551 シャネルとお出かけ2
明かりが落ちると、ざわついていた座席が静かになった。
俺たちはボックス席なので小声でなら話しをしても周りの迷惑にならない。
「そろそろね」
「なんか緊張してきた」
「シンクは緊張しなくても良いじゃない、べつに出るわけでもないんだから」
「いや、間接的に出るようなもんだろ。なんだよ俺が主役って。え、これ著作権とかどうなの? なんかそういうモデル料とか発生しないの?」
「さあ、脚本家を訴えたらもらえるかもしれないわよ」
「でもそれやったら俺の評価下がらない?」
「下がるでしょうね、新聞とかですごい叩かれるわよ」
「それは……嫌だな。とにかく目立ちたくないんだけど」
「そうは言ってもね、シンク。貴方のこと、みんなが知りたがってるのよ。さきの戦争で抜群の功績を上げた謎の男、榎本シンク。冒険者だってことはみんな知ってるらしいけど」
個人情報の保護とかないんっすか?
「ギルドとかにみんな聞きに行ってたりするのかな」
「と、思ってね。ギルドを見に行ってみたのよ、さっき。チケットを買いに行くついでに」
「で、どうだった?」
シャネルはニヤニヤと笑う。
「どうだったと思う?」
「教えてくれよ」
俺はもうすがりつきそうなくらいの気持ちでシャネルに聞く。
そしたらシャネルは教えてくれた。
「ギルドの人たち、けっこう口が硬そうだったわよ。そもそもあそこはならず者の寄り合い所だわ。中まで行ってシンクのことを聞こうとする人も少ないみたいだったわ」
「そ、そうか」
それはホッとした。
「もっとも、シンクの情報を売ってるなんていう胡散臭い情報屋もいたけど」
「なんだそれ?」
「焼いておいたわ」
「え?」
いまなんかすごいこと言わなかったか?
怖いのでそこから先は聞かないでおこう。
指揮者が出てくるとお決まりの拍手がおこる。シャネルは面倒そうに少しだけ手を叩くと、すぐにやめてしまった。けれど俺はパチパチと叩き続ける。半分やけくそだ。
「ボックス席って、思ったよりも舞台が見にくいのね」
「だね」と、俺。
俯瞰するように見ることになるから全体は見えるけど、上から見る必要があるから臨場感にかける。
幕が上がり、楽団が音楽を奏でる。最初は滑稽な音楽からだ。それに乗じて緩んだ顔をした男が出てきた。表情はかなりアホっぽいが、目鼻立ちはかなり整っている。
演技だろう。
すごいもんだ、演技ってのは。ブサイクがそれなりに見える顔にすることだってできるが、その逆だって可能なのだ。とんでもないイケメンでも、あんなアホな顔ができる。
え、俺?
俺はいつもアホな顔してるから。
「自分で考えてて悲しくなってきた」
「なにが?」
「いいや、なんでもない。それで、あれが榎本シンクさん?」
「でしょうね、当節きっての人気演者よ」
「俺の方が格好いいよな?」
「ふふふ」
あ、笑って流された!
舞台上のアホ面男はなにやら棒っ切れを振り回しながら口笛を吹いている。と、思ったら「俺は榎本シンクだよ~」なんて、妙な調子の歌で自己紹介を始めた。
それで席から笑いがおこる。隣のシャネルもクスクスと笑っている。
なぜか笑いものになっている俺――間接的に――は、ちょっと不機嫌だ。
さて、今回のオペラだが。どうやらかなり長いようだ。3時間弱はあるということで、途中で休憩も挟まれる。
「シンク、これいる?」
シャネルがオペラグラスを差し出してくる。
メガネ、と言えばいいのだろうか。といっても耳にかけるタイプではなく、レンズの横に棒がついているのだ。片手持ちの双眼鏡と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
「いや、裸眼で見えるよ」
「すごいのね、目がいいのね」
「まあね」
オペラの筋は驚くほどに簡単なものだった。
冒険者、榎本シンクが義憤にかられて志願兵としてドレンス軍に入隊する。そこでメキメキと頭角を現し部隊長に抜擢される。
そしてかの初代ガングーが戦った場所と同じテルロンの地で劇的な勝利をあげる。
「なるほどね」と、俺は感心する。「よく調べてある」
「ねえ、シンク。ちょっと気になったのだけど」
「どうした?」
「私、出るのかしらこの舞台に?」
「え、知らんよ。そこらへんはなんか聞いてないの?」
「さあ? でもヒロインとのラブ・ロマンスはオペラじゃ必要不可欠だわ。それ相応の美人じゃなくちゃ承知しないわよ」
「そもそも出るのか?」
ストーリーは進んでいく。
榎本シンクはテルロンで勝利したあと、ノルマルディ地方へと転戦する。そこでルオからの援軍とともに海から攻めてきたグリース軍を撃退。
少し面白かったのは、ルオの人間たちと俺の関係だ。どうやら俺がかつてルオで馬賊をしていたことは調べられなかったようで、俺とティンバイはまったく面識がないという状態で出会ったのだ。
そこで互いに反発し合いながらも戦いの中でお互いを認めていく。じつに少年漫画チックな筋立てとなっていた。
「なんか勝手な内容だよな」
「そうね」
「ま、俺とティンバイのことを事実に基づいて好き勝手書かれるよりはマシか」
よく考えてみれば、そもそもルオの国でも『小黒龍』として辻講釈の主役になってたんだよな、俺。
それが大掛かりになったようなものか。
諦めることにした。
そこから先の内容はさらにハチャメチャだった。
そもそもグリースに行ってからのことはほとんど軍事秘密のような扱いなのだろう。
なぜか知らないが俺は単身でグリースに渡り、そしてたった1人で魔王を倒したことになっていた。しかも、グリースでよくわからないパッと出の女の子といい関係になったりして。
もうなにがなんだか分からなかった。
とはいえ大団円。
物語は最後、榎本シンクが魔王を倒したところで終わる。そこにはすでにアホ面をしていた男はおらず、数々の苦難を乗り越えた勇者が立っていた。
だが俺は思った。
「あれは俺じゃないよ」
「そうね」
「隣にキミもいない」
「ええ」
「誰にも手を借りずに生きていくことなんて俺にはできない」
「自己分析もちゃんとできてるわね」
オペラが終わっても、俺は拍手をする気にはなれなかった。
なんだか胸の中にモヤモヤとした気持ちがうずまいていた。
「シンク、あれがこれからの貴方よ」
「え?」
「パリィの人たちが想像する貴方が、あそこの舞台上に立つ男よ。これから貴方は無責任にもああいう態度をとることを強要されるわ」
「そんなの無理だよ」
「でしょうね。というかね――」
「うん」
「なんで私がいないのよ」
人間、他人になることなんてできない。
だというのにその人になれと言われも無理なのだ。
無理をしようとすれば、道理が引っ込むってもんだ。
「なあ、シャネル……」
「なあに?」
「ジャポネ行き、真面目に考えてもいいかな?」
シャネルは初めからそのつもりよ、とでもいうように俺の頬を撫でるのだった。
ここはボックス席だ。
少しくらい密着していても文句は言われない。




