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547 タイタイ婆さんの秘密


 知らぬは亭主ばかりかな。


 そんな言葉があるけれど、俺の場合は断じてシャネルの亭主ではないわけで。


 俺はシャネルの全てを知っているわけではない。そもそも知ろうとも思わない。


 たぶん知ったら俺はシャネルのことを好きでいられないだろうな、とすら思う。


 それくらい、シャネルの精神構造はカオスなのだから。


「ねえ、朋輩」


「どうした」


 俺たちはアパートの下で待ちぼうけをくらっていた。


「わたくしって女神ですわよね? ご存知でしたか?」


「ご存知でしたわよ」と、俺はおどけて答える。


 それでアイラルンは少しだけ鼻白はなじらんだ。


「普通待たせます? わたくしのことを」


「こんなの日常の一コマだって。シャネルと付き合っていくならな」


「むうっ……」


「まあでも、シャネルもいつもより急いでるとは思うぞ」


「本当ですか?」


「部屋から出るとき見ただろ、2つの服で悩んでた」


「ですわね」


 シャネルは右手に黒いゴスロリ・ドレスを。そして左手にも黒いゴスロリ・ドレスを。それどっちも同じではないのか? というのはきっと素人考えだ。シャネルの中には確固たる違いがあり、そのどちらかをそれこそ命がけにも思えるほどの真剣さで考えているのだ。


「いつもならな、あれは3着とか4着の中から選んでるんだ。だからそうとうに時間がかかる」


「ほうほう」


「でも今日は2つだったろ。まあ、しばらくすれば出てくるさ」


「さすが、勝手知ったる仲ですわね」


「褒めてる?」


「いえ、だというのに童貞のままだとバカにしております」


「うるせえ!」


 誰のせいで童貞だと――。


 アイラルンは言っていた、俺が童貞であることにも理由があると。


 むしろそんな男だから俺のことを選んだのだと。


 現在、俺たちはこうして1時間ほど待たされていた。ついでに言えば俺たちだけではなくて、馬車の人も待たされていた。


 宮殿からわざわざ使いに出された馬車。それを平然と待たせるシャネル。世界は自分を中心として回っていると本気で思っているのかも知れない。


「あれま、あれは……」


 ふと、アイラルンが辻でテーブルを広げている老婆に注目した。


 それは俺たちが住む裏路地のアパートを管理するタイタイ婆さんだ。いつの間にそこにいたのか、まったく分からなかった。気配がなかったのだ。


 いつも辻で占いをしており、俺も何度か無料で占ってもらったことがある。


「タイタイ婆さんだよ。アイラルンも占ってもらうか?」


 運命を見てもらう、と言っても女神にそういうものがあるのか知らないが。


「はあ……朋輩は抜けておりますね」


「え?」


「朋輩、あの老婆といままで一緒にいて、1度でもスキルを見たことがありまして?」


「え、スキル?」


「はい。朋輩には『女神の寵愛~視覚~』のスキルが早くから備わっていたでしょう?」


「まあね、でもあれ疲れるからあんまり使わないんだよ」


 それに人様のスキルを勝手に覗き見るというのはいい趣味ではないと思っている。


「とりあえず見てみない。そしたら新しく分かることもあるでしょう」


「そこまで言うなら……」


 俺は気持ちを切り替えるように目を閉じた。


 まるでルービックキューブを回すような不思議な感覚とともに、目玉がぐるりと回って眼差しが切り替わる。


 その目でタイタイ婆さんを見つめた。


『不老不死』

卜占ぼくせん


 そして驚いて、一瞬でいつもの目に戻った。


 俺としてもあまり使い慣れていないスキルだ。ちょっとした拍子ですぐに戻ってしまう。


「ななな、なにあれ!」


「ね、すごいでしょう?」


「いや、すごいどころか……え、不老不死?」


「あれこそが朋輩の復讐相手が欲して世界中を探し回っても見つけることのできなかったスキルですわ」


「復讐相手、金山か?」


「はい。彼は不老のスキルまでは得ることができましたが不死のスキルは見つけることができませんでした。それで他のスキルをたくさん手に入れて、その代用品にしていたのです」


