594 タケちゃんと将棋
あくる日、タケちゃんが俺たちの部屋に来た。
「シンちゃん、ちょっと遊ばない?」
俺は少々二日酔いの体調だった。
「遊ぶ……? 釣りか?」
タケちゃんはよく釣りをしているイメージだったからそう聞いた。
「いや、今日は外の天気が悪いからね。中で遊ぼうよ」
「なら良いけどね」
あまり外で遊ぶのは好きじゃないのだ。
「あら、遊びに行くの? 私も行くわ」
行っていい、じゃなくて行くわと宣言するあたりがシャネルらしい。
「ううっ……シャネルさん……わたくしを見捨てないで」
そしてもう1人、アイラルンはといえば。
俺とは違いガチの二日酔いでダウンしている。可哀想とは言わないぞ、自業自得だ。
「てきとうにお水でも飲んで寝てなさい」
「嫌ですわぁ! わたくしを看病してー!」
「うるさいわね。まったく、お酒ばっかり飲んで。べつに飲むのは構わないけど、次の日に残るような飲み方してちゃダメよ」
ちらっとシャネルがこちらを見る。
たぶん俺にも言ってるんだろうなぁ……。
「女子がそんなに酒を飲むなんてよくないですよ」
タケちゃんが実に正論じみたことを言う。
「でっかいお世話ですわ。ああ、もうわたくしのことなんて置いて行ってしまえばよろしいんですわ。わたくしは1人寂しくこの場所で死んでいくのです。ああ、因業なアイラルン!」
「……面倒だわ。シンク、行きましょう」
「おう」
ほうっておこう、こんな邪神のこと。
「あ、朋輩また失礼なことを思ってますわ!」
「人の思考を読むな」
まったく、やめてくれよ。
というわけで、俺たちはアイラルンを残して部屋を出た。
「それにしてもすごい名前だね、アイラルンって」
宿の長い廊下でタケちゃんが言ってくる。
すごい名前、なるほどな。アイラルンってのはこの世界じゃまごうことなき邪神の名前で、その名称を名乗っているアイラルンが、まさか本物であるとは思っていないのだろう。
アイラルンの悪名はジャポネにもとどろいている。
「あだ名かなにか?」
「まあそんなもん」
わざわざあのアイラルンが本物ですよなんて説明する必要はないだろうからな。
「それで貴方たち、なにして遊ぶつもり?」
「ああ、それなんだけどね。シンちゃん将棋ってできる?」
「しょーぎか!」
はいはい、将棋ね。知ってますよ。もちろんね。
「なあに、それ?」
「ボードゲームの一種だよ」
そういえば昔、エルグランドの部屋でチェスの盤と駒を見たことがあった。つまりこの世界にも将棋やらチャスがあるのだろう。
「ふうん、シンクできるの?」
「おう、できるよ」
と言っても駒の動かし方を知っている程度――というのは謙遜か。
なにを隠そう、引きこもりだったときにちょっとかじっていたのだ将棋を!
俺が引きこもっていたときにやっていたことといえば、読書と将棋くらいだ。あとは1人でする運動。うん、下品だね。
「じゃあこっちへ来てよ」
ということで俺はよく分からない部屋に来た。そこはなんだか仰々しい部屋で。なんだここ?
畳の部屋。
その部屋の真ん中には将棋盤が置かれていた。
なかなか本格的な将棋盤だ。脚までついている。
「すごいな。こんな将棋盤でやったことねえよ」
俺がやっていた将棋といえば小学生の頃に折りたたみ式の将棋盤でやっていたのと、あとはネットでの将棋くらいだ。
「宿の主人が好きらしくてね。本格的なのを用意してるらしいよ。どうかな、シンちゃん。縁台将棋よりは面白そうでしょ?」
「だね」
誘ってくる、ということのタケちゃんも相当腕に自信があるのだろう。
これは面白くなってきた。
あちらの世界にいるときの俺は腕っぷしには自信がなかった。だからせめて頭を、と思っていろいろなことをやってきたのだ。
「この駒を使って戦うの? どうやって?」
「チェスみたいな感じ」と、俺は適当に答える。
「ああ、なるほどね。この駒それぞれに動き方があるのね」
シャネルは理解が早い。
というか普通この状況だけで理解できるか? たしかに盤上には駒がすでに並んでいたが。シンちゃんが遊ぶために並べてくれていたのだろう。
俺が将棋のルールを知らなかったらどうするつもりだったんだろう?
「さあさあ、やろう!」
どでん、とタケちゃんは座る。
俺もその対面に座った。
さてはて……将棋か。やるのは久しぶりだな。それこそ数年はやっていないからな。
俺の隣になぜかシャネルが座った。
「ねえ、これがキング?」
王将の駒を指差して、シャネルが聞いてくる。
「そうだよ、これが取られると負けだ」
チェスに当てはめて考えたのだろう。本当にさとい女の子だ。
「こっちがポーンね」
「そういうこと。よく分かったね」
歩の駒のことを言っている。
「でしょう? でもこの2つの駒が分からないわ。なあに、これ?」
「飛車と角だよ。こっちがチャスでいうところのルークだな」
「じゃあこっちの『ジャオ』は?」
「ジャオってなんぞ?」
指差している駒は角だ。
「ああ、これは角と読むんだよ。『ジャオ』はルオの読み方だね。あの国は読み方がたくさんあるけど――」
「ああ、なるほど。シャネルはルオで翻訳してたもんな」
この異世界って不思議だよな。喋っている言葉はみんな通じるのに文字は通じないんだから。
「これは『カク』って読むのね」
「そう。それで動き方はビショップだな」
「1つしかないのね」
「そういうもんだからな」
じゃあ初めて、とシャネルは俺の隣で盤上を見つめた。その視線はどこか真剣なものだった。
「振り駒しようか」
と、タケちゃん。
「いいよ」
駒を振ったのはタケちゃんだ。結果として俺が先手になった。
「よろしくおねがいします」と、俺はかっこうつけて頭を下げてみる。
「よろしくおねがいします」と、タケちゃんも続けた。
最初の一手、さてここは定石通りに――。




