432 たたれた退路
ぎゃはぎゃはとエディンバラの下品な笑い声が空から響く。
喉の奥にタンでもからまっているんじゃないかってくらい、断片的な笑い方。こんな笑い方をするようなやつだっただろうか?
「な、なんですかあの鳥は?」
リーザーさんが驚いているが、しょうじき俺からすれば鳥が喋っているのも、トカゲ人間が喋っているのも同じようなものに思える。
「魔族のたぐいでしょう。エノモト・シンク、撃ち落としなさい」
「撃ち落としなさいって……」
簡単に言ってくれちゃってさ。
けっこう高い位置にいるぞ、あの鳥。
まあためしてみるけど。
俺はモーゼルを上にかかげて狙いをつける。
届くだろうか、と思いながら銃弾を放った。
意外なことに簡単に命中。今朝からの練習がここでいかされてきたわけだ。
「当たりましたね」と、リーザーさん。
「当たったね」
バサッ、と音がして鳥は地面に落ちた。
茶色い毛並みのカラスみたいな鳥だ。
その鳥はたしかに意思があるようで、首だけをギチギチとロボットみたいなぎこちなさで動かしていた。
「閣下、お下がりください」
と、エルグランドの副官がいかにも危険な敵がいるかのようにふるまう。相手は地に落ちた鳥だというのに。
「あ、ああ」
「ぎゃはっ! ぎゃはは、お前がここのボスか!」
鳥はエディンバラの声で笑う。すぐさまエルグランドが俺たちの大将だと気づいたようだ。
「そういうそちらは。ずいぶんと貧相な姿ですね」
「ぎゃっはは! ぎゃはっ! 本物の俺を見ればそんなことは言えないぞ!」
やはりなにかがおかしい、と俺は思った。
俺の記憶にあるエディンバラとは、少しだけ喋り方が違うように思える。まるで徹夜明けみたいなテンション。いや、もっとひどい。それこそヤクでもやってるんじゃないかってくらいのものだ。
少なくともエディンバラはもっと丁寧な話し方をする男だったはずだ――。
「エノモト・シンク。この醜い鳥をさっさと殺してしまいなさい」
エルグランドが俺に言う。
「おいおい、たまには自分でやれよ」
俺は刀を抜いた。
エディンバラの声をした鳥と、目が合う。
おそらく視覚などもエディンバラと共有しているのだろう。というよりも、この鳥を介してこちらを見ている、ということか。
つまりは――。
「ぎゃはっ」
鳥が、まるで感極まるというように笑った。
「よぉ、エディンバラ」
あちらも、俺の存在に気づいたのだろう。
「見つけたぞ!」
嬉しそうに言う。
見つかっちゃったか、と軽口を叩く余裕、俺にはない。
刀を振り上げた。
「殺してください」と、エルグランド。
言われなくても。
「見つけたぞ、少年! ぎゃはは、ぎゃはは! お前を、お前を殺すために俺はこんな国に来たんだ! ぎゃははは、ここで会えたとはなんたる僥倖か!」
「難しい言葉をつかうなよ」
え、いまなんて言った?
分からなかったので、そのまま鳥を切り裂いた。死んだ、といえばいいのだろうかこの場合は。
「エノモト・シンク。いまの鳥は貴方と知り合いなのですか?」
「知り合いって言うとなんだか仲良しに聞こえるけどな。いちおう互いに因縁のある人間ではあるな」
とはいえ、俺のほうはそうでもないのだが。
だがいまのエディンバラの様子を見るに、やつの方は俺に恨み骨髄という感じだが。
「どのような関係ですか?」
「どのようなとか言われてもなあ、あれは魔王軍の四天王の1人。つまりやつらの幹部だな。何度か戦ったけど、魔法の腕をもってるんだ。それで攻撃してくる」
「魔法の腕?」
「ああ、触れたもの全部壊すような、それはそれは恐ろしい腕さ」
とはいえそれは1対1の場合。
個人で相手取るには、いまの俺には荷が重いかもしれない。けれどこれは良くも悪くも戦争なのだ。いざ戦うとなれば数人で囲んで袋叩きにすればいい。
卑怯かな、これ?
