580 見つけた宿
俺たちがお城を出たときは、すっかり夜も更けてしまっていた。
こんな時間に放り出されてもしょうじき困るのだが、仙台藩の人たちは俺たちが船に返るとでも思ったのだろう。泊まる場所を提供してくれるわけでもなく、ただそれではさようならと言ってきたのだ。
「榎本さん! 私は船に戻りますが。どうしますか?」
キャプテン・クロウは戻るつもりのようだ。
けれど、どうするかと聞いてくるということは俺たちにいちおうの選択権があるらしい。
「そうですね。船までけっこうありますし」いまから戻るのは面倒だ。「できれば城下町のあたりで宿をとりたいんですけど」
「そうですか! ではミョウニチ、迎えにあがりますので!」
ミョウニチ、という言葉がなんだか聞きなれないもので、変に耳に残った。
それが明日であると気づいたとき、分かりましたよと俺はうなずく。
キャプテン・クロウが「それでは!」と走っていく。体力だか気力だかしらないが、まだまだありあまっているようだ。
一方、俺たちはというと――。
「朋輩、疲れましたわぁ」
「だな」
「少し横になりたいわね」
アイラルンを筆頭に、俺やシャネルまでもが疲れをにじませていた。
ジャポネに来てから、あまり休めていない。
ずっと船の上で、疲れももちろんたまっている。それに加えて、最近はまともな食事にだってあまりありつけていなかった。
ここらで一つ、ゆっくりするべきだろう。
問題はこんな夜から宿が見つかるかということだが。
そこはシャネルにお任せ。
ということで、俺たちは仙台城を出てすぐそこの城下町へ。
城『下』町というだけあって、町は城から見下される立地にあった。というか仙台城が少しだけ高い位置にあるのだ。そのせいか、町に降りてもいつでもどこからでもお城が見えた。
「天守閣とか、あるのか?」と、俺。「そこから見てるんだぜ、双眼鏡でも使ってさ」
「仙台城には天守閣はありませんわよ、朋輩」
「え、そうなのか?」
「ごらんになれば分かりますわ。どこにそんなものがありますか」
「ふーん、天守閣ってどのお城にもかならずあるものだと思ってたわ」
「一説によれば、この城を作ったときのお殿様が、城の建築より城下町の整備を優先しただとか。えらいお殿様ですわね」
「えらいえらい」
と、こんな話をしているとシャネルはまたつまらなさそうな顔をする。
「てきとうに宿でも探してるわ。貴方たちはそこでダベってなさい」
言葉の選択にもけんがある。
「いや、シャネル。俺もついてくよ」
「あら、シンクもくるの?」
べつに俺が行っても宿の主人とうまいこと話ができるわけでもないが。
「わたくしはここで定点観測をしていますわ!」
そういって、アイラルンは道のすみっこで立っている。
定点観測ってそんな意味の言葉だったか?
まあなんでもいいけど。
さて、宿を探さなくてはいけないのだが。どこが良いだろうか?
そもそもどこが宿だ?
そう思ってぶらぶらと歩く。歩きながら、シャネルはちょっと聞いてくる。
「どんな宿がいいかしら? いい宿にしましょうか、それとも安宿ですましましょうか」
「そうだな……贅沢がしたいって言いたいところだが、これからなにがあるか分からないからな。だからってあんまり安い宿は……中間で!」
じつに優柔不断な選択。
もしも俺が他人に質問して、こんな答えが返ってきたらイラっとくるだろう。
だけどシャネルはクスリと笑う。
「そうね。高すぎもせず、安すぎもせず。そんな場所を探しましょうか」
シャネルは道行く人に声をかける。ここらへんに手ごろな宿はありませんか? 知らない人にでも平気で声をかける彼女は、いつも格好良く見える。
俺は俺ができないことを平然とやってのける人を尊敬している。
シャネルは少しの雑談の後で、うまい具合に宿の場所をききだす。
その流ちょうな話しぶりときたら、この子は人嫌いさえしなければ誰とでも仲良くなれるのだなと思わせるものだった。いるよね、教室でも誰とでも仲良くできるような陽キャが。
「そうですか、ありがとうございます。あなた、行きましょう」
あなた、というのが一瞬、誰のことだか分からなかった。
けれどすぐに、またシャネルが俺のことを旦那だと紹介したことを察する。
好きだよね、その嘘。
まあ、あながち嘘でもないのか? 分からないけど。
シャネルが教えてもらった宿は、どこからどう見ても格調高いもので。これが中級の宿だろうか?
