595 棋風は人となりをあらわす
俺は角の斜め前にある歩を手にとった。
パチンと、打ち込む。
我ながらなかなかいい音が出た。実際の駒を触って将棋をするのはかなり久しぶりだったが、なんとかそれなりの格好がつけられた。
初手は7六歩。
いわゆる角道を開ける手。たぶん誰もがよくやる手。人生で一番見た初手だろう。
ついでタケちゃんは間髪入れずに3四歩と指す。あちらも角道を開けたわけだ。
まあここまでは普通だ。
その後もなにかしらの奇抜な手があるわけではなく、平々凡々な駒組みは進んでいく。俺は五手目に飛車を四間に振った。
「振り飛車?」と、タケちゃんが聞いてくる。
「うん」
将棋の戦法といものは大きく分けて2つのものがある。
それが居飛車と振り飛車だ。読んで字の如く、飛車の駒をそのままの位置で使うのが居飛車。真ん中よりも向かって左側に動かすのが振り飛車だ。
先手である俺が選択したのは振り飛車――その中でも四間飛車と呼ばれる戦法だ。
対してタケちゃんは居飛車だ。
こういった居飛車と振り飛車での戦いを対抗形と言う。
「私はね、常々思っているんだよ。将棋というのはその人の性格がでるものだと」
「そうかい」
たしかにそういったことを言う人もいる。けれど俺の場合は下手の横好きなのでそこまで格好いいことは言えない。
「棋風からはその人の人となりが出るのさ」
タケちゃんは『囲い』と呼ばれる玉の守りを固める陣形を組みだした。
ひょい、ひょいと玉が戦場から遠ざかっていく。
対して俺は自玉の玉を動かさない。その前にやることがあった。
1六歩。
これは盤上にある一番端っこの歩だ。この歩付きに対してタケちゃんは歩付きと受けずに、玉をさらに逃がすような一手を指した。
「アナグマ……ねぇ」
タケちゃんの目指している囲いだ。
穴熊囲い。
玉の駒を盤上の隅っこに配置する、かなりの強度を誇る囲いだ。
とにかくこの囲いの利点として、組んでしまえば絶対に相手から王手をかけられることがないということがある。
じっくりと固く守ってから攻める。
そういった戦法だ。
――なるほど、棋風には人となりが出る、か。
つまりタケちゃんはそういう性格なのだろう。
「こういう囲いのことをみっともないって言う人もいるけどね、私は好きさ」
「みっともないとは思わないけど……嫌いなんだよなぁ」
相手をしていて楽しくない、とまでは言わないが。
ただ大変なのだ。穴熊囲いの攻略は。
「さてシンちゃん、どうする?」
「どうするもこうするも――」
ひとたび組んでしまえば最強に近い硬さなる穴熊囲いでも、弱点はある。つまりは囲うまでに手数がかかること。その隙きを狙う。
俺は4六の歩をつく。
「え?」
それは一見して意味のない手に思えるだろう。
「どうぞ」と、俺はタケちゃんの手をうながす。
「えーっと」
タケちゃんは当然のように囲いの手を進める。
玉を深く、深く盤上の奥底へと囲おうとしていく。
だが俺はまったく玉の駒を動かさない。
「不思議な手順だね……攻めてるの?」
「居玉は避けよってか。あいにくとこの手に守りの囲いってのはないんだ」
「そうなんだ、まあやり方は人それぞれかな。ときにシンちゃん」
「どうした?」
「私はね、これから蝦夷に行こうと思うよ」
パチン、とタケちゃんが駒を打った。
「蝦夷?」
っていうと……北海道のことだよな。
「うん、そうだよ。それでね、シンちゃん。キミにも一緒に来てほしいんだ」
俺は応対の一手を打つ。
「いいよ」
「え? いいの?」
あまりに即答だったためだろう、むしろタケちゃんが驚いていた。
「どこでも良いさ、どっかに行くってんなら俺はついていくよ。そこに戦いがあって、俺にできることがあるんだろ?」
考えて見れば俺は悲しい人間だ。
復讐のためにここまで頑張ってきて、それが終わってしまえば自分がこれからどうすればいいのかも分からない。
だから他人の復讐に手を貸すくらいしかやることがないのだ。
俺は察していた。
目の前の榎本武揚という男が、言葉には出さないがその心中には復讐の炎をたぎらせているのだと。だから新選組を率いている土方という人にもシンパシーを感じているのだろう。
さて、タケちゃんはなにに復讐をしたいのだろうか?
