546 プロローグ
あるとき、俺はガングー13世に宮殿に呼ばれた。
呼ばれたので無視することもできないけれど、すぐに行っては暇だと思われるかと考えて「うん、明日行くね!」と返事しておいた。
もっとも、その日に行かなかった理由はそれだけではないのだが。
他の理由、それは……。
「えー、お2人様。えー、俺ですね。えー、宮殿に呼ばれましてですね。えー」
いかにも歯切れの悪い俺。
えー、えー、えー。って言っている。
でもしょうがないじゃないか。
だって『お2人様』がいるのだから。
「そう、いつ?」
「明日です、はい」
「分かったわ」と、シャネル。
これで1人目。
そして……。
「朋輩、わたくし宮殿に行くのなんて初めてですわ!」
「そうっすか……」
「楽しみですわね!」
「そっすね」
これがもう1人。
アイラルンだ。
シャネルは嫌悪感を隠そうともせずにアイラルンを見つめる。もし俺だったらそんな視線を向けられるだけで身震いして部屋の隅でちじこまってしまうのだが。
そこは因業の女神アイラルンだ。
流し目で対応する。
冷たい視線が交わって、しかしバチバチと熱い火花が散る。
「あら? 貴女もついて行くの、シンクに」
「そりゃついていきますよ、わたくしも」
「どこの馬の骨とも知らない女が、シンクに、ついていくの? やめたほうが良いんじゃない?」
シャネルはゆっくりと言葉を区切り、アイラルンに警告をする。
「まあ怖い。朋輩、シャネルさんがわたくしのことをイジメますの」
「やめて、こっちに来ないで」
アイラルンは俺に助けを求めるが、シャネルが睨んでくるので怖い怖い。
まあ、なんだ。
こういうことになるのですぐに宮殿に出向くことができなかったのだ。
どうせこの2人、ケンカしはじめるからね。
しかもそのケンカの内容が直接的なものではない。互いにチクチクと言葉で相手を責めるような『口撃』を主体としたものなのだ。
まさしく冷戦。
こんな状況で挟まれる俺。最近はどうも胃が痛いことが増えてきた。
「そもそもシンク」
「はい、なんでしょうか」
「この人、誰よ!」
うぐっ。
とうとう聞かれたか。
つうかよくいままで聞かなかったな、シャネルさん。
アイラルンがいきなり俺の前に現れてはや1週間くらいの時間が過ぎていた。
最初の方は「この人誰?」くらいは聞いてきたのだが「友達だよ」と適当に答えてなんとなくナアナアで済んだ。
そのうちにシャネルとアイラルンが微妙な関係になりだして、言ってしまえばケンカを初めたのだ。おいおい、勘弁してくれよ。
「いちおう……あの……俺の友達です」
「朋輩ですわ!」
「嘘おっしゃい。シンクが私に隠れて女の子と仲良くなれるはずないじゃない」
たしかにその通りである。
よく分かってらっしゃる!
ここはもう観念するしかない。
「アイラルン、もう無理では?」
「まあ、そろそろ潮時ですわね」
「シャネル、あのですね。落ち着いて聞いてください」
なぜか敬語の俺。
「私はいつでも冷静よ」
ですね。
「えーっと、この人ですが。あ、人じゃないのか。この女神なんですが。なんとですね、なんとなんと!」
「なんと?」と、シャネルが睨んでくる。
「あの超有名女神のアイラルン様です!」
はい、拍手!
とばかりに俺は1人で手を叩くが。
……虚しい。
誰ものってくれない。いやいや、アイラルンくらいはのってくれよ。
「それで?」
「えっ?」
「それで? その人がアイラルン様だからどうだって言うの?」
「え? いや……あの……」
まさかの反応。
せめてもう少し驚くかと思ったが。
そもそもいままでアイラルンのことを隠していたのは、まがりなりにも彼女が女神だからだ。いきなり目の前で女神なんてものが現れたら誰だって驚くだろう。
それで俺とアイラルンの関係に疑問だって持つだろう。
けれどシャネルは違った。
目の前に女神がいる、だから何?
実存は本質に先立つ。
神がいるかどうかは問題ではなく、神がいたとしても自らの人間性にはなんの関係もないと。シャネルはそこまで言ってのけたのだ。
俺ははっきり言ってその瞬間シャネルが怖いとすら思えた。
ここまで強固に自我を持つ人間がこの世に存在しても良いのだろうか?
