047 誰かに狙われてます
「あら、シンク。こんなところにいたの」
シャネルがオペラ座から出てきた。どうやら公演は終わったようだ。
「……うん」
「またどこぞでぶどう酒でも飲んでるのかと思ったわ」
「俺はそんなアルコール中毒者じゃない」
「うふふ、そうね」
シャネルが俺の手にこれどうぞ、と何かを乗せてくる。それは食べかけのポップコーンだった。俺は小腹が空いていたのでそれをパクパクと食べる。
「なんでポップコーン?」
「さあ? 物珍しくて買っちゃったわ。知ってるの?」
「まあな」
映画館って言ったらポップコーンだよね。
でもこれってたしかアメリカで生まれたものだよな。それこそ映画の時に食べるために。たしか音があまりしないから映画館でも問題なく食べられると――。
え、なんだこの異世界にあるんだ?
「ポップコーン……」
「もしかしてジャポネの食べ物なの? なんか最近でたらしいわよ。ウォーターゲート商会ってところが特許を持ってるんだって」
「ふーん」
それってたしかあれだな、さっき武器の暴落で大変だって言ってたところだな。
ポリポリとポップコーンを食べる。
ま、こんなもんはしょせんトウモロコシをポップ――破裂させただけのものだからな。アメリカの人が作らなくても誰かが作ったか。
「で、なんで外にいたの? 劇がつまらなかった?」
シャネルが俺に剣を返してくれる。
預かってもらっていた分をシャネルが持ってきてくれたのだろう。
「そうじゃなくてさ、チケット。預けてただろ。だから再入場ができなかったんだ」
「あら、そうだったの。ごめんなさい」
「別にキミが謝ることじゃないさ」
オペラ座からはたくさんの人が出てくる。みんな楽しそうな顔をしている。きっと劇が面白かったのだろう。
最後、どうなったのだろうか?
「でもシンク、どうして外に出てるの?」
「だってトイレがなかったんだ」
「あったわよ、トイレ」
「え?」
いや、ないでしょ。だって俺が聞いた人は外にしかトイレがないって言ってたぞ。
「私もいま見たけれど、中にトイレあったわよ。すっごい混んでたわ」
なんだと?
つまりはあのおじさんもトイレが中にあることを知らなかったのか? その割には自信を持ってトイレは外にしかないと言っていたが。
これはあれだな、騙されたな。
ドレンスの人ってたまにこういうところあるんだよな、妙に性格が悪いというかさ……。あんまり言いたくないけど。
「俺はトイレが無いって言うから外まで出たんだぞ。くそ、そのせいでガキどもにはたかられるし。最悪だ」
「日頃の行いが悪いからよ、きっと」
「お前らの日頃の行いって心づけの事だろ」
つまりはワイロみたいなもの。
まあこのドレンスにチップ文化があるといえばそれまでなのだが。レストランなどで余計にコインを渡さないと露骨に態度悪くなるんだよなー。
日本の接客を見習って欲しいものです。まあ日本みたいにお客様が神様みたいな考えもどうかと思うが。
二人で夜道を帰る。
もう時刻は夜の11時を超えた頃だろうか。
暗いよなあ……夜道って一人だと怖いんだけどね。そうです、チキンです。でも今はシャネルがいるから平気。
「それにしてもすばらしいオペラだったわ」
「最後どうなったの?」
「そりゃあ英雄譚なんだから、主人公が勝つに決まってるじゃない」
「まあ、そりゃあそうか」
会話をしながら歩く。
マロニエの木っていうんだよな、さっき教えてもらったばっかりだから覚えている。その木は俺たちの左右に植えてある。これで現代日本だったらライトアップの一つでもするのだろうが、ここはなにせ異世界だ。
シャネルがスキップするように前に出た。
「ねえ、シンク――」
「どうした?」
「また見に来ましょうね」
嬉しそうにこちらに振り返ってくる。
「そうだな、今度はちゃんと最後まで見なくちゃな」
いい雰囲気だった。
俺は立ち止まっているシャネルに近づく。
シャネルが目を閉じた。
――え、これって?
