577 おにぎりと待ち時間
それから俺たちはかなりの時間を待たされた。
待合室、ともいえないような掘っ立て小屋だ。
お城の方でどんな軍議が行われているのか分からないが、そのうちに空が暗くなってしまった。
もしかして俺たちの存在は忘れられてしまったんじゃないだろうか。そう心配になっていた頃に夕食が運ばれてきた。
若いお侍さんが「夕餉です」と、持ってきてくれたのだ」
「ドレンスからのお客の口に合うかは分からないのですが……」
お侍さんはどうも緊張しているようだった。
「ありがとう」
たぶん同い年くらいだろうなと思いながら、俺はタメ口だ。
「もうしわけない! 我々はあとどれくらい待たされるのですかな! 船に残してきた船員たちが心配なのですが!」
キャプテン・クロウがいつもの調子で大声をだす。
けれどそれは初対面の人からすれば恫喝するようなものに感じられたのだろう。
「ひいっ」と、若い侍は怖がるように後ずさる。
「我々はかなり待たされていますぞ! べつにすぐに会わせられないならば後日改めて来ても良いのです! いや、それよりも我々は無理にこの国のおえらいさんに会わなくても良いのですから!」
「えっと、その……すいません。あの、分かる人間に聞いてきます」
「頼みますぞ! 我々も暇ではないのですから!」
若い侍はもう一瞬でもこの場所にいたくないとばかりに慌てて出ていく。
「あーあ」
俺はその背中を入り口の方から眺めてため息をつく。
「あの人、帰ってこないわね」
シャネルも同じようなことを思ったのだろう。そう言いきった。
「あんなふうに脅すとね。俺ちゃんみたいな気の弱い人間だととくに逃げたくなるさ」
「キャプテンが大きな声を出すからですわ!」
「もうしわけない!」
ちょっとおだてて、軍議がどうなっているのか聞き出せれば良かったのに。
このままじゃあ俺たち、本当に明日の朝まで待たされることになりかねないぞ。
さきほど若い侍が持ってきた夜ご飯を手に取る。
よく分からない、薄い木の皮のようなものに入っているなにか……これが夜ご飯か?
「なんだ、これ?」と、俺。
「なにかしらね?」と、シャネル。
「朋輩、これ竹でできた入れ物ですわ! たぶん中は――ほら!」
アイラルンが包を開く。するとその中には握り飯が入っていた。それも2つも。
「おおっ! おにぎりだ!」
「なあに、これ?」
「米だよ、米」
「コメくらいは知ってるわよ。野菜の一種でしょ、ドレンスでだって育ててる場所があるわ。そうじゃなくて、この塊よ」
「見ての通りのおにぎり。ライスボールってやつだよ。ジャポネじゃあこうやって米を一かたまりにして食べるんだよ。パンみたいにメジャーな料理だぜ」
料理か、おにぎりって?
「そうなの。これ、手づかみで食べるの?」
「そういうこと」
俺はおにぎりを頬張る。
塩味がきいていて美味しい。
「おにぎりムシャムシャ、おにぎりムシャムシャ。美味しいですわ!」
アイラルンも元気におにぎりを食べている。
「ジャポネってもしかして思ったよりも野蛮な国かもしれないわ。ナイフとフォークもないなんて」
シャネルは妙なプライドがあるのか、部屋の隅っこに行った。と、思うと壁の方を向いて静かにおにぎりを食べだした。
なんだか不思議な感じだ。
薄暗い部屋の隅で、ゴシックでロリィタなファッションに身を包み、誰にも見られないようにこっそりとおにぎりを食べている美女。
まったく絵にならない。
生活感というのはなんだかなぁ、美とは対局にある表現なのだろうな。
「シャネルさんもそんな場所にいないで、こっちに来て食べればいいのに」
「私はいいわよ」
「そうなんですの?」
アイラルンはある意味でそこらへん、空気が読めないのでシャネルを誘おうとするが、あっちへ行けと追い払われた。
俺はさっさとおにぎりを食べてしまう。
しょうじき2つじゃ間に合わない。もう少し食べたい気分だった。
腹が減る、ということを経験するのは久しぶりに思えた。
俺はこれまでずいぶんといい暮らしをしてきたからな。
「お、榎本さん! 城から人が出てきましたよ!」
キャプテン・クロウはいつもそれを持っているのか、片目用の望遠鏡を取り出して城の方を見ていた。それで、人が出てきたのに気づいたのだろう。
「見張り役ごくろう様」と、シャネルもおにぎりを食べ終わったのだろう。
口の周りに米でもついてないかと思ったが、もちろんシャネルに限ってそういうことはない。
「どれくらいの人数います?」
「かなりですよ。この雰囲気なら軍議とやらは終わったのでしょうね!」
しばらくすると、俺たちのいる小屋の前をぞろぞろと人たちが通っていく。
なんだか偉そうな人たちがたくさん。
その人たちの中に榎本武揚――タケちゃんの姿もあった。
なんだか浮かない顔をしている。俺たちがこの小屋にいるのを知っているのか、こちらに歩いてようとした。だが、澤ちゃんと呼ばれた女性に止められる。
なにを言っているのだろうか。
耳をすませる。『女神の寵愛~聴力~』のスキルを使った。
『シンちゃんのとこに行くだけだよ?』
『ダメですよ! ただでさえ私たちは睨まれてるんですから』
『……分かったよ』
けっきょく、タケちゃんはそのまま他の人たちと一緒に去っていった。
そしてその後に、先程の黒ずくめの集団が。こうして夜に出歩かれると驚くほどに視認性が悪い。まるで闇に溶けているかのようだ。
数人で歩いているのに、足音もなかった。
怖い集団だった。
さて、それからしばらくしてだ。またさきほどの若い侍がやってきた。
「すいません、聞いてきました。いますぐに来いとのことです。案内します」
いかにもおどおどした様子だ。
俺は緊張しないでくれよ、というふうに笑った。
「はいはい、行きましょう。刀は? もって行っても良いのか?」
「もちろんです。刀は武士の魂ですから」
というわけで、俺たちは小屋の中から出た。
でかい月の出た、良い夜だった。
「最低な夜ですわ!」
と、アイラルンが憤慨する。
「どうしたよ?」
「あんな月して、こっちを見ているんですわ!」
「なに言ってるのよ、貴女。変な人みたいよ」
「人じゃないですわ!」
アイラルンは月に向かってぎゃんぎゃんと吠える。どう見ても変な人だ。キャプテン・クロウなんぞはもう他人であるというような顔をしていたのだった。




