435 処刑、反撃、グローリィ・スラッシュ!
俺の眼前に、下卑た笑いを浮かべる男。
魔王軍四天王が1人、エディンバラ・マクラーレンだ。
「榎本シンクよ、逃げずに、ぎゃはは。俺の元へ来たか!」
「逃げるのにはもう飽き飽きしてたもんでね」
エディンバラの両手は、地面につくほどに長い。腕というよりもむしろ生育不足で無茶苦茶に伸びた木の枝のようで。それは肉体ではなく魔力の塊なのだから形がゆらめいているのも当然なのかもしれない。
距離は歩幅にして数歩。
もし武器があれば確実に間合いの中。しかし俺には武器がない。
「ぎゃはは、ぎゃはは」
エディンバラが自分の頭をかきむしる。もともとは長髪だったと記憶しているが、いまは顎くらいまでのおかっぱにみえる。髪はかなりボサボサで。
ブチブチと音がした。
「うげぇ……」と、俺は思わず言ってしまう。「ハゲるぞ」
エディンバラは自分の髪を引っ張って抜いている。しかしそれは怒りではなく、むしろ歓喜からくる行動――いな、奇行のようだった。
「おい、そこのお前!」
「な、なんですか」
エルグランドはかなりドン引きしているようだ。
いや、そうだよね。
俺もビビってるもん。自分の髪の毛むしる人間なんてこの世にいる?
「俺の、俺のこの姿は貧相か!」
「それは……」
さっきのことをどうやらかなり気にしているらしい。自分の身体にそうとうのコンプレックスを抱えている。
「俺は魔族だ、お前たち貧弱な人間にバカにされる要素は一つもない!」
「わ、分かりました。貴方のことを侮辱したのは謝りましょう」
「いいや、謝らなくてもいいさ。どうせお前たちはいまから死ぬんだからな。ぎゃはっはっは!」
エディンバラの後ろには魔王軍の兵士たちがひかえている。
しかしそいつらはなんの反応も示さない。まるでマネキンのようにただ突っ立っているだけだ。よく見れば、そいつらに魔力を提供しているはずの魔族の姿もない。
――まさか。
俺は考える。
まさか、この魔族すべてをエディンバラ1人が動かしているんではないだろうか。
そんなことってあるか? 1000人規模の軍隊をたった1人の男が動かせるものか?
分からない。
しかし俺の勘はその推測が正しいと言っている。
つまりこの眼の前のエディンバラさえ倒せば俺たちの勝ちだというのか?
勝ち目はないかもしれない。しかしか細い希望が見えた気がした。
だがその瞬間、エディンバラが動いた。
魔力の右手が振り上げられた。その素早さに俺は目で追うことはできても体で反応ができない。それでも一瞬、反射で動き出そうとする俺の体。
だが逃れることはできない。
死が迫ってくる。
しかしその刹那、俺の前に魔法のエフェクトが出た。
ガッ――と、エディンバラの魔力の腕が止まり、それが消え去る。
「ほうっ――」
右手を無くしたエディンバラは、余裕の表情だ。
たいして俺は、冷や汗をかいていた。まったく避けられなかった。なんとか『5銭の力+』のスキルで防いだが、いまのでごっそり手持ちのお金ちゃんが消えた気がする。
懐が物理的に軽くなった。
くそ、これを見越してフェルメーラから金を借りてきたのに。
「いきなり殺す気でくるかよ、普通」
俺は距離をとる。
エルグランドもそれについてくる。
「なんだなんだ、ぎゃはは。お前は、俺に、殺されに、来たんだろう」
「だとしてもだ。殺される方にも準備ってもんがある」
大丈夫、まだ軽口はたたける。
それに右腕を奪ってやった。俺のスキルで消してやった――。
と、思ったら魔力の腕はまた生えてきた。生えた、という表現はなるほどぴったりなはずだ。ズブズブと音がしながら、少しずつ魔力の腕は大きくなったのだ。
どういう原理かは知らないが、魔力で作った腕なのだ。生やすことなど自由自在なのだろう。
「榎本シンク、お前のことは魔王様から聞いたぞ」
「へえ、金山から。なに、あいつ俺のいないところで俺の悪口言ってんのかよ」
冷や汗がとまらない。
どうする?
どうする?
