507 誰もいない町とシャネルの料理
宿の部屋はいたってシンプルなものだった。
そもそもが寝るために作られた部屋のようで、とくに特筆すべきことはない。けれど寝床があって屋根があって、雨風にさらされなければそれは幸せなことだと思う。
「どうにも解せねえ」
ティンバイが荷物をそこらへんに置いて、開口一番そう言った。
「町が静かすぎる?」
俺は彼の言いたいことをなんとなく察して、先回りして言う。
「そうだ。ガキの声が1つもしねえ。こんなことは普通ありえねえ。どういうことだ」
「それなんだけど、心当たりがあるんだ」
「話してみろ」
心当たり。
それは前回、魔王討伐に来たときのことだ。ロッドンの首都であったこと。あそこには若者がまったくいなかった。それは若い人間たちが徴兵された結果だった。
人を魔族にする技術が確立され、才能のない人間でも誰でも改造――とでも言えばいいのか――できるようになった。それで、出来損ないであるものの魔族を大量生産した。
俺はそのことをティンバイに説明する。
すると、ティンバイは複雑そうな顔をした。
「どこの国も無茶な戦争をするとき、犠牲になるのは一般国民か。バカにしてやがるぜ」
「そういうことだね」
男2人で部屋にいても、しょうじきやることもない。酒を飲もうにもそもそもアルコールもなく、あったとしてもそういう状況ではない。
シャネルたちは夜ご飯の時間になったら来てくれると言ったが――。
それまでここで待機していなければならない法律もないだろう。
「よし、兄弟。俺たちだけで少し外を探索するぞ」
「そうだね。それが良いと思う」
なにかしら得られるものがあるかもしれない。
あまり大荷物で行くわけにもいかない。とはいえ手ぶらもおかしい。俺たちは武器だけを持つ。どうでもいいけど、俺もティンバイもこの国のお金はまったくもっていなかった。シャネルは持っているのだろうか? ここの宿代、どうするんだろうね。
俺たちの部屋は宿の一階だ。
ティンバイはなぜか普通に部屋を出るのではなく、窓から外に飛び出した。
早く来いよ、と目で言っている。
「なんで窓から……」
よく分からない。
けれど俺も同じように窓から出た。
さて、町は夕方だというのにすでに静まり返っていた。若い人がいないとこんなものなのだろうか?
石畳の舗装された道には、馬車も走っていない。
クルマだってだ。
寂しい、というよりも怖さすら感じた。
「この町、経済活動はしてんのか」
「どうなんだろう。さすがに店くらいは探せば開いてるんじゃないのかな」
大きな道を選んで歩いていると、やがて民家ではなく看板をあげた商店が並ぶ通りに出た。けれどそこは地方の寂れたアーケード通りを思わせるもので、どこもかしこもやっていない。
シャッター商店街だった。
「予想通りか。明日の朝になれば店が開くってふうにも見えねえな」
「だね。どうもずっと閉まってるままって感じだ」
「娯楽、嗜好品のたぐいはまったく無さそうだぜ」
ティンバイはいきなり懐からキセルを取り出す。それに火をつけ、いかにも不味そうに顔をしかめて煙を吸う。歩きタバコ、ダメですよ。
「人がいないってことは敵もいないってことだけどさ」
今晩はゆっくりできそうかな。
「どうだかな。なんだか化かされてる気がするぜ」
ティンバイはキセルから立ち上る煙の先に、誰もいない町を見ていた。
「町にはほとんど人がいなかったわけだね」
「そうだな」
「もしかしてさ、グリースの国ってどこもこうなのかな」
「どこも、とは?」
「いや、だから町に若い人がほとんどいないような」
ティンバイは少し考えるように顎を触る。
「国ごと戦争してるような状況かよ。500年前のドレンスはあまりに若い世代に戦争させたせいで、その後いちじるしく国力を衰退させたというが――」
「それと同じ状況ってこと?」
「それより酷いように俺は思うがな。どうにも国民が自分たちから率先して戦争に参加してるようには思えねえからな」
無理やり戦わされている人たち、か。
それからしばらく町を周ってみたが誰もいなかった。どこの店もやっていなかった。
宿に戻る。窓から部屋に入った。まるで泥棒だ。
「というかさ、ここまで何もやってないと夜ご飯はどうするんだろう」
「どうだろうな」
しばらくするとシャネルとローマが部屋に来た。
なんだか知らないがシャネルはとてもニコニコしている。
「シンク、お腹すいたでしょ?」
「いや、まあ……」
それとは対象的にローマの顔は引きつっている。
「どこのお店もやっていなかったからね、キッチンを借りたの」
その瞬間、俺は嫌な予感がした。いや、それは予感じゃない。確信だ!
「あ、ごめん。俺ちょっとお腹の調子が悪くなった」
「あら、そうなの?」
「大丈夫かよ、兄弟」
「お前、逃げるなよ」
シャネル、ティンバイ、ローマの順に言われる。
このセリフから見るに、ローマのやつ事情を知っていると見た。
その事情とは――そう、シャネルの唯一の欠点。壊滅的に料理が下手ということ!
「せっかく作ったのに残念ね」
シャネルは本当に悲しそうな顔をする。
そんな顔を見ていると、仮病を使っている自分が恥ずかしくなる。
自分の好きな人がわざわざ作ってくれた手料理。これを食べないなんて男がすたる!
「いや、シャネル。いまこの瞬間に治ったよ」
「まあ」
「いやあ、シャネルの料理が食べたいからかな?」
歯が浮くセリフ。
「嬉しいわ、シンクは私の料理が大好きだものね」
「あはは……」
しょうじき、しょうじきに言おう。腹がたった。こっちがいったいどんな思いでいつもシャネルの料理を食べていたか!
「じゃあ持ってくるわね。ローマちゃん、手伝いなさい」
「はいよ」
死刑執行を待つ囚人の気持ちを俺は味わう。ティンバイは状況が分かっていないようで、俺の顔が青いのを心配してくれた。
そして、シャネルが戻ってきた。
手には皿を持ち、その上にはなにか灰のようなものが。黒焦げのなにか、もともとなんだったんだ!?
「少しだけ焦がしちゃったの」
「あー、なるほどね」
少しの判定、甘くないですか?
「ちなみにこっちは僕が焼いた分だけど……」
ローマが持っている方には普通の焼かれた肉が。
「焼き加減だけじゃなくて味付けも少し違うから、好みの方を食べてね」
シャネルはそう言った。
言ったのだ。
好みの方を食べて、と。
料理はテーブルの上に置かれて、フォークとナイフを渡される。どうやら4人全員がこの部屋で食べるようだ。ローマはまだ他の分があるから、と部屋の外へと食べ物を取りに行く。
さて、目の前には主菜たる肉料理が。
ティンバイは当然のようにローマの作った方を食べた。「まあ、美味いっちゃ美味い」と、微妙に失礼な評価。
そして俺は、黒焦げの肉にナイフを伸ばした。その瞬間のシャネルの嬉しそうな表情ときたら。その笑顔のためになら俺はガンになっても構わないと思った。
焦げたものを食べると発がん率が上がるって言うよね。
「どう、美味しい?」
シャネルが聞いてくる。
「ああ、美味しいよ!」
口の中がボソボソする。ただの灰を食べている。
「兄弟、お前は漢だよ」
ティンバイが褒めてくれるけど。俺は泣き笑いをしながらシャネルの作ってくれた料理を今日もすべて平らげるのだった。




