544 強いぞワン!
2人はハンダラ会の事務所から外に出る。
するとあたりの雰囲気が妙なことに気づいた。
「なんでしょうか?」
「どうした?」
どうやらワンの方は気づいていないようだった。
「どうも雰囲気がおかしいです。周りが静かすぎますよ。さっきから銃声だのなんだのして、私たち――いいえ、貴方が暴れたわけですし。周りに人が集まっててもおかしくないはずです」
「近所の人間はここがハンダラ会のアジトだと知っているんだろう」
「知ってるんですか?」
「いや、それは俺も分からないが……」
たぶん知らないだろうなとシノアリスは思った。
ここはアジトとして隠されていた、いわば本拠地だ。外から見る限りでは普通の建物と変わらない。
「誰か野次馬がいてもおかしくありません。あるいは警察でもいいです。ちなみにイッドに警察っているんですか?」
「そりゃあいるさ。俺も何度か世話になった」
「自慢することですか」
嫌な予感。
自分が不幸になりそうな気がする。
シノアリスは生来そういうった感覚には敏感だった。
「さっさと行くぞ、船の時間もあるんだろう」
「ですね」
気のせいだろう。
しかしシノアリスは自分の予感を信じることはしなかった。
それが結果的に間違いだった。
一瞬、視界の端をなにかが横切る。
そう思った瞬間には、シノアリスは足を掴まれて空高くへと吊るされていた。
「わわわっ!」
シノアリスはこのとき、スカートを履いていた。
吊るされればスカートの中身が見えてしまう。シノアリスは必死で押さえた。
「おい、女!」
ワンが叫んだ。、
「クソこの野郎まだ名前を覚えてないのね!」
と、シノアリスは悪態をつく。
本当はそんなことをしている場合ではないが。
足を何かに掴まれている。その何かとは手だ。
どこか路地の先からずっとこちらまで手が伸びてきている。その手はあきらかに関節などないような場所で直角に曲がり、シノアリスのことを空高く持ち上げていた。
「降りてこられるか!」
と、ワンは言うが。
「無理に決まってるでしょ!」
シノアリスは自分の足を掴んでいる手をガシガシと殴りつけるが、手はまるでゴムのように弾力がありどうあがいても離れそうにない。
腕は少しずつ縮んでいく。それと同時にシノアリスは連れされる。
「痛っ! 痛い痛い!」
複雑な路地をほぼ直線に連れて行かれているものだから、体がそこら中に当たる。
せっかく少し閉じた傷がまた開いていく。
そのおかげで血が吹き出た。
――ツルリ。
シノアリスは健康体、血だってサラサラだ。
おかげで掴んでいた手が滑った。
「やりました!」
まるで予想通り、とでもいうようにシノアリスは手から逃れ、そのまま落ちていく。
猫のように器用に地面に着地した。
「なんだ、敵か?」
「どう見てもそうでしょうよ!」
「そう慌てるな。戦いにおいて慌てて、良いことなんてない」
「これが慌てずにいられますか。あー痛い、また傷が開きましたよ」
この場所はまずい、ということでシノアリスたちは少し開けた場所へ移動することに。
選んだのは公園だった。
公園、といえど遊具があるような場所ではない。
ただ人が集まって井戸端会議をしたり、蚤の市を開いたり、そういった程度の場所だ。
「ここなら見晴らしも良いですし、いきなり攻撃されることも少なそうですね」
「しかしさっきの手、あれはなんだ?」
「心当たりがあります」
随分前のような気もするが、出会ったのはついさっきだ。
追ってきたのだろうか。
名前は名乗られていないので分からないが、ベンザイ会の人間なのは分かっていた。
「殺気のない攻撃だったな。遊んでいるのか?」
「どうでしょうね」
またどこからともなく手が伸びてくるのではないかとシノアリスは警戒していた。
しかし相手のとった行動はある意味ではこちらの予想を上回ることだった。
歩いてきたのだ。
こちらに向かって。
無防備に見えるほどの気楽さで。
「やあやあ、これはハンダラ会のワンさんじゃないか」
どうやら相手の男、ワンのことを知っているらしい。
相変わらず上半身は裸だ。少し日に焼けた体がまぶしい。
「違うな」
「え? なんで嘘を?」
隣にいたシノアリスが首をかしげた。
「俺はハンダラ会の人間ではない。ただのワンだ」
「ああ、なるほどそういうことですか。そうなんですよ、この人はハンダラ会を抜けたんです。というかハンダラ会、ほとんどあれ立ち直れないんじゃないですかね?」
資金源だった魔片も全て燃やした。
事務所だっていくつか潰した。
この抗争、おそらくベンザイ会の勝ちだ。
「そういわれもね、いままで何回も煮え湯を飲まされてきた手前、僕もひけないんだよ」
「でしょうねー」
そんな簡単な話ではないとシノアリスも知っていた。
けれどいちおう言ってみただけなのだ。
「女」と、ワンが言う。
「シノアリス!」
「女、下がってろ。お前が相手をできる敵じゃないんだろう」
「武器さえあれば別なんですけどね」素手での戦闘力はあまりないシノアリスだ。「ここは旦那おまかせしますぜ!」
シノアリスは少し下がって、そして座った。
しょうじきもう限界だった。
この戦いが終わったらワンにおぶって船まで連れて行ってもらおうと思ったくらいだ。
「そっちの女の子、やっぱり仲間だったんだ」
「仲間? これがか」
「そうそう。その子にうちの人間が何人も殺されちゃってね。まいったよ」
そうなのか、とワンはこちらを見る。
「まあ、でも正当防衛ですよ?」
実際のところどうなのかシノアリスからしても謎だが。しかしシノアリスの中ではあれはれっきとした正当防衛なのだ。
「まあなんでもいいか。さっさとかかってこい」
「ワンさんと手合わせできるだなんて――嬉しいね!」
男の腕が伸びた。
見えない! シノアリスにはその動きが目でとらえられない。
だがそこはワンだ。
おそらくは避けることも可能だっただろう。だがあえて伸びてきた腕を掴んでみせた。
掴まれた男は腕を引っ込めようとするが、力強く掴まれている。まるで綱引きのようにワンと男が腕を引っ張り合う。
負けたのは腕を伸ばした男の方だった。
持ち上げられ、そのまま車輪のごとく振り回される。
そしていっきに手を離され、放り投げられた。
「強いっすね」と、まるで観戦者のような気楽さでシノアリスは言う。
ワンは何も答えない。
男から目を離さない。
「無傷……か」
男は立ち上がると、両腕をゆらゆらと伸ばして笑うのだった。




