607 カゴと二本の刀
俺がタケちゃんになるのならば、タケちゃんは俺になるのだろうか?
俺はカゴに揺られながら、そんなことをぼうっと思った。
「榎本殿、お加減はどうですか?」
知らない男がカゴの引き戸を開ける。
「うん? ああ、くるしゅうないよ」
それっぽく答えてみる。すると男はとても嬉しそうに頷いた。
「では出発しますので。もしご都合が悪ければすぐに言ってください」
「ああ……」
あんなに乗ってみたかったカゴだが、タケちゃんの代わりに乗るとなると何も楽しくはない。
初めて馬車に乗ったときのような感動はなにもなく、ただ座って肘掛けに肘をついている。
俺たちが向かっているのは仙台城だった。
俺たち、というのは俺と澤ちゃん。あとは無理を言ってついて来きたシャネルだ。
澤ちゃんの意向で俺だけがカゴに乗って向かうことになった。なんでも一軍の総大将ともなれば格というものが備わっていなければならないとのことだ。
仰々しいのは嫌いだ。
目立つのも嫌い。
じゃあ何が好きかと言われればすぐには答えられないような男である。
「乗り心地は良いんだな」
ひとりごちる。
わざわざ1人の人間を運ぶために2人がかりで、と考えると効率が悪い気がする。やはり車輪というのはすごい発明だ。どうして日本ではこういう交通手段が発達したのだろうか?
街道のせいか。それとも車輪という文明が鎖国によってうまく伝わらなかったのか。どちらとも言いがたい。そもそも断言できるほどの知識が俺にはない。
暇である。
その暇さに耐えて、やっとこさ仙台城についた。降りるときに俺はできるだけ申し訳無さそうに降りた。わざわざ人間1人分の体重をここまで運んでくれたのだ。
「ありがとう」
と、礼を言うと不思議そうな顔をされた。それが仕事だから、感謝されるようなことではないということだろう。
シャネルと澤ちゃんはもう先についていた。
「どうでしたか?」と、澤ちゃんに聞かれる。
カゴは城の敷地内まで平気で入っていた。ここまでかなり起伏のある道のりだったろうに、頭が下がる思いだ。
「あんまり好きじゃないね。いっそのこと馬で来たかったよ」
馬に乗るのは苦手じゃない。むしろ得意なくらいだ。武芸百般と言えば、とうぜん乗馬だって含まれるのである。
「ふむ、馬で城内まで乗り付けるですか。榎本殿には似合いませんね」
俺はタケちゃんのことを想像してみる。
たしかに。雄々しい姿で自ら馬を駆り、颯爽と城へ参上してみせるタケちゃんは、なんだかキャラが違うなぁと思うのだった。
それならカゴの中から疲れた顔で出てくる方が、まだサマになっている。
「大丈夫かよ」と、俺は不安を隠せずに言う。
いきなり替え玉。
なんのためにこんなことをするのかと言えば、みんなのためで。タケちゃんという船頭がいなければ、これから北海道に行く人間たちは海のど真ん中で羅針盤を無くしてしまったようなものだ。
俺がみんなを導いていけるとは思っていない。
ただできるだけ、タケちゃんの真似くらいはしてみせるつもりだ。
それがタケちゃんを守れなかった俺の贖罪にもなるのだから。
「シンク、似合ってるわよその格好」
「やめてくれ、お世辞は」
俺はいま、仰々しい旧幕府軍の制服を着ていた。海軍のそれは和風のものではなく、もともと外国の制服を模したものだ。
洋服特有の金色のボタンが、どこか滑稽なくらいにピカピカと光ってみせる。純金ではないさ、もちろん。まるで俺のようなメッキ仕立て。
「いえ、榎本殿。本当に似合っておりますよ。短くした髪も、いかにも洋式で素敵です」
「ふんっ」
なにを言っているのだ。髪は切ったのではない、もともと短かったのだ。
ただタケちゃんは長かったから、そういうことにしているのだろう。言ってしまえば設定だ、設定。
その短い髪を、わざわざオールバックに固めさせられた。その方が良いと澤ちゃんは言うのだが、本当に似合っているのだろうか不安だ。
自分に自信のない俺は、他人に褒められてもすぐにそれがお世辞ではないかと不安になる。
ま、似合ってないと言われるよりマシだけどね。
「じゃ、行きましょうか」
シャネルが何気なく俺の隣に並ぶ。
「シャネル殿、ちょっと――」
しかしそれを澤ちゃんが止めた。
「なあに?」
「これから入城です。なんぼなんでも、すぐ隣で揃って入っていくというのはおかしいです」
「なるほどね、私たちは少し下がってなくちゃいけないわけだわ」
「その通りです。榎本殿、よろしいですね。いまから城主と謁見することになりますが、受け答えのほとんどはこちらが名指しされない限り、榎本殿が返答することになります」
「え、俺が?」
「そうです、榎本殿は得意でしたよ。そういうの」
「俺はタケちゃんじゃない」
思わず泣き言を言ってしまう。他人との会話、しかも正式な場でなんて俺のもっとも苦手なことの1つじゃないか。
「だとしてもやっていただきます」
「ああ、もう。クソ、やれば良いんだろ。やれば! どうなっても知らないからな」
「ふふっ……どうなろうが構いませんよ。私たちはこれからこの仙台藩、奥羽列藩同盟とは袂を分かつのですから」
「ケンカしても良いの?」と、シャネル。
いや、と俺は首をふった。
「ケンカしても良いんじゃなくて、これからケンカするんだよな」
「そのとおりですよ、榎本殿」
澤ちゃんはなかなか好戦的な目をしていた。
女傑、という言葉がふと頭に浮かんだ。
「まあ、それなら少しは気も楽か」
どんな返答で、どんなことになっても良いのだ。
「もっとも怒らせすぎないでくださいよ、その場で無礼であると首を跳ねられればお終いですからね。貴方の次に榎本武揚の代わりができる人間はいませんから」
「あんたねえ……」
そういう言い方ってのは、ないんじゃないか?
まあ澤ちゃんからすれば俺なんてただの替え玉なんだろうけど。こっちだって全力で頑張るつもりでここに来てるんだ。
それとも、と少しだけ思う。この人は俺のことが嫌いなのだろうか?
それだって十分にありえた。だって俺はタケちゃんを守れなかったのだから。
「さっさと歩いてください、お殿様が待っていますよ」
「はいはい」
よし、と気合を入れる。
洋服のわきに差された刀を確認した。
二本の刀。
しかしそれは通常武士がやる刀と脇差の二本差しというわけではない。どちらも長い刀。俺がもともと持っていた『クリムゾン・レッド』と、タケちゃんの持っていた刀だ。刀の銘は知らない。
不格好な二本差しだが、それでも俺はこれで行くと決めた。
刀は武士の魂、なんて言うからな。
俺はタケちゃんの魂とこうして一緒にいるのだった。
数日サボりました、すいません




