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585 澤太郎左衛門の説教


 薄い着物のなかで、冷や汗をかく。


 せっかく風呂に入ったのに、だ。


「榎本殿、ずいぶんと楽しそうでしたね」


 澤ちゃんのひたいには、あきらかな青筋がたっていた。


「え、なんのこと?」


 すっとぼけるタケちゃん。だがどう考えても言い逃れできる状況ではない。


「このさわ太郎左衛門たろうざえもん、榎本殿にまさか女として見ていただけるとは思っておりませんでしたよ。嬉しいですよ」


 嬉しい、と言っているわりには顔がまったく笑っていない。


「あはは」と、タケちゃんは言い訳にもならない愛想笑いをみせた。


 なんでもいいけど、澤ちゃんの名前初めて聞いたな。


 え?


 澤太郎左衛門?


 どこからが名字でどこからが名前だ?


 気になったがいまは聞けるような雰囲気ではなかった。


「やれやれ。シンクもおバカさんね。そんなに私の裸が見たいなら、頼めば見せてあげるのに」


 それができれば苦労しないのである。


 それができればすでに童貞でないのである!


 しかし俺はなにも言い返せず。


「あはは」


 こちらも言い訳にもならない愛想笑いを浮かべるだけだった。


「シャネル殿! あまり甘やかさないようにしていただきたい!」


「あら、ごめんなさい。お説教するんだったわね」


「そうですとも!」


 とにかくそこに座れ、と俺たちは地べたに座らされる。


 しかも正座だ。


 澤ちゃんはくどくどと説教をたれだした。


 いわく、女性の裸を覗くなど卑怯な行為はやめるべきである。


 いわく、一軍の大将たる人間が性欲なんぞに振り回されるべきではない。


 いわく、思慮深く行動を管理し他人の模範となるべきである。


 べき、べき、と澤ちゃんは断定するような口調で言う。


 タケちゃんはしょんぼりしている。


「それに榎本シンク殿!」


 えらく怒ってるなぁ、と思っているとこちらにも飛び火してきた。


 いや、飛び火というか俺も共犯なんだけど。


「は、はい」


「貴方も貴方です! まさかこんなたわけの口車に乗せられて覗きなどしたわけではありませんよね! ドレンスの人間はバカなのですか!」


「あ……いや……」


 俺はべつにドレンス人じゃないのだけど。


「恥を知りなさい、恥を! シャネルさんもなにか言ってやってください!」


「べつに私は見られてもいいけど。というかすごい音してたけど、もしかして転けたの? 怪我してない?」


「あ、いや……大丈夫」澤ちゃんに睨まれる。「です」と、付け加える。


「シャネル殿、あまり甘やかさない。この榎本――ええい、まどろっこしい! ブヨウという男はいままでも何度もこういうことを繰り返してきたのです!」


 ブヨウ?


「あら、常習犯だったのね。でもシンクもよく私の寝込みを襲おうとしてるわよ。いつもやめちゃうけど」


 ドキンッ!


 ま、まさかバレていたのか?


 いや、たしかに俺はよくシャネルが寝ている間にエロいことをしようとするけれど……そもそも寝ているところを見ることの少ない子ではあるが、俺がいままで見ていたと思っていたシャネルの就寝姿は、もしかして狸寝入りだったのか?


「まったく、これだから男というのは!」


 この宿には俺たち意外にも、タケちゃんの部下たちも泊まっているらしい。ときおり通りがかっては物珍しそうに見られる。


 俺のことを知らない人間もいてか「あれって総司令官の兄弟?」なんて声が聞こえてくるくらいだ。


「あ、あの澤ちゃん。そろそろ勘弁してくれないかな? その、私にも司令官としての威厳というものが……」


「覗きをする人間に威厳などあるものですか!」


 ごもっともである。


 澤ちゃんの説教は続いていく。


 しばらくすると噂が広まったのか、部下たちがわざわざ見に来た。もう夜の遅い時間でそうおうに酒が入っているのも手伝ったのだろう。みんなちょっとした見世物のように俺たちを見ている。


