャネルにお熱なのか。
まあたしかにシャネルは美人だ。それは一番近くにいた俺が一番よく知っている。
「………………」
またシャネルは喋らなくなった。
さて、それでは本題に入ろうかと俺は思った。
「お殿様」と、俺は藩主を呼ぶ。
その瞬間、澤ちゃんが微妙に動いた。
たぶん呼び方を間違えたのだろう。ダメなのか、お殿様って呼んじゃあ?
ああ、そうか。タケちゃんはべつに仙台藩の人じゃないから、目の前の人はあくまで違う藩の偉い人。タケちゃんからすれば殿様ではないのだろう。
でも言ってしまったことは仕方がない。
それに、どうせ怒らせても良いと言われているのだ。
「お殿様、我々はこの後用事がありますので。今日は顔見世程度でお暇させていただきますよ」
「なんだと?」
俺の態度があきらかに生意気なものだったからだろう。藩主の男があきらかに苛立った表情を見せた。もしかしたらシャネルと長いこと一緒にいたいと思ったのかもしれない。
だが、そんなことをさせてやるほど、俺は優しくない。それに俺は嫉妬深くて、独占欲が強いのだ。
「我々はこれから船で蝦夷に向かいます」
北海道、ではなくて蝦夷という言い方で良かったよな? と俺は頭のすみで考えた。
「蝦夷? なぜ?」
いきなりのことだったのだろう藩主は首を傾げた。
「なぜと言われれば、そうですね」国を造るため、と言うよりももっと正しい言い方がある気がした。「戦うためです」
「戦う? ま、まさかお主たちまだやるつもりかなのか!」
「もちろんですとも!」と、答えたのは澤ちゃんだ。
名指しされない限り喋るな、と言ったのは澤ちゃんだったのに。
「そ、そんなことはならん!」
ならん?
ダメって意味だよな。
「どうしてですか」と、俺はべつに聞かなくてもいいこと聞いた。
「そ、そんなことをすれば我々仙台藩は――」
「貴方たちは関係ありませんよ。我々は蝦夷で新しい国を造りますので」
それがタケちゃんの夢だった。
その夢のことを明確に口に出してから、俺はタケちゃんだったらいったいこの大風呂敷をどういうふうに他人に言って聞かせるのだろうなと思った。
もしかしたら普通に納得させたりできるかもしれない。
でも俺には無理だった。
「ふ、ふざけるな!」
たぶん思わずだろう、藩主の男が近くにあった刀に手をかけた。
まさか抜くのかと思ったら、そのまさかだった。
「おいおい、マジか」
俺はどうしようかと迷った。こちらも刀を抜いて対応、そんなことをすれば間違いなく大問題になってしまう。
「落ち着いて、話せば分かるから!」
俺は手の平を見せて制そうとする。
藩主はその手を見て少しだけ冷静になったのだろう。斬りかかってくるようなことはしなかった。だが、もしかしたらそれが仇となったかもしれない。
「皆の者、であえ、であえぇえええ!」
藩主が叫んだ。
その叫び声を聞きつけて侍たちが慌てて部屋の襖を開ける。バンッ、バンッ、バンッ、といくつもの襖が続けて開けられた。
まるで囲まれるように四方八方に侍がいる。
「おいおい……」
まさかこうなるとは。
「榎本殿……やりすぎです」
澤ちゃんが俺を睨んでいる。
「ええっ……俺のせい?」
まさかこうなるなんて思わないじゃないか。俺ちょっと煽っただけだよ?
「まったくシンクったら」
シャネルも呆れている。いやいや、お前のせいじゃねえのか?
「皆の者、こやつをらひっ捕らえよ!」
どうするかな。
「殺す?」と、シャネルが聞いてくる。
「さすがにそれは……」
俺は及び腰だ。
「逃げましょう!」と、澤ちゃん。
ふむ、それが一番良さそうだ。
もうこうなればケンカ別れしかない。
俺はブンッと勢いよく刀を抜いた。
「じゃあそうしようか」
まわりを囲んでいる侍たちをにらみつける。悪いけど多勢に無勢だ、全力でいかせてもらう。