「まあなんでもいいです。どうせ我々は撤退するのですから」
「いえ、待ってください。そんなすぐに船を出すことはできません」
リーザーさんが困ったように言う。
「出さなさい」
ここまでくるともうエルグランドはクレーマーだ。
「おい、エルグランド。ちょっと落ち着けよ」
「これが落ち着いていられますか――」
「そうだな、落ちつている暇はないぞシンクくん」
いきなり、フェルメーラが走ってきた。
その後ろにはルークスとデイズくん。
「どうした?」
「敵の進行が思っていたよりも早い。このままじゃあ町の人の避難はおろか、僕たちの撤退も間に合わないよ」
「見てきてくれたのか、ありがとうフェルメーラ」
「ああ。それでエルグランド、このまま逃げるとして町の人たちはどうするんだい?」
「なんのことです、フェルメーラ」
「だから町の住人だよ。この規模の町だ、さすがに見捨てるとなれば問題に――なんだその顔、もしかして何も考えてないのか!」
「……いえ、考えていましたよ。ただ考えをまとめる時間がなかっただけで」
俺たちは全員で白い目をエルグランドに向けてしまう。
たしかに、よく考えてみれば俺たちが逃げたあとこの町の住人がどうなるのかなんて考えていなかったけど、それは大事ななことのはずだ。
もし俺たちだけが逃げれば――。
「この町の人たちが虐殺でもされたら、僕たちドレンス陸軍の権威は地に落ちるぞ」
――そう、虐殺なんてこともありえるのだ。
相手はあのエディンバラだ。顔色も変えずに人を殺すことのできる人間だ。
そう考えていくと、もしかしたら俺たちに逃げるという選択肢などなかったのではないか?
そりゃあアメリア軍のりーザーさんたちは逃げることを提案するだろう。けれど俺たちドレンス軍はその提案にのれないはずだ、普通なら。
だって自国の民を見捨てることになるのだから。
「エルグランド、ここはもう一度撤退を考えてみたらどうだ――」
そう俺が言った瞬間、また鐘の音が鳴り出した。
しかしそのテンポというか、リズムが違う。
「い、いかん! みなさん、これは敵砲撃の打鐘です! すぐさま伏せてください!」
砲撃だと!?
リーザーさんの声で、俺たちはその場に伏せた。
そしてジャスト3秒後に砲撃が届いた。
それは俺たちのいた場所にではなかったが、そう離れてもいない地点。家が粉々になっている。地面が震えたように感じたのは錯覚ではないだろう。
「どこからの砲撃ですか!」
エルグランドがヒステリックに叫ぶ。
「そんなの決まってるだろう、町の外からだよ! シンクくん、まずいぞ。追いつかれたんだ」
「敵はそんなに近かったのかよ!」
「そう近くもなかったはずだけど――」
「射程がべらぼうに長いってことなのか?」
たぶんだけどそう思った。というかそれしかありえないだろう。
戦車だろうか。
あるいは他の移動砲台がある。
なんにせよ、俺たちはすでに喉元に刃を突きつけられるのだ。
「まずいです、いまの砲撃。一発は船の方に飛びました。確認してこなければ――」
「船の方に? マジですか、リーザーさん」
「もしかしたら船にダメージがあるかもしません」
リーザーさんのその言葉と同時に、打鐘の音がまた変わった。
これで離れていても状態を報せられるというのは、とても便利な方法だと思う。しかし俺たちにはそのモールス信号のような打鐘がなにを意味しているのか理解できなかった。
「リーザーさん?」
「まずい……」
どうやら悪い報せらしかった。
「説明しなさい」
「エルグランド氏、この報せは……船舶の航行不能を示しております」
「ああ……なんということでしょうか。女神ディアタナは我々を見捨てたというのか」
エルグランドはその場に崩れ落ちた。
敵は目前、すでに射程内。反撃の手段はない。その状況で退路までたたれた。
つまり俺たちは――また負けたのだろう。
「投降しましょう」
そう、エルグランドが呟いた。




