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558 ジャポネ行き


 決意をした俺は、次の日にはガングー13世のいる宮殿へと向かった。


 朝早くからだったのでアイラルンは眠っており、シャネルと一緒に行くことになった。


 それにしても俺は何年もシャネルと一緒にいて、彼女が寝ている姿をほとんど見たことがない。世の中にはショートスリーパーという人がいるらしいけど、シャネルがまさにそうなのだろう。


 俺がもといた世界でも、ナポレオンなんかが1日に3時間しか寝ていなかったなんて話を聞いたことがある。


「それにしてもあの女神様、1日に何時間くらい寝てるのかしら?」


「さあ、知らないけど。でもあいつ、昼夜逆転しかけてるよな」


 少なくとも昼まで寝ている。下手したら夕方くらいにのそのそと起きてくるくらいだ。


「シンクはああなっちゃダメよ」


「ならないよ。それに今から俺たちはジャポネに行くんだ、あっちにいけばきっと大変になる。ちがうか?」


「どうかしらね。でもいままでの旅だとたしかにいつでも忙しかったわ」


「だろう? だからさ、アイラルンも許してやれ。いまだけだよ、あんなぐうたらしてられるのは。いまに忙しくなる」


「ふん、シンクはまたあの女神様の肩を持つ」


「そんなわけじゃないさ」


 宮殿に行くと、門のところで止められた。


 それもそのはず、今日はアポ無しで来たのだから。もちろん入れてもらえるわけがない、普通ならば。


 けれど俺が榎本シンクであると說明すれば話は違った。


 すぐに確認がとられ、門が開かれる。中から案内の人たちが来たが、それは断った。


 べつに宮殿の中を全て知っているわけではないが、ガングー13世のいる場所くらいは分かっている。


 ということで、2人だけで執務室へと行く。


 俺が執務室の扉をノックするとガングー13世はわざわざ扉を開けてくれた。


「榎本さん、いらっしゃい」


「おはようございます、すいません突然おしかけて」


「良いんですよ。とはいえ、いきなり報告されたときはびっくりしましたがね」


「こういうのは早いほうが良いかと思って」


「と、いうことは? あ、いいえ。とりあえず入ってください」


「お邪魔します」


 ガングー13世の執務室はいつ来ても変わらないように思える。


 どこか無機質な、無駄をはぶいた部屋。装飾品もあまりなく、こんな場所に終日いたら精神的に疲れてしまいそうだと思った。


 けれどガングー13世の表情は穏やかだ。


「最近少しだけ暑くなってきましたね」


「そうですね」


「聞いた話ではジャポネの方はこれから涼しくなるそうですよ、いいですね」


「はい。それで、俺、行くことに決めました」


 ガングー13世はコクリと頷く。


「ありがとうございます。誰かを派遣しなければならない問題でしたからね、さまざまな戦地で活躍してきた榎本さんなら適任でしょう」


「活躍、してましたでしょうか?」


「ええ、大活躍ですとも。本当のところを言えば榎本さんのことを手放したくないくらいなのですが、しかし榎本さんが現在のパリィにいるのは少しだけ問題があるかもしれませんね」


「……はい」


「エルグランドも安心するでしょう」


「あいつが?」


「心配していたのですよ、榎本さんのことを。このままでは貴方が潰れてしまうのではないかと。私もそう思いました」


「俺も」苦笑いする。「同感です」


 たぶん俺は他人から期待されるのが苦手だ。


 いままでも何度か期待されて、そのたびに答えようとしてきた。


 それは言ってしまえば期待というものに対する弱さの裏返しだ。


 他人からの期待を裏切ることができないから、必死で期待に答えようとする。


 けれどもし、到底越えられないほどの期待をされれば?


