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581 旅館には剥製


 榎本武揚はどうやら酔っているようだった。


 だらしのない顔をして、簡素な着物をはだけさせて、靴も履かずに外に出てkチア。


「シンちゃん、どうしてここが分かったの? 私のこと、探してくれたの?」


「いや、たまたまだよ」


「たまたま! そりゃあ嬉しいよ!」


 なにが嬉しいのか分からないが、タケちゃんはゲラゲラと笑う。


 笑い上戸というやつなのだろう。


 アルコールを飲めば面白くなくても笑うタイプ。俺の周りにはいままでいなかった。俺なんかはどちらかといえば無口になるほうなので、そういう意味では真逆だ。


 姿は似ている2人でも、やっぱり性格は違うのだ。


「なあタケちゃん、俺たち実は泊まるところないんだけど」


「そうなの! ならどうぞ、ここに泊まっていきなさいよ! 今日は貸し切ってるんだよ!」


「へえ、そうなか」


 さきほど、宿の老婆に聞いていたが、いま初めて聞いたような返事をする。


 俺たちが泊めてもらうことを期待して居座っていたと思われては恥ずかしかったのだ。


「さあさあ、入って入って。仲居さんもいいですよね?」


「榎本様がそうおっしゃるならば。どうぞ、いらっしゃいませ」


 と、いうことで今夜の宿が決まった。


 しかもこの感じならお金は払わなくてもいいのでは? なんて、ちょっとケチなことを考えたりもした。


「ちなみにシンちゃんはこっち、いけるタイプ?」


 タケちゃんは手酌を飲むような仕草をしてみせた。


 オヤジ臭いな。


 つまりアルコールが呑めるか、って言っているわけだ。


「ぼちぼちかな」


「そっか! 私はね、あんまり飲めないんだ!」


 でしょうね、という言葉は胸の中にしまい込んでおいた。


 旅館の中に入る。


 玄関にはなぜかクマの剥製があった。いや、よくみたらクマじゃないぞ。屈折した形のツノがついている。たぶんモンスターだろう。ジャポネでもモンスターはあまり見ないな。


「これ、動かないわよね」


「大丈夫でしょ、言っちゃえば死体だし」


「こんなもの飾っちゃって、悪趣味ね」


「高い旅館っていえば剥製みたいなところあるよね」


 偏見だけど。


「あっははは! 言われてみればどこにでも剥製あるかもね」


 そう言ってタケちゃんは剥製の方に近づき、腕を触る。


 人間の何倍もの太さのあるクマのようなモンスターの腕。あんなものでパンチされたらひとたまりもないだろうな、と俺はそんなことを思った。


 その瞬間――。


 嫌な予感がした。


「――ッ!」


 その予感の正体が判明するのと、俺が動き出すのは同時だった。


 いや、俺が動くほうが早かったかもしれない。


 クマのモンスターの腕が、動いた。


「えっ?」と、タケちゃんがほうけた声を出す。


「危ない!」


 腕を振りかぶるクマのモンスター。


 狙いはタケちゃんの頭。


 だが間一髪、俺はタケちゃんを突き飛ばす。


 からぶり。


 モンスターの剥製はすぐに元の位置に戻って、そのまままた動かなくなった。


「えっ? えっ? ねえ、いまこれ動いた?」


「動いた、な」


 タケちゃんは驚いているが、俺も驚いていた。


 まさか剥製が動くなんて思わなかったから。


「え、どういうこと? なんで動くの?」


 タケちゃんはまたモンスターの剥製に近づく。


 すると――。


 先ほどと同じことが繰り返された。


 動かないはずの剥製が拳を繰り出す。慌ててタケちゃんを引っ張る俺。からぶる拳、そしてそのまま元の位置へ。


「ねえシンク、この男大丈夫なの? 頭がおかしいんじゃないかしら」


 シャネルがタケちゃんにも聞こえるくらいの声で言う。


「いや、これでも海軍の偉い人らしいから……」


 なので助ける。


「えー、すごい剥製だなぁ。ひくっ」


 しゃっくりをするタケちゃん、どうやらかなり酔っているらしい。


 緩みきった顔をして千鳥足で歩いている姿は、お世辞にもちゃんとした人間には見えない。


 もっともアルコールを飲んで酔っ払っている人間なんてシラフの人間から見れば一つもまともに見えないだろう。まずい、これブーメランだ。


「それにしてもシンちゃんが来てくれて嬉しいよ。あは、あはは」


 まるでいまの騒動などなかったかのように言って、立ち上がり、また歩きだす。


「あれはある意味では大物ね、間違いなく」


「だな」


 いまさっき命の危機が迫っていたとは思えないほどに平然としている。


 それともただ単にバカなだけだろうか?


「こっちこっち」と、つぶやきながらタケちゃんは歩いていく。


 そしてある一室の前で足を止める。


「ここ、私の部屋なんだよ」


「へぇ」と、俺。


 横開きの扉――ふすまを開けるタケちゃん。


 中では1人の女性が座椅子に座っていた。


 澤ちゃん、と呼ばれていた女性であることはすぐに気づいた。


「……? どうしました、榎本殿。風呂に行くと言っていたわりには早いですね」


「澤ちゃん、とっても面白い人を連れてきたよ!」


「……さきほども聞いたような言葉ですね。ああ、やっぱり。ドレンスからの客人たちですか、どうも」


 澤ちゃんは酔ってはいないようだが、酒は飲んでいるようだ。


 机の上には小さな徳利がいくつか転がっている。


「シンちゃんたちを泊めてもいいよね、澤ちゃん?」


「さあ、どうでしょうね。勝手にしてください」


 どこか投げやりな言い方で澤ちゃんは言う。


「分かった! シンちゃん、泊まっていいってさ」


「それを私に聞いてどうするんですか、榎本殿が我々の大将であることは事実なのですから貴方が決めれば良いんですよ」


 あ、澤ちゃんがおちょこから酒を飲んだ。


 よく見れば目がすわっている。やっぱり酔っているようだ。


 なんでもいいけど、この2人いっしょの部屋に泊まってるんだな。


 できてるのか?


 と、俺は邪推してしまう。


「よし、じゃあシンちゃん一緒に風呂に行こう!」と、タケちゃん。


「榎本殿、くれぐれも玄関の剥製には気をつけてくださいよ」


「え、なんの話? 澤ちゃん」


「だから何度も言っているでしょう。玄関の剥製は動きますので、近づかないでくださいね」


「いま初めて聞いたけど?」


「では覚えておいてください」


 タケちゃんと澤ちゃんの2人の会話を聞いて、俺とシャネルは顔を合せた。


「やっぱりバカだったわね、この男」と、シャネル。


「だな」


 …………はぁ。


 俺はため息を付いて。


 ま、風呂にでも行くかなと気持ちを切り替えるのだった。


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