「こんなザマではきたるべき決戦で貴方に命を預けることなどできませんよ!」


「はい……」


「まったく――」


 くどくど、くどくど、くどくど。


 たぶん30分くらいだろうか。


 よくもまあ、こんな長時間説教がつきないなと思うが澤ちゃんはずっと文句を言い続けた。


 思うに日頃の鬱憤も溜まっていたのだろう。


 最終的に説教の内容は脱いだ服をたたまない、だとか、刀の手入れをちゃんとしない、だとかそんな場所にまでおよんだ。


「そうだそうだ!」


「だらしないぞ!」


「つうか給料ちゃんとだせ!」


 周りからもヤジがとぶ。


「いや……金子きんすはちゃんと支払ってるはずで……」


「貴方がしっかりしないから、部下たちが先行きに不安を覚えているのです!」


「すいません」


 こうなればもうどうなっても怒られる流れだ。


 あ、さすがに足がしびれてきた。


 どうやらタケちゃんも同じようで、顔が少しばかり青白い。もじもじと下半身を動かして、少しでも足のしびれを軽減しようとしている。


 だが、それを澤ちゃんに見咎められた。


「なんですか、人がせっかく貴方の悪いところを指摘しているというのに! その態度!」


「す、すいません」


「ねえ、その人トイレに行きたいんじゃないのかしら?」


「か、かわや! それならそうと早く言ってください!」


 シャネルの勘違い。


 しかしそれが助け舟となった。


「そ、そうなんだ。少しトイレ」


「まったく……ならこれくらいで終わりにしますか。金輪際、このようなことがないように!」


「「はい!」」


 とりあえず話を終了させるために元気よく返事をする。


「まったく……返事だけは良いんですから」


 澤ちゃんは少しだけ顔を赤くしてそっぽを向く。


 おや? おやおや?


 その瞬間、俺はなんとなーくだが思った。もしかしてだけど、この澤ちゃんという人もタケちゃんのことが好きなのでは?


 なるほど両思い!


 思わずニヤニヤと笑ってしまう。


「あらシンクどうしたの? 怒られて笑うなんて、マゾなの?」


「違うよ」


 失礼なこと言うよな。


 なんて思っていると、どこか遠くのほうが騒がしくなっていた。


「侵入者だ!」


 なんていう声が聞こえた。


 いきなり場の雰囲気が張り詰める。


「マジか!」


 たしかにここにいるタケちゃんは旧幕府側の要人だ。戦国の世では命を狙われることくらい普通なのだろう。


 ここは俺が一肌脱ぐところだ。迎撃に参加しよう。


 と、立ち上がろうとするが。


「あっぐっ!」


 足がしびれて、立ち上がれない!


「シンク、大丈夫?」


「や、やばい。足の感触がない」


「落ち着いて」


 騒ぎが大きなっていく。


 だけどなんだ? べつに大問題というわけでもなさそう。


「なんだこいつ!」という声がした。


「うわっ、やめろ!」


「分かったから、分かったから!」


 なんだ?


 ほうば~い!


 と、声が聞こえてきた。


 当然、聞いたことのある声だ。というかアイラルンの声だ。


 ……アイラルンのこと忘れてたわ。


 奥から顔を涙でぐしゃぐしゃにしたアイラルンが走ってきた。


 美人が台無しだ。


「朋輩、わたくしのこと! わたくしのこと忘れてたでしょう!」


「ワスレテマセンヨ」


 ウソです。


 泣いているアイラルン。


 なんだこいつは、と目を丸くする澤ちゃん。


 シャネルはどこからともなく出してきたタオルのようなもので、アイラルンの顔を拭いてやっている。


「そういえば、この人もいたね」とタケちゃん。


 地味にひどい言い方だ。


 ま、俺も忘れてたんだけどね。


「最低、最低ですわ! 朋輩ったら最低!」


 そんなに何度も最低と言わないでも……。


 と、思ったら。


 なぜか俺の弱点を見破ったのだろう。アイラルンは俺の足を蹴り出した。


「ぎゃっ! おまっ、お前そこはいま痺れてて!」


天誅てんちゅうですわ!」


 やめて!


 アイラルンが天誅と言った瞬間、周りの顔が苦々しくなった。


 あまりいい言葉ではないようだ。


「はあ……」


 澤ちゃんが呆れたようにため息をつく。


 なんだか苦労をかけて申し訳ない。素直にそう思った。


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