548 浮かれポンチのアイラルン
馬車は宮殿へと到着した。
そのまま正面玄関の前までつけてもらえる。普通ならば馬車用の駐車場があるのだが、それを前まで持ってきてもらえる。これはビップ対応というやつだろうか。
俺とシャネルは普通に馬車から降りた。
けれどなにを思ったのか、アイラルンは馬車から降りずに「よっこいしょ」と言いながら馬車の上へとよじ登る。
その上で仁王立ちして、ほがらかに笑った。
「朋輩、ご存知ですか!」
「なにを?」
「高いところへ行けば遠くがよく見える。ときには発想の転換も必要ですわ!」
「……なに言ってんの?」
あんまりに驚いてしまって、ちょっと発音がおかしくなった。
ナニイッテンノ?
「ほら、あれよシンク。バカと煙と女神は高いところに登るってやつ」
「なるほどな」
「わたくしはバカではありませんわ! 愛らしい生きとし生けるもの全ての生命へと、含蓄ある言葉――つまりはアドバイスをしているのですわ!」
なーんかな……。
「なあ、アイラルン」
「なんですの?」
アイラルンは馬車から降りない。
「お前、この世界に来てからバカになってないか?」
「なっておりません」
「たぶん浮かれてるのよ」と、シャネル。
「浮かれてるのか?」と聞いてみる。
「はい、浮かれております!」
すげえいい笑顔で答えられた。
それはもう素晴らしいまでの満面の笑みで、不覚にも美しいとすら思ってしまった。そうだった、この人こんなだけど女神なんだった。
「シンク」
シャネルに手を手の甲をつねられた。
「すいません」
「浮気よ」
「そういうつもりじゃないんだって」
アイラルンはいそいそと馬車から降りてきた。
御者の人は見るからに迷惑そうな顔をしていたが、アイラルンはまったく気にした様子もなかった。
「さて、行きましょうか」
「はあ……シンク、やっぱりこの女神捨ててきた方が良いんじゃない?」
「まあまあ、もう少し様子見しようよ。アイラルンも、あんまり浮かれるなよ」
「分かりましたですの!」
あきらかに浮かれている……。
なんだよ、『ましたですの』って。それ言葉として正しいのか?
浮かれちぎったアイラルンは宮殿の中へと入ろうとする。もちろん扉の前には衛兵がいる。
「開けてくださいませ」
と、言うが。
「あの、どちらでしょうか……来るのは榎本様とシャネル・カブリオレ様だけと聞いておりますが」
「あら、わたくしのことご存知ありませんか?」
「失礼ながら……」
うわぁ、衛兵の人困ってるよ。
あんなに自信満々に言われたらどこぞの貴族かなにかかと思うだろう。
そうだとしたら失礼をすれば衛兵さんの首がとぶかもしれない。
「知らないんですの、このわたくしを?」
「お、お目通りをしたことはあった気が……」
「あら、この高貴なわたくしを見たことが?」
「ある気がします」
「でしたらここ、開けていただけますわよね?」
「はい。おい、扉を開けろ!」
あーあ、衛兵さん。アイラルンに丸め込まれて扉を開けちゃったよ。
いちおう擁護しておくが、アイラルンはそれなりに高貴な雰囲気をまとっている。
高位の修道者のようなローブを着ているのも相まって、かなりマトモに見えるのだ。
ちなみに……ローブの下は……童貞には刺激が強い感じでした。これはまた後で。
「あの人、ちょっと好き勝手やりすぎじゃない?」
「人じゃないからね」
「揚げ足をとらない」
「すいません」
アイラルンはなにがそんなに楽しいのか、ニコニコと笑いながら宮殿の中へと入っていく。
俺たちもそれに続くが……なんだかなぁ。
ふと、ふと思ってしまったのだ。
アイラルンのあれは、もしかしたら虚勢を張っているだけではないのだろうか? 魔力も枯渇し、この世界にとらわれ、いままでの力は何一つなくなり、人間に頭を下げてまで頑張っている。
そう思うとなんだか哀れにすら思えてしまった。
「はあ? ここにディアタナの絵が飾ってありますわ。こんな悪趣味なものさっさと撤去すればいいのに。ビシビシ」
自分で効果音を口にしながら絵画を殴っている。
ああ、これぜんぜんこたえてないわ。
一瞬でも哀れに思った俺がバカでした。
「おい、アイラルン。さっさと行くぞ」
「放っておきましょうよ」
「そうもいかんだろ、あそこに放置したらなにしでかすか分からねえからな」
「シンクはあの女神に甘いわ」
「そうかな」
「そうよ」
わりとこのヴェルサイユ宮殿には何度も来ているので、ガングー13世の執務室の場所くらいは覚えている。俺たちは案内もなくそこへ行く。
執務室の前にはエルグランドがいた。たぶん俺のことを待っていたのだろう。
「馬車が出てから、ずいぶんと時間がかかりましたね」
挨拶もなしにいきなりお小言だ。
「ちょっと道が混んでてね」
「そんなわけないでしょう。王家の紋章をつけた馬車が通って、道を開けない者などいません」
冗談の通じないやつ。
「こっちにだって準備があるんだよ」
「榎本シンク、あなたに準備があったとはね」
「うちの王女様がな」
エルグランドがシャネルに対して小さく舌打ちした。この2人、まあ会うたびに言い争っているのだ。もっともそこまで仲が悪いわけではないと思いたいが。
「それで、そちらの人は?」
とうぜん、アイラルンを気にするエルグランド。
「あー、彼女はあれだ。親戚のお姉さんだ」
適当に答える。
「親戚? そうなのですか? ジャポネの人には見えませんが」
「あれ、俺ジャポネから来たって言ったことあったか?」
どうだったかな……覚えてないな。
「違うのですか?」
「まあ、そういうことになってるけどね」
このさいなんでもいいや。
「はっきり言って、関係のない人間は入れたくないのですが」
「まあまあ、そう言わずに。なんていうんだ、彼女は関係者だから」
「なんの関係があるというのですか」
くそ、強情なやつめ。素直に入れてくれりゃあ良いものを。
「シンク、私がこの人と外で待ってましょうか?」
「えー、わたくしも中に入りたいですわ!」
話がこんがらがる! コんガらガっちだ!
「とりあえず名前を名乗りなさい」
「えーっと、アイですわ!」
お、偉い。
しれっと偽名を名乗ったぞ。
アイラルンだから『アイ』なのか?
と、思っていたら、
「いえいえ朋輩、アイラルンってアイラブユーに語感が似てるでしょう?」
「人の思考を勝手によまないでくれ!」
怖いから!
「これは失礼しました。でもほら、愛ってこの世で一番素晴らしいものですわ。なのでこの世でもっともすばらしいわたくしに相応しい名前ですわ」
「はあ……」
露骨にため息を付いてしまう。
シャネルも頭が痛そうだった。
「まあ、見ての通り少し頭のおかしい人なんだ」
「そ、そうですか……」
エルグランドも少し引いてるみたいだ。
「危害を加えるようなやつじゃないから、一緒に入れてくれ」
「大事な話なのですがね……」
「大丈夫ですわ、わたくし口はかたいので!」
さすがのエルグランドも根負けしたのか。
「妙なことをすればすぐにつまみ出しますからね」
と、エルグランド。
「分かりましたわ!」
ニコニコのアイラルン。
「では榎本シンク、中へ入りなさい。ガングーが待っています」
「はいはい」
「返事は一度にしなさい、だらしのない!」
えー。
エルグランドさんなんか俺にだけ当たり強くないですか?
まあいいや。
俺たちは執務室へと入る。




