571 無血開城、そして北へ
――江戸無血開城。
うん、知ってる知ってる。常識じゃん!
学校で習ったよ。詳しくは忘れたけど。えーっとなんかあれだよね、薩長同盟がどうとか。勝海舟がどうとか。坂本龍馬は関係あるのか?
ん?
ん???
そもそもそれ、西暦何年の話だった? 2000年代じゃないことはたしかなのだが。
「朋輩がとてもバカな顔をしておられます」
「なんだよ、そしたらお前は歴史に詳しいのかよ」
「どうしてわたくしがそんな人間たちの歴史を知っていなくてはいけないのですか!」
「だろう?」
「まあ、ただ江戸城無血開城は1868年のことですわ」
クソ、こいつ知ってたのか。
「なにそれ?」と、シャネル。
「江戸城を戦うことなく明け渡したんだよ」
俺はだいたいこういうことだよ、というふわっとした知識でシャネルに言う。
「明け渡したって誰に?」
「え……それは……」
詳しいことを聞かれると困る。だってよく分かっていないから。
「新政府軍にですよ」
そこへアイラルンが助け舟を出してくれる。
「新政府ってのがあるのね」
「そうそう、たしかそんな感じの話だった」
俺も調子を合わせる。
「現在、このジャポネではクーデターがおこっているようですわね」
「革命ね。私、そういうの好きよ」
「いやいや、シャネル。そうは言ってられない」
俺はとんでもないことに気づく。察する。
「どうして? 参加しましょうよ、革命騒ぎなら」
「無血開城のあとですので、大勢は決しておりますよ。それに……」
「それに?」
そこから先の言葉は俺が引き継ぐ。
「俺たちが軍事顧問に入ろうとしていたのは幕府側。つまり――」
「なるほど、もう負けたのね」
「そういうことだ」
と、自分で言ってから。
思った。
どうすんだ……これ?
俺たちもしかして無職なのでは?
「ねえ朋輩、わたくしたちこれからどうしますの?」
「ど、どうしよう」
「士官先がなくなったんじゃあ、どうしようもないわね」
ちらっとキャプテン・クロウがこちらを見る。
「榎本さん!」
耳元で叫ぶように名前を呼ばれた。
「やりませんよ、海賊なんて」
俺はなにを言おうとしているのか察して、先に言っておく。
「なんて、なんて酷い言葉ですよ!」
「そりゃあ職業に貴賎なしって言いますけどね。貴賤ってなんぞ?」
「貴さと卑しさのことを。職業というものに上下はない、という意味ね」
「尊いですわ……」と、アイラルンがわけのわからないことを言う。
ほんとうにどうするかな。
けれど俺は知っている。
ふっふっふ、と笑う。
「あ、朋輩が『げふふ』って笑ってますわ!」
「そんな笑い方してません!」
「なにかいい案でも出た、シンク?」
「もしも迷路で迷ったらどうすればいいと思う?」
「簡単ですわ! 左手方を使えば良いんですわ!」
「ま、それもあるね」
壁の左側にずっと左手をついて歩く、という効率の悪い言ってしまえば総当たりみたいな方法だ。けれど俺はいま、そういう話をしているんじゃない。
「壁を爆破して壊せば良いんじゃないかしら?」
「え、えらく力技だねシャネル」
解決法、なのか?
もちろんそういう話をしているわけではない。
「あのね、迷路で迷ったらどうするか。そう、スタート地点に戻るんだ!」
「そしてまた迷うわけね」
「朋輩は人生という迷路で迷っておりますわ!」
「あのねキミたち。俺がそれっぽいこと言ってるんだから茶化さないでくれよ」
まあ、つまりどういうことかと言えばドレンスに帰ろうと提案しているわけだ俺は。
そうする他ないだろう。
そもそもジャポネに入国もできないんだから。
「しかし榎本さん、それには問題があります!」
「なんでしょうか?」
「帰るための燃料、食料、水! その他もろもろが不足しております!」
「あちゃー」
もしかしてこれ、手詰まりか?
「明日食べる食料にも苦労する状況です!」
「そんなにですか?」
「基本的に潤沢な資源を積んでおいたのですが、どうも食料だけがとにかく減っておりまして!」
なんで?
と、思ったら。
「ヒュルル~」
アイラルンが下手な口笛を吹く。
まさか。
「おい、アイラルン」
「この人、1日に何食も食べてたもの」
「この疫病神が!」
「わたくし!? わたくしのせいですか!?」
「違うってのかよ」
「ちなみに水に関しては榎本さんが二日酔いだとかで毎日アホほど飲んでいたのでそのせいで不足しております!」
「朋輩ッ!」
「お、俺のせいって言うのかよ!」
しょうがないじゃないか、二日酔いのときってすげえ喉が渇くんだから!
「あなたたち2人のせいよ……」
「「ごめんなさい!」」
と、まあそのようなくだらない理由で我々は帰らないようだ。
「とりあえず補給だけは受けられないの? それだけでももらえば私たちはドレンスに帰れるわけだし、ジャポネ側としてもこの場所にずっと停泊されるよりも良いのじゃないかしら?」
「それなのですが、どうも革命政府はドレンス軍のつかいである我々のことをよく思ってないようで。返信を待っていてくれとは言われたのですが、あれは無理でしょうね」
「そうなんですか?」と、俺。
返事が返ってくるまで時間がかかるとは聞いていたけど。
「手はあるにはあるのです」
キャプテン・クロウは重々しい声でいう。
うわー、嫌な予感がするんだよな。
「なんですの? もったいぶらずに教えて下さいな」
「負けた旧幕府側が、北の方で抵抗しているらしいのです」
話がきな臭くなってきた。
「つまり?」と、先をうながす。
「その旧幕府軍に助けを求めれば、あるいは……」
「私たちに賊軍になれっていうの? いやしくもガングー・カブリオレの子孫たるこのシャネル・カブリオレに!」
あわわ、なんかシャネルさんが怒り出した。
「どうどう、ですわシャネルさん」
「良いじゃないの! どうせ初代ガングーだって最初は裸一貫からのスタートだわ。シンク、私たまにはそういう悪いことしてみたかったのよ」
「悪いこと、ってなあ」
そもそも俺たち、どっちかというとずっとアウトロー側でやってきたと思うのだけど。
「榎本さん、ではそれでいいのですね?」
「そうですね。ここにいてもしょうがないですから」
北か……寒くないかな。
「ではこれで決まりですね! 野郎ども、俺たちはこれより北に渡り旧幕府軍に合流するぞ!」
キャプテン・クロウが走っていき、海賊たちに事情を説明する。
しばらくするとドレンス国旗が降ろされた。それでどうなるのかと思えば、海賊旗があげられる。おいおい、こんな陸地の近くでと俺は驚いた。
見ればジャポネの人たちが驚くようにこちらを見ている。
「反体制側だから海賊旗ってことかしら? 安直ね」
「これくらいのほうが良いですわ!」
「うーん……」
「どうしたの、シンク」
「いやね、北ってのはどれくらい北なのかなと思って」
さあ、とシャネルは首をかしげる。そうだよね、知ってるわけないよね。
「楽しみですわー、北の方は食べ物が美味しいと聞きますわ」
アイラルンはなんだか無責任に喜んでるし。
ま、悩んだってどうにもならない。
海賊船は北に向かって出港するのだった。




