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502 霧払い


 アイラルンが消えたあと、俺は1人で考えた。


 ――俺は童貞じゃないとダメなのか!?


 いかにも不公平を感じる。


 いや、その、もし非童貞だとしたら子供ができて意思が受け継がれ、俺の復讐を果たしてくれる可能性があるというのは分かる。分かるが……。


「つまり、だから俺が選ばれたのか!」


 選ばれたというか、アイラルンと相性が良かったというか。


 そう、因業という言葉が宿命的に不幸なら、俺は宿命的に童貞なのだ!


「たしかにこれまで何度かチャンスはあった……」


 自問してみる。


「そのたびになんらかの邪魔が入ったり、まあヘタったり、いろいろ失敗したりしてきた」


 全部が全部俺の責任だったとは思えない。


 運がなかったこともある。


 運が、な、い……?


「そうだった、俺ちゃんってば運のパラメーターが『0』なんだった」


 考えれば考えるほど、俺は全方位で童貞である。


 しょうがない、と諦められるほど枯れちゃいない。


 どうにかしなければ!


「よし、やるぞ!」


 何を、とはあえて言わないでおこう。あんまり言うとほら18禁になっちゃうし。


 え? アイラルンにダメだって言われたって?


 ふざけるな!


 こっちは人間様だ。


 神様になんか言われたくらいでこの胸をたぎる熱い情熱――パトスを抑えることなどできないのだ!


 そう思って、ムラムラしたまま部屋を飛び出した俺。


 飛び出した瞬間、部屋の前にはローマがいた。


「うわっ! びっくりした。なんでお前そんなに急いでんだ?」


「いや、べつに急いじゃいないが。シャネルどこ!?」


「え、あの人ならミラノと部屋で遊んでたけど……? お前、なんか目が怖いぞ」


「うるせえ! ちょっとシャネルのとこに行かなくちゃいけないんだよ!」


「なんでだよ? それよりお前さ、甲板の方こいよ」


「なんでだよ!」


「えっ……怖っ。怒ってるのか、お前?」


「ローマ、お前、お前、お前! 俺の邪魔をしようって魂胆か、このジャマイカン!」


 わけがわからないことを口走る。


「ジャマイカンってなんだよ?」


「キー○ン山田だよ!」


 ますますなにを言っているのか分からないという顔をされた。


 俺は少し落ち着いて、深呼吸。「それでなんだよ」と、改めて聞く。


 この感じだとローマは俺を呼びに来たらしいし。


「面白いもんが見れるからよ、さっさと来いよ」


「はいはい」


 ここで無視してシャネルのところに行っても良いのだけど、たぶんそうしたって上手くはいかない。物事にはタイミングというものがあるのだから。


 それにね、そういうことをやるならやっぱり夜だよね。


 と、いうことで俺は素直にローマについていく。


「お前、きっと驚くぞ」


「なにがあるんだ?」


「見たら分かるさ」


 いや、そりゃあ分かるんだろうけどね。


 でも先に教えてくれたって良いじゃないか。


 と、思いながら甲板へ。


 すると、視界がかなりぼやけていた。白い……霧だろうか。それが甲板を覆っていたのだ。


「なんだこれ?」


「驚いたか?」


「いや、まあ」


「なんかな、グリースに近づくにつれてこの霧が深くなってるんだよ」


「おいおい……」


 この前グリースに行ったときはこんなことなかったんだけどな。たしかに首都であるロッドンでは霧が出てたりしたけど。


「たぶん甲板の先のほうであの男が待ってるんだけど。チャンだとかいうさ」


「ティンバイが?」


 あたりがよく見えないので手探りみたいに前に進む。


 これ、よく船は進んでるな。


 いや、もしかして……?