普通に考えれば、幕府を滅ぼした新政府側にだろう。
「……ありがとう」と、タケちゃんは言う。
「どういたしまして」
ここには戦いはないのだ。仙台藩にこれ以上いても意味がない。
そして現在、盤上でも駒がぶつかり合うような戦いは起こっていなかった。
「嬉しいよ。シンちゃんがいれば百人力さ」
「そうかいそうかい」
俺は満を持して桂馬の駒をぴょんと飛び跳ねさせる。
その手を見てタケちゃんはさらに首をかしげる。
「桂馬の高上がり歩の餌食だよ」
「そういう言葉もあるな」
桂馬という駒は不撤退の駒である。後ろに下がることはできない。だからあまり調子よく上がっていくと簡単に歩で取られてしまうという格言だ。
しかし、これで良い。
タケちゃんが角をあげる。俺はさらに桂馬をあげる。
俺の桂馬の効きは角にあたっていた。
「そんなの逃げれば――」
逃げた。その先でタケちゃんは首を傾げた。
「どうした?」と俺はちょっと意地悪な感じで聞いてみる。
「あ……いや」
タケちゃんの顔が青くなった。タケちゃんはさっさと桂馬を取り込もうとはしないそんなことをすれば負けると理解したのだろう。
俺は角の効きを利用して王手をかける。
「うぐっ」
タケちゃんが変な声を出した。
みるみる冷や汗のようなものを流していく。
食い入るように盤面を見つめ。そしてしきりに中空で指を動かす。
「ここがこうなって……こうなって。えっと、ここが……え? これってもしかして」
そう、そのもしかしてだ。
俺の勝ち。そうでなくとも大優性だ。
「まだやるかい?」と俺は聞く。
「ちょっと待って――」
タケちゃんは長考に入る。
「シンクの勝ちじゃないの?」
いままで喋っていなかったシャネルが言ってくる。俺たちの将棋が終わるまで邪魔をしないつもりだったのだろう。それがいま、終わりが見えたので声をかけてきたということだ。
「いやいや、勝負は下駄を履くまで分からないって言うだろ?」
この前アイラルンに教えてもらったばかりの言葉をつかってみる。
「そうね」
長考の末、タケちゃんは駒を動かす。
だがすでに勝敗は決している。
それから数手の後、
「負けました」
と、タケちゃんは頭を下げた。
「ありがとうございます」
投了だった。
「すごいね、シンちゃん! この手どうやって考えたの! 本当にすごいよ!」
「あ、いや……まあ」
俺が考えたわけではない、当然だ。
手の名前は『藤井システム』。
世界で一番格好いい振り飛車党の戦法だ。
「まさか負けるとは思わなかったよ! こんな簡単に! じつは私は将棋にはなかなか自信があったんだけど。いやはや、すごいよシンちゃん!」
「ま、まあね」
「うん、シンちゃんのことがさらに分かった気がするぞ。この摩訶不思議なまでの強さ、それが榎本シンクという男なんだね!」
あんまり褒められると、照れる。
とはいえたしかにタケちゃんの言っていることも一理あった。
いや、強い云々ではなくて。
将棋の棋風が人となりとなる、という言葉だ。
俺は違う世界からやってきた。その世界の知識こそが、俺の武器だろう。転移者であるということこそが俺のアイデンティティ、人となりだ。
「すごいよ、本当に強い!」
「分かったからさ」
「ねえ、次は私がやってみてもいい?」
シャネルがタケちゃんを追い払うようにして俺の前に立つ。
「いいともさ。ルール教えるよ」
「見ててだいたい分かったわ」
まさかー。
いくらさとしいシャネルさんでも一回見ただけでルールはわからないよ。
とはいえとりあえずやってみよう、分からなかったらその都度教えるとして。
それからしばらくして――。
「負けました」
と、俺が言うはめになっていた。
いや、一回目は俺が勝ったんだよ? いちおう。
でも二回目で負けた。
「やったやった! ほらね、こうすれば勝てると思ったのよ!」
意外とこういうボードゲームが好きなのか、シャネルは嬉しそうに喜んでいる。
自信なくすなぁ……。
「こっちも摩訶不思議な強さだ……」
タケちゃんもびっくりしてる。
俺は悔しくて「もう一回だ!」とシャネルに再戦を挑むのだった。




