568 打倒クラーケン、そしてアイラルンの最期?
――グローリィ・スラッシュ。
ささやくように終えられた詠唱。
俺の刀は魔力を吸って鈍く、そして紅く光る。
これこそ『グローリィ・スラッシュ』の真の姿。
溜め込んだ魔力をただ放出するわけではなく、刀にとどめてそのまま斬る。そうすれば、なんだろうと斬ることができる、俺ができると思えば。
「シャー」
まるで壊れかけのハードディスクが鳴らすような音。
それがクラーケンの鳴き声だった。
触手がこちらに向かってくる。
それに合わせて俺は飛び上がった。
触手を斬ること、それは楽だ。だが俺が目指すのは違う。
「見えた」
敵へとつながる道だ。
俺は触手を走っていく。その先にはクラーケンの本体があるのだ。
もしもクラーケンに表情があればおそらく驚愕していただろう。
触手の上を駆けていく俺。それをなんとか迎撃しようとクラーケンは他の触手を伸ばす。だが伸ばされた触手同士がからまって俺へと攻撃ができない。
その間に俺は胴体にまで到達した。
跳躍。
クラーケンの眉間にあたる部分に刀を突き刺し、そのまま重力に任せて落下していく。手には斬った感触すらなく、しかしクラーケンは真っ二つになっていく。
水面が近づいてきた。
このまま落ちれば溺れるかもしれない。
ならば、と俺は右足から着水する。その瞬間に左足を前にだす。そしてその次の瞬間には右足を。
昔、どこかで聞いた冗談みたいな話だ。
水の上を歩く方法。右足が涼む前に左足を出す。左足が涼む前に右足を出す。そうすれば沈むことなく水面を走れる、と。
試してみたらできた。
水面を走りそのまま海賊船にもどる。けれど水面の方から甲板へと上がる方法がない。
――このままでは沈む、そう思った俺は海賊船のへりに刀を突き刺す。
さて、このままロッククライミングよろしく登っていくのもいいが、それでは船の側面がズタズタになるだろう。あいた穴から水が入っていくもしれない。
なのいでこの方法で登ることはできなかった。
「榎本さん! これを!」
上かロープがたらされた。
「ありがとう!」
キャプテン・クロウは自分のフックにロープを巻きつけて、俺のことを引き上げてくれるつもりらしい。
ロープを手に持つ。それだけではまずいかと思い、自分の体に巻きつけた。
「引き上げますよ!」
少しずつ、俺の体があがっていく。
見れば数人の海賊も手伝っているらしい。
俺は振り返り、クラーケンを見た。
やはり、というべきかクラーケンの体はボロボロと崩れ去り、もとからそこには何もなかったかのように消えていく。これまで何度か幻創種を倒してきたが、たいていはそうだった。
もっともだいたい『グローリィ・スラッシュ』で消し去ってきたから消えたかどうかは分かりにくいのだが。
甲板に引き上げられた俺。
「榎本さん、お疲れさまです」
「ああ」
本当ならば喜ぶべき勝利なのだが、みんな顔が沈んでいる。
何人もの人が死んだのだ、素直に喜べない。それに――。
「アイラルン、アイラルン! 起きなさい、起きなさいよ!」
必死で叫んでいるシャネルを見れば、喜ぶことなどできっこない。
俺は深呼吸をする。覚悟を決めてからゆっくりとシャネルと、そして両腕をなくしたアイラルンに近づいていく。
「シンク! ダメなの! もう魔力がないの!」
珍しく、シャネルが取り乱している。
「分かってるよ」と、俺は優しく言った。
アイラルンはまだ生きているようだった。
目をほとんど閉じている。口が小さく動いて「朋輩……」とつぶやいた。
「アイラルン、痛いか?」
と、俺は聞いた。
もっと聞かなければならないことがあったかもしれないが、それくらいしか言えなかった。
「痛み……なくなって来ましたわ。それより朋輩、敵は?」