頭の中で思考がぐるぐる回る。けれど良い案が出ない。思考の袋小路に入っている。
「お前は魔王様にスキルをとられたんだ。残っているスキルは情けない逃げるための防御スキル。それと貰い物のくだらないスキルたち!」
「……なんだ、そんなことまで教えたのか」
ペラペラとさ、お喋りなやつ。
お喋りな男は嫌われるんだぜ。昔どっかの本で読んだ。
「魔王様はな、もうお前のことなんてどうでもいいと言っていたぞ。ぎゃはは!」
「そうかよ」
怒りがわいた。
お前がどうでもよくてもな、こっちはお前のことをいまでも殺したいと思っているんだ。
「だから俺に、お前を殺す権利をくれたわけだ!」
「権利?」
「そうさ。ぎゃはは、ぎゃはは!」
「人が人を殺す権利だと?」
ふざけているのか。人の命をなんだと思っているんだ。
「さあ、そろそろお喋りは終わりだ。ぎゃはは、お前を殺すぞ、榎本シンク」
「やってみせろよ」
こうなったら持久戦だ。金も寿命もつきるまで戦ってやる。
「ぎゃはは! お前を殺すのは俺だが、直接手を下すわけじゃないさ」
「なに?」
「お前のスキルは面倒だからな。死なないんだろう? 魔王様は言っていたぞ、お前を殺すときはいっきに叩き潰すか、何度も殺すかのどちらかだとな!」
「………………」
俺はなにも言わない。
図星だった。
「だからお前を殺すのは俺だが、直接手を下すのは俺じゃない。そんな面倒なことはしないさ。俺は榎本シンク、お前を殺せればいいんだからな!」
ぎゃはは、ぎゃははとエディンバラは狂ったように笑う。
腹を抱えて。
髪をかきむしり。
目を見開いて。
ヨダレを垂れ流し。
俺を笑う下品な男。
「もういいよ。お前の言いたいことはよく分かった」
とにかく俺を殺したい、と。
「ぎゃはは、ぎゃはっ!」
「ま、待ってください。私たちが死ぬのは分かりました。ただ私たちは降伏します。これがそれを示す剣です。ですから、とにかく他の兵士たちの命だけは助けてください。約束してくれますか?」
エルグランドの言葉で、エディンバラは笑うことを辞めた。
「ああ、約束するさ」
と、いけしゃあしゃあと嘘を吐く。
エルグランドだってそれは信じていないだろう。
「信じましょう」
しかしそう言うしかないのだ。
剣を渡そうとするエルグランド。
「いらなさいさ、そんなものはな」
それを一笑に付すエディンバラ。
「なっ! これは正式な降伏の作法であって、それを否定するということはこの戦場におけるすべての兵士を否定することです」
「知らないさ! 俺たちは魔族だ。グリース軍じゃない、魔王軍だ! 魔王様はおっしゃられた、この世界をすべて手に入れると! お前たちだってすべて魔王様の持ち物なんだよ!」
笑うエディンバラ。
悔しそうなエルグランド。
それにたいして俺、榎本シンクは――。
「バカバカしい」
吐き捨てるように言う。静かに怒る。
「ああ、私たちはこんな者たちに殺されるのか。神よ――」
「エルグランド、いいだろう。いらないって言ってるんだ。プレゼントしてやる必要はないさ」
「榎本シンク! 貴方は悔しくないのですか!」
「いいや、ぜんぜん」
だって俺は――まだ諦めていないんだから。
「ぎゃはは、お前らそろそろ死ねよ」
エディンバラが背中を向けて歩いていく。
無防備な姿。
いっそ後ろから襲いかかってやろうかと思ったが、おそらく無理だろう。やつは無防備に見えて後ろの警戒をおこたっていない。
だから、俺はまだ動かない。
そのかわり。
「エルグランド、その剣かしてくれ」
「な、なにをするつもりですか?」
「なにをだって? 反撃するんだよ」
なにもせずに殺されるなんて、ありえないだろう。
「は、反撃!? できるのですか!」
「できるかどうかじゃねえ、やるんだよ!」
「そんな無茶苦茶な!」
「無茶苦茶だろうがなんだろうが関係ないんだ! できるかどうかは分からなくてもな、できないと思ったらできることもできなくなるんだよ!」
そう、シャネルが俺に教えてくれたのだ。
それからというもの、この言葉は俺の座右の銘になっている。
エルグランドが剣を渡してくる。「頼みます」と、切羽詰まったように言う。
「頼まれた」
礼剣を抜く。
たしかにこれは武器ではない。ただ剣の形をしただけの飾り物。
だとしても剣は剣だ。
いくぞ、『グローリィ・スラッシュ』だ。
空を飛ぶ茶色いカラスがなにかを言っている。
「いまからお前たちのリーダーを処刑する。よく見ておけよ、ぎゃはは!」
きっとあれがスピーカー代わりなのだろう。町にいるみんなにも聞こえているはずだ。
だからどうした? いまの俺には関係ない。
いまはただ、この剣から必殺の技を繰り出すまで。
剣を腰だめに構えた。
「全門、発射準備! 行くぞ――撃てえっ! ぎゃはは」
エディンバラの号令。それと同時に3両の戦車の砲身が火を吹いた。
町を一瞬で破壊したほどの砲撃。そんなものを生身の人間が受けたら、まず生き残れない。
かりに俺が生き残れたとしても、エルグランドは死ぬ。
確実に。
だからここで――。
撃てなくちゃ――。
男がすたる!
「いくぞ! 隠者一閃!」
剣に魔力が集中する。
それがいまにも破裂しそうになる。
それを向きを整えてやって、前に打ち出すのだ。
いままでずっと出なかった『グローリィ・スラッシュ』。
けれど本当は分かっていた。自分でも知っていたのだ。俺は信じていなかったのだ。
『武芸百般EX』のスキルを失ってから、自分に勇者の技である『グローリィ・スラッシュ』が撃てると思っていなかったのだ。
だがそれは怖がっていただけなのだ。
自分が弱くなったと信じたくなかった。
必殺の技であるそれを撃って、前までよりも弱かったら?
俺にとってこれは金山を倒すために残された最後の切り札だったのだ。
それを否定されたら立ち直れないかもしれない。
自分がなにもできないことを認めるのが怖かっただけなのだ。
でもいまは違う。
怖がっていても仕方がないのだ。
他人を守るために剣をふるわなければならないのだ。
それは俺が手に入れた、強さの意味なのだ。シャネルを守るため、誰かを守るため、ひいてはそれが自分のために――。
「隠者一閃――『グローリィ・スラッシュ』!」
振り抜かれた剣。
爆発するようにはじける魔力。
それはスラッシュという名にしては無理やりな、放流された魔力。
真っ黒い、しかしところどころ輝く真紅の色が混じったビーム。
戦車の砲弾など簡単に飲み込んでいく。
そしてそのまま、
「うおおおっ!」
魔王軍の軍勢すらも一掃していった――。