「その人がアイラルン様だとしましょう。それでどうしてこの家にいるわけ? ええ、1週間ほどなら許しましょう、私は寛大な人間ですよ女神様」
「ありがとうございますですわ」と、アイラルン。
若干、アイラルンが押されているように感じられる。
「けれどそろそろ出ていってくださらない? ここは私とシンクのアパルトメントですの」
シャネルはあきらかによそ行きの、極めて慇懃無礼な喋りかたをする。
半分は礼儀正しいものだが、もう半分は相手を煽っている。
「わたくし、行く宛がありませんの。シャネルさん、女神に良い事をしたらきっと貴女に幸せが帰ってきますわよ」
「貴女、因業の女神でしょう?」
「あはは、そうでしたわ」
いや、これはまずいな。マジでアイラルンが追い出されることになりそうだ。
「あのさ、シャネル。アイラルンは可哀想なんだよ。魔力がもうなくてこの世界にいるしかないんだ。いつもは他の場所にいたんだよな?」
「はい。他の場所、というよりも1つ上の次元と言いますか……」
「で、そこに帰れないんだ。戻れるようになるまで面倒見てやれないかな?」
気分はペットを飼うことを親に許してもらおうとする子供だ。
「嫌よ」
嫌だと言われた。
ダメではなく、嫌だと。
「そ、そこをなんとか……」
「そもそもさ、女神様なのでしょう? 自分でお金でも稼いだらどう? それくらいできないのかしら?」
うわー、言われてみればたしかに。
なんかお金くらい稼いでこいよな。
というかせめてアパートのお金を少し入れるとかなら説得もしやすいのに。
「アイラルン、お金とか稼げないの?」
「カツアゲくらいならできますわ!」
「犯罪以外で!」
「じゃあ通貨偽造でもやりますか?」
「犯罪以外って言ってるだろ!」
どうにかならんのかよ、おい!
「むうっ……そうやって朋輩はわたくしに文句ばかり言いますが。朋輩だってろくにお金を稼いでないじゃありませんか!」
「なっ!」
なっ、なっ、なっ!
言ってはならないことをこの女神!
「お前ッ――」
あれ?
待って。
これ俺、言い返せないぞ。
「シンクは良いのよ」と、シャネル。「だって私たち夫婦だから」
夫婦じゃありません、童貞です。
「アイラルン……俺たちどっちもダメ人間だな」
「わたくしはダメ女神ですわ」
「しょうがない、揃ってこの家を出よう」
「でも朋輩、そしたらどこにも行く宛がありませんわ!」
「大丈夫! こういうときは友達を頼るんだ!」
「お・と・も・だ・ち」
「お・も・て・な・し、みたいに言うなよ。古いよそれ」
「あはは、ナイスツッコミですわ朋輩。でも朋輩にお友達なんていましたか?」
「任せろ、エルグランドのところに転がり込むぞ」
「なるほど!」
なんて言っていると、シャネルがおもむろに杖を取り出した。
そして何をするかと思えば――その杖をアイラルンに向けた。
「何を言ってるかよく分からないけど、腹がたったわ」
「シャ、シャネルさん! 落ち着いて!」
「べつに貴女は女神なのでしょう? 大丈夫、死にはしないわ」
「わ、わたくしはいま魔力に対してまったくの対抗手段をもっておりませんわ! はっきり言って戦闘能力は皆無! ガチのマジで死にますわ!」
「あら、良いこと聞いたわ」
シャネルは本気で魔法を撃つ。
そういう女だ。
俺はいままでの経験で知っている。
「シャネル! ダメだって!」
こうなれば、やることはただ1つだ。
俺は頭を下げる。
それどころかその場に這いつくばる。
そう、土下座だ。
横を見ればアイラルンも同じように頭をさげていた。
「ちょっと、やめないよシンク。みっともないわ」
「頼む、アイラルンをこの家においてやってくれ!」
「なんでそんなことをしなくちゃいけないのよ」
「いちおう女神なんだぜ?」
シャネルが大きなため息を付いた。
「そんなに、そんなにその人と一緒にいたいの?」
俺はよく考えてみる。
よく考えたらそんなに一緒にいたいわけじゃないけど、なんというかアイラルンは俺に輪をかけて生活能力がなさそうだ。
「たぶん追い出すと野垂れ死にするし」
「でしょうね」
「だからここに置いてやってくれ」
シャネルはまた、大きなため息を付く。そしてやれやれ、と首を横にふる。
「呆れた、根負けだわ」
「えっ、つまり――」
俺とアイラルンは立ち上がる。
「分かったわよ、良いわ。ここに置いてあげる。でもアイラルン」
あ、『様』が消えた。
「はい」と、アイラルン。
「私とシンクの情交の邪魔だけはしないでね」
「分かりましたわ!」
情交ってなに?
気になったけど聞かないでおいた。
「あの~、ちなみにシャネルさん」
「なに?」
「わたくし、昔1度あなたに会ったことがあるのですけど」
「ええ、そうね。アイラルンに会ったことはあるわ」
「わたくしの顔、覚えてませんの?」
「そんな大昔に1度あっただけの人のこと、覚えてないわよ。ただシンクに会えるって教えてくれたことだけは感謝してるわ」
「そうでございますか……」
アイラルンは俺を手招きする。
「どうした?」
「シャネルさん、おかしいですわよ。わたくし、しょうじき怖いですわ」
おお、奇遇だなアイラルン。
「俺もだよ」
かくして、前途多難ではあるものの俺の新しい生活が始まる。
全ての復讐を終えた俺。
おとぎ話の続きなんて誰も気にしないものだが、しかしそこに生活する人々の営みは続いていくのだ。
どうなることやら……はあ、胃が痛いのだった。
今日から最終章【女神】を更新していきます。
できるだけ毎日更新するつもりです。
泣いても笑ってもこれが最後ということで、気合を入れて書いていく所存であります。