「倒してよ。あんなやつ、ちょっと本気を出せばちょちょいのちょいさ」
俺はその場に片膝をついて、アイラルンと目を合わせた。
アイラルンは少しだけ嬉しそうに笑って、目を閉じる。
「アイラルン、ダメよ! 意識をしっかりもって!」
「シャネルさん……少し、黙って、ください、まし。わたくし、いまとても眠いの……」
「アイラルン!」
俺はシャネルの肩にそっと手を置く。
もう無理だ、と思った。
どうにかしたいが、どうにもできない。そう思った。さっきからずっと嫌な予感がするのだ。
嫌な予感が……。
それは敵と戦う前のものではなく、なんというか、悲しい予感だった。
「朋輩、最期に1つだけ言っておかなければならないことが……」
「なんだ、アイラルン?」
「このまえ……朋輩のワインを1つ飲んでしまいました」
「知ってるよ、お前顔を真っ青にして廊下で寝てたからな。1本まるまる飲んだんだろ? 気をつけろよ、お前は弱いんだから」
「……はい。それとシャネルさんも」
「どうしたの、アイラルン」
「この前……服の裾に足を引っ掛けて転けてしまいました。そのとき……少し服がやぶれてしまって」
「アイラルン、貴女だったのあれを破いたの! ……い、いいわ。許すわ」
最期だから、とアイラルンは懺悔する。
シャネルがまさか服を破られて許すとは、と俺は少々驚いた。
シャネルの場合だったら、今際のきわだとしても自分の服を汚した、あるいは破いた相手を殺す、それくらいに思っていたのだ。
「許して……くれるんですの?」
「え、ええ」
シャネルの笑顔は引きつっている。
偉い、偉いぞシャネル!
俺はシャネルに感心した。その瞬間、嫌な予感が強くなった。
「ありがとうございます、ですわ。朋輩、そこの腕とってくださいませ」
なんだかアイラルンの声が少し元気になった気がする。
「どうぞ」と俺は肉体から離れた腕を渡す。
「それ、ここにつけてくださいまし」
ニコニコしている。
つける? と、思いながら俺はアイラルンの肩くらいの部分にちぎれた腕を近づけた。
すると……。
ニョニョニョ。
変な音がしてアイラルンの腕がくっついた。
「よいしょっと」
さっそく、ついた手でもう一方の手を掴み。ニョニョニョ。またくっつく。
俺とシャネルは絶句した。
「はい、元通り」
「いや、アイラルン……お前」
死ぬんじゃなかったの?
「なんですの?」
「お前を心配した俺がバカだったよ」
俺は呆れてしまう。
だが1人、それではすまさない女がいた。
「おほほ」と、口では笑いながらも目は笑っていないシャネル。
「どうしましたの、シャネルさん」
「アイラルン、良かったわね。手が治って」
「はい! わたくし女神ですのでこれくらいなら治りますわ!」
「そう、なら大丈夫ね」
なにが? と、アイラルンが首を傾げた瞬間だった。
突然シャネルがこぶりなナイフを取り出し――アイラルンの腕に突きつけた。そのままギリッ、とひねって肉に深く食い込ませる。
「いだいいだい! 痛いッ!」
「これくらいなら治るのでしょう?」
「な、治っても痛いものは痛いんですわ!」
はあ……。
俺は1人でため息をつく。
嫌な予感は、これだったのか。シャネルが怒っている、これは長引くかもしれない。
「榎本さん?」と、キャプテン・クロウは目を丸くしている。「あれは大丈夫なのですか?」
「いいんですよ、ほうっておけば」
俺はそう言って、酒盛りでもしましょうやとキャプテン・クロウに提案した。
「痛い痛い! 朋輩、助けて! わたくしを助けて!」
自業自得だ。
シャネルは気が済むまでアイラルンに制裁を加えるつもりだろう。
「痛い痛い!」
だが、俺には関係ない。
アイラルンの絶叫が広い海に響く。
もうこりごりですわ~。




