543 カチコミ
怒りを前面に押し出して進んでいくワンは、誰に出くわしても止まらないだろうというくらいの迫力があった。
「その傷、どうしたんだ。ハンダラ会のやつらにやられのか?」
「え、これですか? いえ、どちらかというとベンザイ会の人たちに。心配してくれているんですか、顔に見合わず優しいですね」
「ちがう。ついて来ても足手まといになるだけだから帰れと言いたいんだ」
「ひど~い」
「そもそもなぜ俺につきまとう」
「あら、言っていませんでした? 私はこれからグリースに行くんです」
「それは聞いたが」
「それに貴方も同行します」
「なぜ俺が?」
本当に意味が分からない、というふうにワンは足を止めた。
少しだけ怒りが薄れているように感じられた。
これはいけない、とシノアリスは思う。こういうのは怒りでもなんでもいいが、とにかく強いエネルギーでいっきにやってしまうべきなのだ。
「はいはい、話は後です。まずはハンダラ会を倒してきましょう」
「分かっている」
どうやらハンダラ会のアジトはいくつかあるらしく、ワンが向かっているのはシノアリスが知らない場所のようだった。この前の裏カジノとは違う場所なのだ。
素直についていく。
あまり人目のつかない道。
あたりにはよく見れば、血痕なんかが残っていた。
戦いのあと、だろうか?
とある建物の前でワンは止まった。
「お前、本当についてくるつもりなんだな」
「はい、ついてきますよ」
「死んでも文句は言うなよ、俺は守るつもりはないぞ」
「自分の身くらいは自分で守ります」
そうか、とワンは頷いた。
そして、ドアを蹴破り建物の中へと入っていく。
「おじゃましま~す」と、シノアリスはヘラヘラと笑いながらついていく。
中はエントランスになっていた。そこに数人のガラの悪い男たちがいる。
なんだ、カチコミか、であえであえ! と、男たちは思い思いに叫ぶ。
しかしその叫び声もすぐにしなくなる。ワンがさっさと蹴散らしていったのだ。
「これは……想像以上に強いですね」
一瞬だった。
身軽に動き回って、数人の男たちを一撃でのしていく。
だがすぐに奥の部屋から追加の敵があらわれた。
「なっ――お前は、ワン! 裏切ったのか!」
最初に出てきた男がそう言った。
次の瞬間にはワンが接近し、顔面にきつい一撃をぶち込んでいた。
「裏切ったのはお前たちだ」
ふと見れば、シノアリスの足元で男がうめいていた。
「いてえよ……いてえ」
ワンに一発殴られただけだろうが、手足があらぬ方向に曲がっている。
いったいどんな馬鹿力で殴りつけたのか。
「あら、この人……」
シノアリスはうめいている男をどこかで見たことがある気がした。
どこだっただろうか、と思い出そうとする。
けれど思い出せない。
うーん、と考えてやっと思い出した。
この前、路地裏で娼婦の女性に乱暴をしていた男だ。
「た、助けてくれ!」
男はどうやらシノアリスのことなど覚えていないようだ。
誰か分からずに助けを求める。
「助けてほしいんですか?」
「痛い、痛いんだ!」
分かりました、とシノアリスは優しく微笑んで頷く。その笑顔ときたら、まるで聖女のようだった。
「ちょっと待っていてくださいね」
シノアリスはそこらへんを物色する。
そうこうしている間にワンはドアの向こうへと行く。なにやら銃声が響いてくるがワンに限っては大丈夫だろう。
「ああ、あったあった。これで良いでしょう」
シノアリスは武器を見つけた。
シノアリスでも扱えそうな小ぶりの剣だ。
その剣を空振りさせながら男に近づく。
男は何をする気だと怯えるようにシノアリスを見つめた。
「痛いでしょう? いま楽にしてさしあげます」
えいっ。
と、躊躇なく剣を突き刺した。
それで男は断末魔の叫びをあげて絶命した。
どうやらワンは人を殺さないことを信条としているようだが、シノアリスからすれば関係ない。この前腹がたったのでそのお返しだとばかりに容赦はない。
