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521 俺が守るよ


 宮殿の中は前回ここに来たときよりも荒廃こうはいしているようだった。


 どうしてだろうか。掃除をしていない?


 人がずっといない家屋は来たく鳴るが、それと同じようなものだろうか。


 廊下には小さなほこりが落ちているし、飾ってある美術品はどことなく色あせている。


 この宮殿はまるでこの国の縮図だと思った。


「シャネル、もういい。肩、もういい」


 たぶん自分だけでも歩ける。それくらいの回復はしたはずだ。


「ダメよシンク、あんまり無理しちゃ」


「無理してるわけじゃないから」


 じゃあ、とシャネルが離れた。


 けれどそれで俺は倒れる。すぐに倒れる。


 ぜんぜん大丈夫じゃなかった。


「なにしてんだお前、こんな状況で遊んでるのかよ!」


 ローマに文句を言われる。


「うるせえ、こっちだって真面目にやってんだ」


「兄弟、無理しなさんな」


「そうも言ってられないだろ。もう敵の本拠地なんだ」


「それにしても兵士の1人もいねえがな」


 そうなのだ。


 誰もいない。


「出迎えもないだなんて、失礼な国よね」


 いや、出迎えって……。


 シャネルのセンスはよく分からない。


 たしかにこの状況なら急がなくても良いのかも知れない。ただ外で戦っているシノアリスちゃんやワンのことを考えるとぼやぼやもしていられない。


 俺は意志の力で前に進もうとする。


 一度は来ているので金山のいる場所も分かっている。そこへと真っ直ぐ向かうだけ。


 敵もいないので快適だ。


 快適、というには俺は疲れ切っているが。この状況で金山と戦えるのかと言われれば疑問がしょうじるのだが。


「だとしても――」


 俺は気合を入れるために独り言をつぶやく。


 それにシャネルはクスリと笑った。がんばってね、とそういう笑い方だった。


 シャネルはこんな状況でも緊張もしていない。それが俺からすればすごい安心できる。


「こうなってくるとそこらへんの部屋が気になるよな」


 ローマが言う。


「開けてみれば良いじゃねえか。ただし火事場泥棒みたいなことはするなよ」


「なんでだよ」


「俺様の経験上、こういうカチコミで火事場泥棒なんかするやつはけっきょく負けるんだよ。初志貫徹しょしかんてつ、大きなことを成し遂げるときは他のことなんて考えちゃいけねえ」


 なるほど。


 他のことを考えない。


 これもまた大事なことかもしれない。


 ローマが、ふと部屋の扉を開けた。


「なにかある?」とシャネルが聞く。


 すると、ローマは泣きそうな顔をしていた。顔面蒼白がんめんそうはくとはこのことで、一瞬にして血の気が引いていた。


「や、やばい」


「どうかしたの?」


 あっ!


 俺は思い出す。その部屋はそうだ、金山が裸の女の人たちを監禁していた部屋だ。


 この前来たとき、少しだけ見た。


 俺も吐き気がしたくらいだ、女であるローマからすればさらにオゾケがするものだろう。


「どれどれ」と、シャネルが見ようとする。


「待って、シャネル!」


 俺は止めたが、もう遅かった。


 シャネルは中を一瞥いちべつ。そして小さくため息を付いた。


「なあんだ、ただの死体だわ」


「えっ?」


「ただ死体を鎖につないであるだけじゃない。そんなに珍しいものでもないわ」


 いや、珍しいだろ。


 そんなの人生において見る機会はまずないはずだ。


「そんな悪趣味なもん見てるんじゃねえよ、さっさと行くぞ」


 と、言いつつもティンバイも部屋の中を見た。そしてツバでもはくように「ケッ!」と嫌そうな顔をした。


 俺はしょうじき中なんて見たくなかった。


 けれど死体、というのが気になって思わず見てしまう。


 まず目に入ったのは、やせ衰えた女性の体。それがいくつもあって。その上どれも服を着ていないものだから貧相な体がいぅそう目立って……。


 きっと生きていたときは美しかったのだろう。


 そう思わせる。


 だけどみんな死んでしまって、しかもミイラのようになっている。


「なんだよこれ……」


 少なくとも俺がこの前来たときはまだ生きていたはずだ。


 そのとき、俺はふと察した。


 飽きたのだ。


 金山はここにいる女たちに興味を持たなくなった。だから放置したのだ。たとえるならば、ペットの世話が嫌になった子供が、それをやめてしまうように。


 普通だったら父親や母親が世話を引き継ぐ。


 だけど金山にはそんなものいなくて。


 誰も叱ってやれる人間もいないのだ。


「シンク?」


 シャネルが呆然としている俺を心配して声をかけてくれる。


 俺は思わずシャネルの手を握った。


 もしかしたら、と思う。


 ――もしかしたらこの死体の中にシャネルが混ざっていたかもしれないのだ。


 それは俺にとって恐ろしい想像だった。


 その想像を断ち切るようにシャネルの手の暖かさを感じる。だがそのか細い暖かさに、俺は罪悪感も覚える。シャネルを連れてくるべきではなかった、いまはっきりとそう思った。


 もしも俺が負ければ……シャネルも。


「な、なあシャネル」


 俺は弱気になっている。


 このままシャネルに帰ろうと言いたいくらいに。


 だがそんな俺の弱気をシャネルは許さなかった。


「シンク、聞いて」


 握っていた手を、強く握り返される。痛いくらいに。


「私は大丈夫よ」


 シャネルは俺がなにを不安がっているのか察している。そこらへんの意思疎通は話をしなくても明確に伝わる。


「どうして大丈夫なんて言えるんだよ」


 俺が負ければシャネルも死ぬ。


 いや、死ぬだけじゃないかもしれない。


 金山のことだ、きっとシャネルをはずかしめるようなことをする。そんなの嫌だ。


「言えるわ」


 と、シャネルは言い切った。


「なんでだよ!」


「だって私のことを、貴方が守ってくれるから」


 その言葉に根拠などない。


 けれどシャネルは言い切った。


 いつもそうだ、シャネルにそう言ってもらえれば俺は安心する。


「守ってくれるでしょう?」と、シャネルは聞いてくる。


「とうぜんさ」


 そう答えるしかないだろう。


 俺は部屋の扉をしめた。


 そして堂々と言う。


「俺がシャネルを守るよ」


 よろしい、とシャネルは頷くのだった。


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