542 騙されたワン
「やっと見つけましたよ……」
その声を聞いたとき、ワンは思わず身構えてしまった。
「何者だ?」
問う。
ワンの目の前にいるのは人間かも分からない。血まみれの、肉塊のようななにかに見えた。
「こ、この私のような美少女を忘れるだなんて!」
その肉塊は顔をあげ、髪を振り乱し、猫のような目を見開いてワンを睨んできた。
「あっ!」
その瞬間、ワンは思い出す。
目の前にいるのは名前こそ忘れてしまったものの、先日も会ったばかりだ。
妙な女だとは思っていたが、まさか血まみれで現れるとは思わなかった。
「まったく腹がたちますよ。まさに灯台下暗しです。貴方がこの教会にいるとは思いませんでした」
そうなのだ、ワンがいたのはシノアリスが今朝方まで寝泊まりしていた異教徒たちの教会。
そこになにやら木箱のようなものをいくつか運び込んでいたところを、シノアリスに見つかった。
どうやらこの教会、誰もいないのを良いことにハンダラ会の人間たちが危ないものを運び込んでいるらしい。アイラルンを崇める異教徒の教会はどこでもこういう使われ方をされるのだ。
「いま俺は忙しいんだ。遊んでほしいなら後にしろ」
「遊んで欲しいですって! 誰が、誰がそんなことを!」
怒りに我を忘れたシノアリスはワンに詰め寄るが、そのまま血を吐いて倒れる。
「お、おい」
「ゲホッ……ゲホッ! ダメ、これ本当に死ぬかも……」
「なんなんだよお前」
「お前じゃありません、シノアリスです。次にお前って言ったら殺しますよ」
「なんで怒ってるんだ」
「うるさいです、まったく……」
そうこうしている間に古びた教会の中には木箱がどんどん運ばれてくる。
ワンはどうやらその管理、および防衛をしているらしい。
「おい、あまり積み上げるな!」
「あの中身、なにが入ってるんですか?」
シノアリスは血の気の少ない頭で聞いてみる。
「さあな、知らないが大切なものらしい。俺はこれを誰の手にも触れさせるなと命令されているんだ」
「ふうん、それが貴方の正義ですか?」
「なにが言いたい?」
シノアリスは無言で木箱を運んでいる男に近づく。
「わあっ! なんだこいつ!」
あまりに血まみれのシノアリスがいきなり近づいてきたものだから、木箱を運んでいた男はその場に持っていたものを落とす。
ゴトリ。
と、音がして木箱は教会の床に落ちる。そのさいに木箱の蓋がずれた。
甘いニオイが鼻をつく。
「はあ……」
シノアリスはため息をつきながら木箱の中に入っていた巾着袋を取り上げる。
口紐をほどき、逆さにして中身をぶちまけた。
甘いニオイが強くなる。
「なっ……これは!」
ワンも中身に気づいたようだ。
「ハンダラ会は魔片を売りさばいてなかったんじゃありませんでした?」
シノアリスはワンをバカにするようにニヤニヤと笑う。
ワンは何も言えないようで、じっと手を握りしめていた。
「お、お前なにしてんだよ!」
木箱を運んでいた男は慌てたように床に撒き散らされた魔片を拾おうとする。
ワンがでその男を蹴り上げた。
「やめろ!」
男はどうやら気絶したようだ。
「どうやらワンさん以外の人はみんな知ってるみたいですよ?」
誰もワンと目を合わせようとしない。
おおかた、ハンダラ会の人間たちはワンが魔片を嫌っていることを知っていたのだろう。
それでもワンの力が必要で、自分たちも魔片を売っていたことを黙っていたのだ。
「俺のことを騙していたのか……」
誰もなにも答えない。
それがなによりも雄弁な答えだった。
「騙していたんだな!」
ワンは手近にあった木箱に正拳突きを打ち込んだ。
まるで爆発でもおこったのではないかというくらい、木箱は木っ端微塵になった。
「あーあ、魔片って高いのに」
シノアリスはそこらへんに散らばった魔片を拾い集めると、それを口に含む。
べつに中毒ではない。
魔片の材料である魔石は、溶かせばポーションにもなる万能薬だ。傷だらけのシノアリスからすればもってこいの薬だ。
しかしこのタイミングで魔片を摂取できたことが幸運であるかは微妙なところだ。なにせ禁止薬物の部類なのだから。
「こんなもの、こんなものがあるから!」
ワンは暴れだした。
木箱だろうがなんだろうが手当り次第破壊しだす。
それを止めようとした者は容赦なくやられる。
シノアリスはどこか痛快な思いでそれを眺めていた。
やがてあたりには誰もいなくなり、魔片がシッチャカメッチャカにぶちまけられている惨状となった。
「はあ……はあ……クソが……」
ワンは怒りで呼吸を荒くしている。
「とりあえずワンさん」
「なんだ」
シノアリスは魔片をある程度摂取したことで、傷は少しだけ癒えてさらに痛みをまったく感じなくなっていた。ちなみに痛みは感じないだけだ。
「この教会、燃やしますか」
「なんだと?」
「だってこんなに魔片が散らばってちゃ掃除も大変ですよ」
「教会だぞ?」
「大丈夫、アイラルン様には私から断っておきますので」
シノアリスはほんの少しだけ使える火属性魔法で、種火を起こす。
魔片はよく燃えるのだ。
少しの火でもみるみる広がっていく。
「さあ、出ましょうか」
このまま中にいれば焼け死ぬ。
「……ああ」
2人は教会の外にでた。
燃え盛る教会。
血まみれのシノアリスと、げっそりと痩せたワン。
「行くぞ」と、ワンが言う。
「どこへ?」
「ハンダラ会の事務所だ。落とし前をつけさせる」
「なるほど」
因業な男だ、とシノアリスはワンを見て思った。
だけど正義なんかを振りかざして戦っているよりも、いま現在の復讐に燃える目の方がシノアリスからすれば好みだった。
歩き出すワン。
シノアリスはその後ろをちょこちょことついていくのだった。