と、疑問に思ってしまえるほどのものだった。
入り口は閉められいる。
「なんか大きな門だな。これ、仙台城と同じくらいじゃないか?」
「まさか。ただの宿よ?」
「いやー? だってこれ、すごい良い感じの木を使ってるぜきっと」
適当に言ってみる。俺もシャネルもわからないので首をかしげることになる。
中の様子はうかがえない。
ただ、どうやら宿の周りには外壁があり、中には屋敷のような建物だけではなく庭もあるようだ。
「とりあえず入ってみましょうか」
そうしなければ始まらないとばかりにシャネルは言ってのける。
「そ、そうだな」
シャネルは門の隅っこの方にあった小さな扉を自分で開けた。
こういうシャネルの勢いも、また俺にはないものだ。
「ごめんくださいな」
門を開けて、中に入っていく。
俺もそれについていった。
中を入ればまず目に飛び込む日本庭園。踏み石の先には宿というよりもお屋敷がある。
その中から、ゆっくりとした動作で着物を着た高齢の女性が出てきた。
「申し訳ございません、榎本様の御一行で?」
客商売にしては少々ぶっきらぼうに近い言い方だった。
笑顔はいちおうあるものの、それはいちおうついているだけというものだった。
その言い方で、俺はなんとなく自分たちが招かれざる客であることを理解した。
「榎本? ええ、そうよ。いかにも榎本だわ」
シャネルは知ってか知らずか、堂々と言う。
その返事に、宿の老婆は困ったような顔をした。
「おや、おかしいですね。榎本様御一行はすでにご到着されているはずですが。申し訳ございませんが少々確認してまいります。失礼をしますが、このご時世ですのでこちらも気を張っておるのです」
「確認なんていらないわよ。ここにいる彼が榎本様よ。榎本シンク!」
シャネルさん……たぶんあんた、分かって言ってるでしょ。
「はて?」
老婆は混乱したようだ。俺とシャネルの顔を交互に見比べて、険しい顔になった。
「なにか?」と、シャネル。
「申し訳ございませんが、本日、当宿は貸し切りとなっております。お引取り願えませんでしょうか?」
無理やり礼儀正しい口ぶりにしているが、その実、帰ってほしいということが如実に見て取れた。
「2人だけなのですけれど、部屋は1つもないかしら」
おいおい、アイラルンのこと忘れてるぞ。
「申し訳ありません」
「その榎本さんとやら、たぶん知り合いなのだけど。呼んでいただけない?」
「申し訳ございませんが――」
俺たちはあきらかに不審者だと思われたのだろう。
けれどシャネルの言っていることは本当だ。
おそらくこの宿を貸し切っているのは榎本武揚――タケちゃんだ。
きっと頼めば俺たちのこともここに泊めてもらえるだろう。それに、個人的にあの男とはゆっくりと話してみたいと思っていたんだ。
降って湧いたこの幸運を、つかむべきだろう。
――幸運?
変だぞ、と思った。俺が幸運だって?
ありえない。
なにか俺の運命とは違う、意思のような力を感じた。
「あれ、なにかあったの?」
宿の中から、赤ら顔をした男が出てきた。
その男は俺を見て、一瞬で笑顔になる。ニコニコだ。
「シンちゃん、来てくれたの!」
たぶんもう飲んでいるのだろう。
まるで玄関から倒れるようにして、裸足のままその男――榎本武揚は出てくるのだった。
昨日休みました、すいません