「あいつ、そんなに生きてなにがしたかったんだろうな?」


「さあ? でも朋輩を待っていたのかもしれませんわね」


「気持ち悪いこと言うなよ」


 それよりもタイタイ婆さんの方がいまは気になる。


 どういうことだ? この婆さん、たしかにタダ者ではないと思っていたが。


 アイラルンはゆっくりとした足取りでタイタイ婆さんに近づく。


「お久しぶりですわね、御老体。元気そうでなによりですわ」


「おや、これはこれはアイラルン様。おかげ様でなんとかやらせてもらっておりますよ」


 そしてまさかの知り合いだった。


 と、思ったら。


 バンッ!


 と、アイラルンは低いテーブルの上に片足を乗せた。なんだか一昔前のヤンキーみたいだ。


「貴女がここにいるということは、朋輩の監視ですわね?」


「さあ……どうでしょうか」


「とぼけるのはおやめなさい! あの小憎らしいディアタナに頼まれて、わたくしの朋輩を監視していたのでしょう、そうでしょう!」


「お、おいアイラルン。落ち着けよ」


 なんだか話の展開が早くてついていけない俺だ。


「ディアタナ様にお会いしたのもずいぶんと過去のことです。あれはもう200年も前でしょうかね」


「あの女に関しては何百年前だとかは関係ありませんわ!」


「でしょうね。しかしアイラルン様がこの世界に現界されているとは。ガングーが死んでからこの世界はまことつまらないものとなりましたが……あるいはまだ何かあるのでしょうか?」


「白々しい。貴女がディアタナと通じていないとしても、分かることはあるでしょうに」


「ええ、ええ。新聞などでも活躍は知っておりますよ」


 タイタイ婆さんは俺をちらっと見た。


 いままでそんな素振りまったく見せなかったくせに俺のことはよく調べていたらしい。


「なんか照れるね」


「朋輩、この老婆はディアタナの手先ですわ!」


「でもそういう感じじゃないって言ってるじゃないか。タイタイ婆さん、儲かってるか?」


「まあぼちぼちですよ」


 アイラルンはしつけのなっていない犬のようにタイタイ婆さんを睨んでいる。


 やれやれ、狂犬だな。


 そんなことをしているとシャネルが降りてきた。


 どうやら右手に持っていた方の服を選んだようだ。


「お待たせしました」と、いちおう言っておくわというふうにシャネルは言う。


「そっちにしたんだ、似合ってるね」


 と、俺はもいちおう言っておくというふうに褒めておく。


 そうするとシャネルはすごい喜んでくれるから。


 でも喜んでいるシャネルは素敵すぎるので直視できない、目をそらしてしまう。


「嬉しいわシンク。ありがとうね」


「う……うん」


「それよりアイラルン、貴女どうしてタイタイ婆さんをイジメてるの? アパートから追い出されたいの?」


「イジメてませんわ! むしろわたくしがイジメられてますわ!」


「そうなの、シンク?」


「どうだろうな」


 もう疲れたので適当に答える。


「むーっ! わたくしはお2人のことを思って言っていましたのに!」


「そうなの、ありがとう」


 シャネルも流すことにしたようだ。


 つかつかと馬車の方へと歩いていく。俺もそれについていく。


 アイラルンはまだタイタイ婆さんになにか言いたそうだったが、おいていかれては困ると急いでついてきた。


「ちゃんとやるんだよ、榎本シンク」


 タイタイ婆さんが、なぜか俺のフルネームを呼ぶ。


「え?」


 それがどうも耳に残って、立ち止まるり振り返る。


「シンクどうしたの、行くわよ」


「あ、うん」


 タイタイ婆さんはテーブルの前に座っていた。


 もうこちらの方は見ていないようだった。


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