 進んでいないのか? たぶんそうだ。だから船が揺れる振動もほとんどなかったんだ。


「おう、兄弟」


 ティンバイが声をかけてくる。


「見えてるのか?」


 俺は深い霧のせいで前がまったく見えていない。隣にいるローマですらかろうじてそこにいるのが分かるくらいだ。


「見えちゃいねえ。ただ雰囲気は分かる。モーゼルの始末はついたか?」


「うん、なんとか部品の交換できたよ」


「そりゃあ良かったな。にしてもひどい霧だ」


「いつから」


「もう小1時間ってところだな」


 なんとかティンバイの声のほうに近づいた。


 ティンバイは腕を組んで霧の先を見ていた。


「なんで誰も俺に言ってくれなかったんだよ」


 なんか霧が出てすぐに教えてくれないと不公平って感じがするでしょ。


「兄弟の女がな、休ませてやれって言うんだ」


「休ませる?」


「そういうことだ」


 ティンバイはおもむろにモーゼルを抜くと、それを一発撃った。


 するとどうだろう、ティンバイの魔弾は回転しながら放射線状に霧を押しのけていく。


 一瞬だけ霧が開けたのだ。


「どういうこと?」


「さあ、分からねえが。どうも魔力のようなもんを受けると一時的にこの霧はなくなるらしい」


「分からねえな」と、俺。


「同感だぜ」


「僕もよく分からないな」


 3人してバカみたいに首を傾げた。


 さて、そんなことを言っていると甲板に誰かが来た。足音がしたのだ。


 しかし誰かは見えない。


「あら、シンク」


 どうやらシャネルだったようだ。あちらは俺が気づく前に俺のことを感知したのだ。


「シャネル、どこ?」


「ここよ」


 いきなり目の前にシャネルが現れて、俺はびっくら仰天。驚いた。


「お、おう」


「休んでてもらいたかったのだけど、貴方には」


「休むって、なんで?」


「どうせグリースの陸地に降りたらいろいろ大変な思いをするでしょ。だからお部屋で休憩しててほしかったの」


「それはどうも」


 シャネルなりの気付いかいだったのか。


 シャネルの後ろにはミラノちゃんがいた。ミラノちゃんんは大きなコンパスを持っていた。


「シャネルさん、あっちの方向です」


「了解よ」


 シャネルが杖を抜く。


「なにをするんだ?」


「この魔力の霧ね、どうも周囲の魔法に吸い寄せられる性質があるみたいなの。よく魔法を使い出すと霧が晴れてたでしょ?」


「そうだったかも」


「その性質を利用して、グリースの方向に向かって思いっきり魔法を放てば――」


「道が開けると、そういうことか?」


「その通りよ」


 よしよし、じゃあ俺の出番だなと刀を構えようとする。


「ああ、シンク。またそうやって」


「え?」


「だから休んでて欲しかったの。貴方、すぐに自分でやりたがるでしょ?」


 どうだろうか?


 いや、まあ昔から野次馬根性だけはあるからな。いや、いまはそれは関係ないか。


 でもなんでも自分で自分でと行動してしまうきらいはある。人を頼ることがない。それはまあ、友達がいなかったからなんだろうけど。頼れる人なんていなかった、そんな人生だった。


 俺は刀から手を離す。


「じゃあ、お願いしていいか」


「ええ、任されたわ」


 シャネルが魔法を唱えだす。


 いい声だな、と思った。


 安心する声だ。


 俺は目を閉じて、シャネルの美声に耳をかたむけた。


 ――残花舞い散る春の日の陽炎に。


 いままで聞いたことのない詠唱だった。


 なんだか優しげな言葉だった。


 ――信念と愛を混ぜ合わせ。


 俺が成長するようにシャネルも成長する、そういうことだ。


 ――我が相克そうこくの力を呼び起こさん。


 呪文の名前をシャネルはとても小さくつぶやいた。『ラブ・イルミネーション』。愛のきらめきといったところか。


 その名前には似つかわしくない、禍々しいほどの魔力の濁流がシャネルの杖先から溢れ出し、その魔力はやがて2頭の龍へと変わる。


 2頭の龍はその身を二重螺旋のようによりあわせて――真っ直ぐに進んでいった。


 その後には晴れ渡る海路が広がっていた。


「さあ、これで前に進めるでしょう?」


 少し疲れた顔をしたシャネルが、俺に笑いかける。


「お疲れ様」と俺はねぎらった。


 シャネルはあくまでわざとらしく、その場で倒れ込んだ。俺はとっさにシャネルを抱きとめたのだった。


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