472 海上の拠点
海の先には巨大な城のような建物が浮かんでいる。
モン・サン=ミッシェル。
何百年も前の修道院らしいが、いまはドレンス軍の駐屯地になっているらしい。中に作戦本部が設立されており、兵隊も数千人つめているらしい。
なぜそんな場所が作戦本部に選ばれたのか、理由は大きくわけて3つ。
1つ、ここらへんで大きな建物はモン・サン=ミッシェルしかない。
2つ、歴史的建造物のため敵から攻撃されにくい。
3つ、潮の満ち引きがひどいため天然の要塞になっている。
利点だけあがれば素晴らしい本拠地である。しかし問題もある。
その問題とは――。
「なあ、エルグランド」
「……なんですか、エノモト・シンク」
「朝はここ、道があったよな?」
「ありましたね」
「なんかいま、海になってるんだけど?」
「そのようですね」
そのようですね、じゃねえよ! バカなのか? バカなんだな! 満ち潮のせいで道がなくなってるじゃねえかよ!
これだとあっち側に渡れねえ!
いや、違う。引き潮のときしかモン・サン=ミッシェルには渡れないのか。つまり道がないのが普通の状態なのだ。
「橋でもかければいいのに」
シャネルの言うことももっとも。俺も賛成だ。
「そのような労力をかけるほど、この拠点に価値はありません。そもそもここはただの観光地ですよ」
「じゃあそんな場所に作戦本部をおくなよ!」
「しょうがないでしょう。べつに私がここに決めたわけではありません」
「で、どうすんだよ。舟でももってきて渡るか?」
「やめたほうが良いわよ、シンク。この海、流れがあるわ。あっちに渡るの大変そう」
「じゃあどうすんのさ……」
そんなことをしている間に海岸沿いには兵士たちが集まってくる。外に出ていた兵士たちが。
中には俺たちと同じ、道がなくなったことに驚いている者もいる。
「みなさん、今晩はここで野宿します!」
用意のいい人間もいて、テントやらなにやら準備していた。どうやらもとからこの地方にいた人間にとって、モン・サン=ミッシェルへの道がなくなることは周知の事実だったらしい。
というか……。
「3日ほどすれば潮も引きます。それまで温かいベッドとはお別れですが、我慢してください」
「なあ、エルグランド」
「なんですか?」
「あんた、知ってたんだろ?」
道がなくなることを。知らなかったとは言わせない。
「はて、なんのことでしょうか」
「とぼけるなよ。あんたはいけ好かないやつだが、バカじゃないはずだ。潮の満ち引きを知らない? そんなバカな話があってたまるかよ総大将」
「相変わらず、察しのいいことで」
「説明しろ、どういうわけだ?」
こっちへ、とエルグランドは俺を人から離す。俺の後ろに影のようにいたシャネルはついてきた。
なんでもいいけどシャネルのやつ、あんまり喋らないな。こんな戦場で周りは男ばかり、ジロジロ見られるのが嫌らしく、ときどき疲れたような顔をしているのは理解できるが……。
「あの拠点、モン・サン=ミッシェルですが、いかにも堅牢な要塞ですね」
「それは認めるが……」
その堅牢さのせいで俺たちすら締め出されたのだ。
「相手からすれば攻めにくい場所です」
「だろうな」
それこそテルロンを攻めたときかなり骨が折れた。
だから今回はこっちが余裕をもって防衛にあたれると思ったのだが……。
「攻めにくい拠点ならば、無視すればいいのです」
「えっ? あっ……なるほど」
「ここはテルロンのような重要拠点でもなければ、街道に陣取る要所でもありません。ただの前線基地です。相手からすれば無視するという選択も十分にありえます」
「なるほど。その場合、満潮は不利になるな」
「そのとおりです」
「どうして?」と、とシャネルが口をはさむ。
「考えみろ、シャネル。相手が攻めてこられないってことは、こっちからも打って出ることがえきないってことだ。この海を越えて迎撃するってのは難しいだろ」
「なるほどね。じゃああそこは引きこもりの拠点なわけだわ」
「そういう言い方、嫌だな」
引きこもり……。
まあ俺はそうだったからね。
「ここを越えられては、けっきょくノルマルディを占領されることになりかねません。水際防衛は水際でしてこそなのです。みずから水に入るものではありません」
「つまりここにいる兵士たちはエルグランド、あんたが用意した迎撃用の兵たちか」
「そのつもりです」
だが、数が心もとない。
数千人もいないだろう。
多く見積もって1000人単位。
それは俺たちがパリィから連れてきた援軍の数、そのものだった。
「中の人に説明して全員で外に布陣すれば良かったんじゃないか?」
「それも考えました。しかしこれは私の勝手な予想であす。もしかしたら敵は来ないかもしれない。そうなれば私は砦があるのにそこに入らず、野営をするバカになってしまいます」
「どうだかな」
それで敵がせめてこれば名将になると思うのだが。
というか……満潮を考えずに外に締め出されているように見えるいまのほうがバカみたいだけどな。本意は他にあるとしても、兵たちはエルグランドを侮ってしまうかもしない。
「泥をかぶるのは良いけどよ、士気に関わることはするなよ」
「大丈夫です。それとなくこの作戦のことは噂程度に流していきます」
「それが良い」
そうすれば兵たちもいきなり始まる野営に納得するだろう。
俺たちは海の近くに新しく拠点を作った。
どうやらここらへんにはモン・サン=ミッシェルの他にも拠点があるらしく、そちらから援軍というよりもお手伝いの兵たちが来てくれた。
物資が届き、なるほど陣営らしいものも作られていく。
どうやら俺が知らされていなかっただけで、この野営は最初から計画されていたものなのだろう。なるほど、エルグランドが毎日どこかしこに出歩いていたわけはこれだな。
それでは私はこれえ、まだ準備がありますから。と、エルグランドは歩き出す。
「ねえシンク」
「なんだ?」
「あの人……なんだかちょっとまともになってない?」
シャネルも気付いたのか、見直したようにエルグランドの背中を睨むように眺める。
「この前のテルロンで一皮むけたんだろ」
「ふーん」
シャネルは自分で聞いておいて興味がなさそうだった。
なんだこいつ、と思ったがシャネルはいつもこんなもんだ。
それよりも……。
胸の中になにか嫌な予感がする。さきほどエルグランドに、敵が攻めてくるかもしれないという話を聞いてからだ。
来るか?
来ないか?
敵は……。
この嫌な予感、答えは決まっていた。




