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483 シャネルからの提案――そして


 ベンチに座っている。


 海の見える位置に置かれたベンチだ。背もたれの部分になにか張り紙があったが、文字の読めない俺にはなんと書いてあるのか分からなかった。


「なあ、シャネル。ここ、なんて書いてあるんだ?」


 俺はシャネルに聞いてみた。


 まさかペンキ塗りたてと書いてあるわけでもあるまい。


「ああ、それ。それはね、兵隊は座らないでくださいって書いてあるのよ」


「そうなのか。じゃあ俺は座っちゃダメだな」


 慌てて立ち上がる。


 だがシャネルに服の裾を引っ張られて強制的にまた座らされた。


「良いじゃない。シンクは兵隊じゃなて冒険者よ」


「たしかにそういう考え方もある」


 トンチ……というよりも屁理屈に感じるが。


 けれどシャネルがあんまりにも寂しそうな顔をしているので、俺は隣に座ることにした。


 まあ、文句を言われることもないだろう。それに俺、この前もここに座ってたし。


「さてシンク、少しだけ良いかしら?」


「どうした」


「べつに文句というわけじゃないのだけどね。私、あの男についていくのはいい加減やめたほうが良いんじゃないかと思うの」


「あの男……」


 シャネルの場合、男性の名前を覚えることが滅多にないのであの男とか言われても誰のことを指すのかぜんぜん分からない。


「プル・シャロンの子孫。ほら、フミナちゃんの兄」


「エルグランドか」


 さすがになにかしら脳の障害なんじゃないだろうか。興味がないとはいえ、いくらなんでも人様の名前を覚えなさすぎる。そのくせ俺の名前は初めて会ったときに一発で覚えたのだから不思議だ。


 それだけ貴方が特別なのよと言われれば、悪い気もしないが。


「ついていっても良い事ないわよ、たぶん」


「どうだろうか」


「シンク、私たちの目的はなに?」


 そんなの決まってる。


「復讐だ」


「そう、復讐よね。貴方には貴方の、私には私の。もっともシンクの復讐相手であるグリースの魔王は、私が復讐したかったお兄ちゃんを殺した相手だから、結果的に魔王が私の復讐相手としてスライドしたわけだけど」


「そうだな」


 つまりいま、このときにおいて俺とシャネルの復讐対象は一致しているわけだ。


 初めての共同作業。


 うん、なんだか良い響きだ。


「でもね、シンク。私にはあの男についていったとして、魔王に復讐できるビジョンが浮かんでこないのよ。なるほどね、たしかに防衛戦も大切だわ。でも私たちは反撃に転じなければならないの。分かるでしょ?」


「そりゃあ……そうだけど」


 つまりどうしたいと言うのだろうか。


「シンク、これはあくまで提案よ。私は貴方の心を悩ませたいわけじゃないから、もしも却下するなら後腐れなんて生まれないわ」


 そこまで言われたら逆に根に持たれそうなんだが……。


 まあつまり、シャネルは提案するけどダメならダメと言ってねと、そう俺に伝えているわけだ。


「で、なんだ?」


「私たちはここで軍から離脱しましょう。幸いにここはドレンスの北部、その気になれば私たちだけでなんとかグリースに渡る手段もあるはずよ」


「なるほどね」


「それで2人でまた魔王を殺しに行くの。どうかしら、素敵な考えじゃない?」


「たしかにな」


 とくに2人でというところが良い。シャネルと2人ならなんでもできる気がする。


 けれど――。


「どうかしら?」


「ダメだな」


 俺は断った。


 シャネルは少しだけ悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になる。シンクがそう言うなら私は従うわ、とそう言っているようだった。


「分かったわ」


 いつもならここで話を終わる。シャネルは俺を気遣ってくれて、俺の意見は全面的に肯定してくれて、それで次の会話に進む。


 けれど俺は、シャネルにちゃんと理由を知ってほしかった。


「俺たちがいなくなれば、ドレンス軍はどうなる?」


「驚いたわ、シンクにも愛国心があったのね」


「そういうんじゃないよ……」


 そもそも俺の母国はドレンスじゃない。嫌な思い出ばっかりあるとしても日本という国だ。


「ならどうしてそんなことが気になるの?」


「そりゃあ……だってさ、エルグランドは友達だから……」


 少し恥ずかしかったけど、そう言った。


「友達?」


 シャネルは心の底から驚いたという顔をする。シャネルが驚くのがそもそも珍しいことだけに、俺は余計自分が変なことを言ってしまったのだと痛感させられる。


 それでも1度言った発言は撤回てっかいできない。


「そうさ、あいつは友達だ。俺にとってな。フェルメーラもそうだし、なんならガングー13世だってそうだ。あっちはどう思ってるかしらないけど、俺は勝手にそう思ってる!」