まさこれってあれですか。
あれなんですか?
聞いたことがあるぞ、女の子はキッスの時に目を閉じると! え、マジなの本当なの都市伝説のたぐいかと思ってた。
見れば周りには誰もいない。
これってやっぱり、そうだよね? 誘ってるんだよね?
『行くのです、ここで行かなければ男がすたるのです』
俺の中の天使がそうささやく。
『いやいや、ちょっと待てって。これは違うだろ。シャネルはもう夜だから眠たいだけだろ』
俺の中の悪魔ちゃん。
『そんなわけないじゃないですか。シャネルの顔を見てみなさい。これは期待している顔です』
『バーカ、これまでの人生でたったの一度でも女の子に好意を持たれたことなんてあったか?』
あったさ、幼稚園の頃に一度な!
『大丈夫です、シャネルはキスして欲しがってるんです』
『んなわけねーだろ! これでキスしたら嫌われるぞ、やめろ!』
……悩ましい。
どちらの言い分も分かる気がする。
シャネルは期待しているようにも、ただ眠た気なようにも見える。
というか寝てねえか、もう? ずっと目を開けないぞ。
ダメだ、選べない!
『朋輩、朋輩……』
あ、アイラルン!
良いところに来てくれた!
ねえ、どっちが良いかな!?
キス、したほうが良い、しないほうが良い?
『朋輩……迷ったなら自分のやりたい方を選ぶべきですよ』
やっぱりそうか!
『でも朋輩、女の子が悲しむことはしてはいけませんわよ』
了解、トランザム! じゃなかった、キスします!
いやあやっぱり邪神とはいえ女神。我ら哀れな子羊を導いてくれる良い言葉を送ってくれますわ。
俺はゆっくりとシャネルに接近する。
もう少し、もう少しで俺とシャネルの唇が密着する。そうすれば俺は念願のファーストキスを果たすことになるのだ!
涙が出そうなほどに嬉しい。
そしてついにその瞬間が……訪れなかった。
――殺気!
俺の第六感が告げている。
何者かがこちらを狙っている、それは俺のスキル『女神の寵愛~シックスセンス~』が俺に教えてくれる事実にも似た勘だ。アイラルンの話しではこのスキルを極めれば未来の映像を見ることもできるそうだが――俺にはまだ勘がいい程度でしか使えていない。
それでもこのスキルの勘は今まで必ず当たってきた。
「ねえ、シンク……」
シャネルが熱っぽい声で俺を誘惑してくる。
くそ、この女が色ボケになるとろくなことがない。
「おい、シャネル」
俺は彼女に強い口調で言う。
「な、なに? あの、やるなら優しくしてね?」
「そういう話じゃねえ――だろっ!」
俺はシャネルの足を引っ掛けて彼女を押し倒すようにする。しかし地面に激突させては怪我をする。まるでダンスのように彼女を倒し、自分も倒れながら支える。
その直後、俺たちの頭上を刃がかすめた。
「やっぱりか!」
俺は体勢を起こし剣を抜く。
シャネルも杖を胸元から取り出した。
「ちょっとちょっと、なによいきなり」
さすがはシャネル、デンジャラスな女。一瞬で俺たちが敵に狙われていることを理解したようだ。
「どこからだ――」
「あっちの方から飛んできたけど」
いかんせんあたりが暗い。
敵はいったい何人だ? いきなり襲ってきたが、これは奇襲だ。わっと大勢でかかってこないところを見るに少人数、あるいは単独まであるかもしれない。
というか俺たちはなんで襲われてるんだ?
いかん、戦いの場でこういう無駄な思考は隙を生む。ここは敵を排除することだけ考えるべきだ。
クソ、なんでねらわれてるんだ俺ッ!