 俺は潰れてしまうだろう。


「いつから行きますか?」


「それを俺に聞くんですか」


「ええ。実を言えば出港は待たせてあるのです、貴方のために」


「俺のため? いや……これは迷惑をかけました」


 頭を下げる。


 たしかにガングー13世にこの話を持ちかけられたとき、返事は早くしてほしいと言われていた。あれからしばらく時間がたっていた。


「良いのですよ。急かすようなことはしたくありませんでした。榎本さんがちゃんと納得のいくかたちでジャポネ行きを決めてほしかったのです」


「恩着せがましいわ」と、シャネル。


「いや、ありがたいことです」と、俺はもう1度頭を下げる。


「なのでいつでも良いですよ。もう少しくらいなら待たせてもかまいません」


「いえ、早く行きます。明日にでも」


「良いのですか? 他の人たちに挨拶など……」


「このあと、この脚で回ってみます。もっともあまり知り合いもいませんから」


「悲しいことを言わないでください。まあ、あまり大勢の人に話すべきことではないのかもしれませんが。分かりました、でしたら明日……というのはさすがに性急すぎますので、明後日の出港としましょう。連絡をしておきます」


「はい」


「どこの港から出るの? まさかテルロンだなんて言わないわよね」


 シャネルが質問する。


 もっともだ、俺はそんなことも気にしていなかった。やっぱりダメだな、シャネルは俺と違って地に足つけているから、そういうことにも気がきくのだ。


「いえ、サンタクポランの港からです」


「あら、思ったよりも近いわ」


 近いのか?


 よく知らないが、まあいいや。


「では榎本さん、ご武運を」


「はい」


 ガングー13世は忙しいようで、まだ少し居てくれと言ったが俺たちの方から断った。


 あまり迷惑をかけてはいけないと思ったから。


 それから、俺は知り合いのところを回った。


 とはいえ、知り合いなんていないに等しいのだが。


 ミナヅキに挨拶をしてきた。


「そうか、ジャポネに行くのか」


「うん」


「俺は行ったことがないな。土産を頼むぞ」


「帰ってくるか分からないぞ」と、半分冗談で言ってみる。


 でもその可能性だってあるんだ。俺はなんとなくだが、勘でだが、ジャポネに行けばなにかある、大変な問題があると思っていた。


「大丈夫だろう、お前なら」


 ミナヅキは簡単に言ってくれる。俺は苦笑いだ。


「そういえば――」


 そのあと、ヨツヤくんの墓参りに行った。


 ヨツヤくんは俺やミナヅキと同じように異世界に来た男だ。もっとももう死んでしまったのだが。けっこう有名な人形師だったらしい。


 俺が会ったのは死ぬ少し前だったけど。


 パリィの共同墓地は広い、ヨツヤくんの墓を見つけるのは大変だった。少し忘れている部分もあったから。


 ヨツヤくんの墓には真新しい花がそなえられていた。それはたぶん、あの人形がそなえていったのだろう。


「ついでに私、お兄ちゃんの分も冥福めいふくを祈っておくわ」


「ついでかよ」


「だってお兄ちゃんのお墓なんてないもの」


 俺はその場で目をつぶって手を合わせた。けれどシャネルはまるで口笛でも吹きそうなくらいの軽い調子で微笑んでいるだけだった。


 けっきょく、挨拶だのなんだのと言って俺がやったのはそれだけ。


 生きている人間が1人と、死んだ人間が1人。


 なんだかなぁ……。


 それからアパートに帰ると、アイラルンが道でタイタイ婆さんと話をしていた。


「なんの話してるの?」


 と、俺は聞いた。


「あ、朋輩! ちょっと聞いてくださいまし! このババアがわたくしの手相を見て運気が最悪だと言いますのよ!」


「ワシはウソはつかんよ」


「だまらっしゃい! 訂正しなさい!」


「いや……あんた因業の女神だろ」


 なに言ってんだ、こいつ?


「手相ってなに?」


 シャネルはどうやら手相を知らないようで首をかしげている。


「手のシワでやる占いだよ」


「そうなの、初めて聞いたわ」


「わたくしの手相は最高ですわ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐアイラルンは、しかしいきなり黙った。


「あら、朋輩? 決めましたのね」


 なんでもお見通しですわ、とアイラルンは俺を見た。


「決めたよ、出発は明後日だ。アイラルン、お前はどうする?」


「もちろん一緒に行きますわ」


 だと思った。


 さて、ジャポネ行き決定だ。


 はたしてこれからどんな困難が待ち受けているのか。


 暇になることはなさそうだけどね。


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