 戦友だって友達だ。


 そもそも俺は友達が少ない、だから手にしたえんは大事にしたい。ここで友達を裏切るようなことはできない。


「なるほどね。でもシンク、さっきあの男とケンカしてたでしょ?」


「見てたのかよ」


「聞こえてたのよ。べつにもうどうでも良いじゃない、ふざけたことばかり言う男よ。私たちに無茶ばっかりさせてさ。もう義理立ては済んだわ」


「友情っていうのはそういうもんじゃないだろ。見返りみたいなことは関係ない」


「でもケンカしてたでしょ。きっと相手もシンクのこと、嫌になったのよ」


「そんなわけないさ」


 友達なんだ。ケンカすることもある。それで仲直りしたりして、友情が深まっていくんだ。俺はいままでそういう経験をしてこなかった。だからこの異世界に来て初めて味わうのだ。友達というものの良さを。


 俺は金山のことを思い出す。


 友達だと思っていた。たしかにあいつのことを親友だと思った日もあった。


 だがどこかで俺たちは道をたがえた。


 俺たちはすでに友達ではないのだろう。


 殺し合いをする復讐相手なのだ、お互いに。


「分かったわ、シンクがそう言うなら。でも私、わからないわ友達って」


「そうなのか?」


「愛情だけで精一杯だもの。これ以上に友情なんて持ってる余裕がないわ。私って薄情なのかしら……?」


 シャネルは本気で疑問を抱いているようだった。


 たしかにいままでシャネルが友達らしい友達を作っているのを見たことがない。フミナはどうだろうか? あれは友情ではないのだろうか。シャネルは気付いていないのだろうか。それとも本気で友情など感じていないのか。


 こんどフミナの前で聞いてみよう。そしたらシャネルも友情というものが理解できるかもしれない。


 俺は苦笑いして海の方を見た。


 あちらの方の陸地からモン・サン=ミッシェルへと続く道が少しずつ狭まっていく。満潮まんちょうが近いのだ。そうなればモン・サン=ミッシェルは孤島となり、陸地からのアクセスは船でしかできなくなる。


 天然の要塞だ。


「道、なくなってくわね」


「そうだな」


 ゆっくりと時間をかけて狭まっていく道は、しかし最後の瞬間にはいっきに波が双方から押し寄せる。それはあたかも地獄の門が閉じるかのような荒々しさだ。


 これは一見の価値がある。


 俺たちはせっかくだからそれをしっかり見ようと、ベンチに深く腰掛けた。


 ――ドクン。


 不思議な感じがした。俺の心臓が強く鼓動した。


 なんだろう?


 予感がする。いつもは感じない、良い予感が。それに俺の心が歓喜している。


 ふと見れば、修道院の建物の中からエルグランドが出てきた。かなり慌てた様子だ。


 エルグランドはベンチに座る俺たちを認め、すぐに足を止めた。


「どうした?」と、俺はさっきのケンカを水に流したのだと証明するように普段よりも少しだけ優しい声で聞く。


 なにせいまは気分が良いのだ。


 ――ドクン。


 と、また心臓が高鳴る。


「エノモト・シンク……あの、さっきはすいませんでした。私も少し取り乱してしまいました」


「良いってことよ。俺も殴っちまったしな、おあいこだ。それより急いでるな。なにかあったのか?」


 まさかエルグランドもこの海の荒々しい波打ちを見に来たのだろうか。


 それにしては顔が青白いが。


「敵が攻めてきたのです」


「なに?」


「報告によれば数千を超す騎兵部隊がこちらに向かっているとのことで――」


「なんだよ、そんな情報聞いてないぞ」


「私もいまさっき副官から聞きました。どうやら敵の進軍速度が異常な程に早いらしく、その……しょうじきに言いますとこちらとしてもしっかりとした情報を掴んでいないのです」


「まったくどうなってんだ」


 俺は戦闘の準備をしようと立ち上がる。


 ――ドクン。


 しかし嫌な予感はまったくない。


 騎兵?