それでちょっと気分をよくしたシノアリスは、他のやつらも殺してしまおうかと思った。
どうせこんな場所にいるのはろくでもない人間ばかりだ。
しかしシノアリスは手を止める。
「もしここで皆殺しにして、ワンさんがへそを曲げたらつまらないですからね」
なのでやめておくことにした。
いつの間にか銃声も収まっている。
敵を討ち取った歓喜の声も上がらないということは、勝ったのはワンの方なのだろう。
シノアリスは奥の部屋を覗き込んだ。
まったくひどい有様だった。
よくもまあ素手でここまで敵を倒せるものだと感心してしまう。
相手は思い思いの武器を持っていたようだが、ワンの方は無傷だった。
「なぜだ、ワン。なぜ俺たちを襲う!」
部屋の奥には恰幅のいい男性がいた。
シノアリスもチケットを受け取ったときに見た、ハンダラ会のボスだ。
「俺は用心棒をするさいに言ったはずだ。お前たちが魔片をこの街に流通させていないならば手を貸す、と。そしてお前たちはこう答えたはずだ。魔片を流しているのはベンザイ会で、ハンダラ会はまったくそのようなことはやっていないと」
「お前、まさかあの木箱の中を見たのか!」
「ああ、見たさ」
「ふざけるなよ、あの中身は見るなと言ってあっただろう!」
なにを言っているんだか、とシノアリスは思った。
完璧な逆ギレだ。
それならそもそもワンにあの木箱の防衛を任せなければ良かったのに。
まあ、それだけ大事な魔片だったということか。
「悪いが俺はもうお前たちに手を貸すことはできない」
「ふざけるなこの大事なときに――」
「魔片はすべて燃やした」
「なにっ! あれは我がハンダラ会の資金源なんだぞ!」
ワンはハンダラ会のボスの頭を掴む。それで体ごと放り投げた。
「だからだ」
壁に激突したハンダラ会のボスはそれで気絶する。
またもや殺してはいない。
「止めはささないんですか?」
と、シノアリスは聞いた。
「その必要はないだろう」
「なぜ?」
「こいつらはたしかに悪人だ。しかしだからと言って殺せば、それで更生する機会は永遠に失われてしまうだろう」
「更生?」
まるでそんな言葉を初めて聞いたとばかりにシノアリスは復唱した。
「そうだ。俺がそうなったようにな――」
「それが貴方の正義ですか?」
「そうだ」
「でも正義ってなんでしょうね?」
「それぞれの心の中にある正しい行いだ」
「ふーん」
けれど、もし本人が間違っていたら?
いまだってそうだ。
ワンはハンダラ会は魔片を売っていないと思っていた。だから手伝っていた。だけど本当は裏で魔片を流通させていた。これは間違いなくワンの正義とは相反する行為だったはずだ。
ワンの正義は危ういものだ。
まあ、それで本人が満足ならば良いのだが。
「さてワンさん、これで満足しましたね」
「ふんっ……」
「それでは私と共にグリースへ渡りましょう」
「なぜ?」
「良いじゃありませんか、どうせ行く宛もないのでしょう?」
「だがグリースなど」
「行く宛もないのでしょう?」
シノアリスはもう一度言う。
それで、ワンは頷いた。
「俺はお前を疑っているぞ」
「なぜ?」
「俺はお前のことを何も知らない。だというのにお前は俺にグリースに渡れと言う」
「言ってるでしょう、私はシノアリスです」
「それは聞いた」
「因業の使徒、異教徒たちの教主、そしてアイラルン様の忠実なしもべです」
「本気か?」
「ええ。そして私の目的はグリースに渡り、お兄さん――榎本シンクを助けることにあります」
「榎本シンクだと!?」
やはり知っていたか、とシノアリスは思った。
アイラルンは縁がなんたらと言っていた。
「どうですか、やる気になりましたか?」
「俺が、あいつを助ける……」
「どうでしょう」
「悪くないな」
やった、とシノアリスはほくそ笑んだ。
どうやら上手くいきそうだった。