 その言葉がなんとなく気になっただけだ。


「また戦い? そればっかりね」


 シャネルは呆れたように言う。


「それが戦争というものです」


 エルグランドは重々しく言う。


 厳しい戦いになる。実際、いまこのモン・サン=ミッシェルにいる兵士たちはみんな満身創痍だ。いくらなんでも連戦が続いている。


 俺がどれだけ頑張っても、他の兵士たちもそれぞれ戦っているのだ。戦場においての疲労やストレスは途方も無いものだ。


 はっきり言って士気は低い。


 それでもやらなければならない。


「まずいです、もう来ました!」


 エルグランドが海の向こうの地平を見る。たしかに大きな砂埃が立ち込めている。どうやら大群が押し寄せているようだ。


「来たな」


 と、俺は歓喜を押し込めて言う。


 来た。


 見えた。


 つまり勝てるのだ。


「し、しかし安心してください! 現在よりこの海は満潮となり、明日の昼まで道ができることはありません!」


 エルグランドの言う通り道はすでにかなり細くなり、そのままなくなりかけている。


 だというのに、である。


 地平線のかなたに見える大群は止まろうとしない。


 まるでチキンレースでもしているようだ。


 次第に向かってくる軍団の姿がはっきり見えてくる。騎兵、つまりは馬に乗った兵隊たちだ。それはどう見ても魔族のものではない。


 特徴的な鎧を着ているものは1人もいない。


 しかし服装はドレンスでは見られないもの。獣の革でできた服、そして肩から腰にかけてモーゼルの弾をたすき掛けにし、いくつもの軍旗がかかげられている。


 禁色たる藍色の軍旗。


 潮風に、向かい風に揺れるその旗には堂々と一文字が刻まれている。


チャン


 その文字の意味を、誰よりも知っているのは俺だ。


 騎兵のいち団の中から、一騎がすごい速さで飛び出してきた。それに敬意を表するように他の馬たちは次第にスピードを緩めていく。


 さきがけをする男は獣のように鋭い眼光で、いままさに閉じようとしている海上の道に飛び込んできた。


「ま、まさか攻め込んでくるつもりですか!?」


 エルグランドが驚愕の声をあげる。


「来るね、あいつなら」


 俺はそう断定した。


 輝くばかりの白馬がその筋肉を躍動させ一直線にこちらに向かってくる。馬上の男は身をかがめ、馬を鼓舞している。馬はそれに応えようと精一杯に走る。


 波の双璧はあちらの海岸から次第に飲み込んでいく。


 まるで聖書にあったモーゼの海割り、その逆だ。


 馬上の男は一見して閉じていく道から逃げるようにこちらに向かってきているように見える。

だが本当のところは違う。


 道のほうが、通られたときに役目を終えて水を閉じているのだ。


「飲み込まれます!」


 と、エルグランドが言った。


 海が閉じる速度が上がったのだ。


 じわじわと馬上の男の後方で、双璧の波が打ち合いそのまま海へと変わる。


 あれに飲み込まれれば人も馬もどうしようもない。


 だが、俺は全く心配などしていない。


 ――ドクン。


 ――ドクン。


 ――ドクン。


 俺はその男を出迎えようと、ベンチの前からあるき出した。シャネルが当然のようについてくる。エルグランドは「待ってください!」と言いながら遅れまいと俺についてきた。


 海が閉じていく。


 速度が上がる。


 しかしそれよりもさらに早く、速く、疾く!


 まさに疾風はやてのように駆け抜ける。


 そして最後の瞬間。


 馬ごと水に飲み込まれそうになった男は叫んだ。


「はあっ!」


 その瞬間、馬が跳び上がった。


 そしてモン・サン=ミッシェルの陸地に着地してみせた。


 馬が興奮していななく。男はそれをそっといさめた。


 そして男は三白眼で俺を睨むよに見つめる。しかし口元はほころんでいた。


「息災だったか、兄弟?」


 その男――張作良チャンヅォリャン天白ティンバイはモーゼルを抜くと、景気づけのように頭上に向かって一発の弾を発射した。


 それは上空で花火のように弾ける。


 海岸のあちらから、手下の馬賊たちが大歓声をあげている。


 俺は思わず苦笑いだ。


「相変わらず派手好きなやつだぜ」


 俺が言うと、ティンバイは当たり前だというように頷く。


「俺様を誰だと思ってやがる!」


 そう問われれば答えるしかない。


「張・作・良・天・白!」


 俺はそう叫んで、ティンバイに手を差し出す。


 ティンバイはその手をとり、馬から軽やかに飛び降りるのだった――。



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