408 テルロンにて
テルロンはドレンス南部にある港町である。ここは古くから貿易の拠点であり、またドレンス海軍の停泊地としても重宝されていた。
だがかつて、そこをグリースという国が占領していた。
事の発端は500年前の革命騒ぎにある。
ここテルロンは首都であるパリィからは遠く、王党派よりも革命派の勢力が優勢な地域だった。あるとき、周囲の革命派が団結しこの地で反乱を起こした。それ自体は当時ドレンスのどこででも見られることだ。だが、テルロンは場所が問題だった。
貿易が盛んなテルロン岬には当然のことながら他国の船も碇泊していた。そんな場所での反乱。これにいち早く動いたのはドレンスの南方方面軍ではなく、島国グリースの海軍だった。
グリース海軍は自国の船舶を保護するためとすぐさまテルロン岬にある砦を占領した。元々が農民に毛が生えた程度の革命軍である、抵抗ははなはだ虚しいだけだった。
初手で遅れをとったドレンスはグリースの行為に極めて遺憾であると抗議した。内政干渉どころではない、ただの侵略行為であると。だがグリースの態度は自国民の安全を守ったのだと毅然としたものだった。
その割には反乱が鎮圧されてからもテルロンを動くことはしない。グリース側としてもここを抑えておけば何かと都合が良いのだ。
対話での解決が見込めないと察したドレンスはテルロンに軍隊を送り込む。
それ対してグリースも海から部隊を補充する。
テルロンを拠点として、相手は周囲に広く陣営を貼った。その奥には、元々は海からくる敵への防衛用であった砦が三つ。ドレンスの目標はこの三つの砦の奪取であった。
かくしてテルロン戦線での攻防は始まったのである。
その戦いで幾度となく両軍は剣を交えてきた。しかし決定的な勝敗はついていない。いいや、防衛戦において勝敗がつかないというのは実質的にグリース側が勝ち続けているということだ。
とうとう士官学校を卒業したばかりのガングーにまでお呼びがかかった。この事実で推して知るべしである。
「つまり、これが500年前。テルロン戦線でガングーが出陣するまでの流れというわけさ。シンクくん、よく分かったかい?」
「え? ごめん、なんか話しが難しくてよく分からなかった」
地の文で書いてあったら読み飛ばすレベルだね。
フェルメーラはやれやれと首をふる。
いや、まあ呆れられるのも仕方がない。いちおう俺の方からねだった話なのだ。ガングー時代のテルロンのことを教えてくれ、と。
「まあ、なんにせよ現在の状況はその当時に驚くほどよく似ているということだけどね。実際、テルロンを占領しているのはグリース軍だよ」
「で、こっちはこの丘のあたりで陣地をはってのにらみ合い、と」
俺たちはとうとうテルロンに到着した。
テルロンに来られたのは昨日の夕方。そのときはそりゃあそりゃあ喜んで、みんなして肩を組んで騒いだものだ。けれどよく考えればいまから戦争をすることになる。
一晩あけてしまえば、浮かれた気分も吹き飛んでいた。
「ちなみにこの丘は『勇者たちの丘』という場所だよ」
「なんだ、その格好良い名前」
「当時、ガングーがつけたのさ。ガングーはどうしてもこの丘を戦略上の拠点として欲しがった。だがこの場所は敵の部隊が先に布陣されていた。そこでわざわざ名前をつけたのさ『勇者たちの丘』とね。そしてこう言った、あの丘をとれたやつが勇者だ、とね」
「それで、どうなったの?」
「みんな勇者になりたがった。死にものぐるいで奪還したのさ、この丘を。そしてガングーはこの丘を足がかりに、テルロンを攻め落とした」
「バカなのか? 当時のドレンス人はバカなのか?」
名前が格好良いくらいの適当な理由で命をはるか、普通?
それとも、それだけガングーという男にカリスマ性があったのか。
丘には砲台が置かれていた。これが火を吹けば、戦いが始まるのだと嫌でも思わされるほどに巨大な砲台が、いくつも置かれていた。さいわい、まだ点火されたことはないようだが。
しかしいつ戦いが始まってもおかしくない。
「ま、それだけ名誉というものが尊ばれる時代だったのさ。いまの僕たちから見ればバカバカしくともね。その当時の人たちは真剣だったのさ」
「ふうん」
「もっとも、いまだにそんなものを追い求めているたわけ者もいるみたいだけど――」
はて、誰のことだろうか。
そんなことを思っていると、兵士が1人、俺のことを呼びに来た。
「シンク隊長、エルグランド将軍がお呼びです」
その兵士の顔は見たことがなかったが、たぶん連絡兵かなにかだろう。
「エルグランドが?」
「はい。至急、作戦本部に来てほしいとのことです」
まあ、そう言われて断るほど天の邪鬼でもない。俺はフェルメーラに行ってくるよ、と手を振って丘を降りていく。
どうやら連絡に来た兵士は俺の案内もしてくれるようで「こちらです」と俺の前を歩いていく。
「なあ、あんた」
と、俺は前を行く兵士に話しかけた。
「はい、なんでしょうか」
「飯、ちゃんと食べてる?」
ずいぶんと細身に見えて、ちょっと心配になったのだ。
「いえ、そんなには……」
だろうね、と俺も頷いた。
実際、俺もそんなにご飯を食べていない。昨日缶詰が配られたので美味しくて食べたが。
え、この時代缶詰あるの!?
と、驚いたけど。まあ、あるらしい。というかガングー時代からあるらしい。色々あるね。
ちなみに缶詰のパンだったけど(それって乾パンでは?)まずかったです。
「とにかくご飯が一番大事だと思うんだけどな……」
さすがにアルコールを出せとは言わないが、腹いっぱい飯くらいは食わせてもらいたいもんだ。
作戦本部は丘の下にあった。
それはテルロンにあるという3つの拠点のちょうど反対側で。つまりあちらから見えにくい場所だった。
天幕とでも言えば良いのだろうか、大きなテントが作戦本部。俺も入るのは初めてだった。
入り口を開ける。まるで暖簾をくぐる酔っぱらいのように。
「やってる?」
と、つまらない冗談を言う。
中にいたエルグランドに睨まれた。
「遅いですよ」
「道が混んでたもんでね」
「ふざけているのですか」
「まあね」
ここのところ、俺とエルグランドは険悪だった。
それは先日の拠点での一件から。
どちらも謝らないから仲直りもできない。これはこじれるぞ、と俺は思っていた。
「それで、なんの用事で呼んだの?」
「貴方を呼んだのは他でもありません、作戦概要の説明をするためです」
「作戦概要」
と、俺は聞き慣れない言葉をオウム返しにつぶやく。
それがまたおちょくられていると思ったのだろう、エルグランドは苛立たしげに懐の杖に手をやる。
これはエルグランドのクセだ、苛立ったときには杖に手をやる。それでプッツンしたら杖を抜くのだ。じつはこいつが魔法を使っているところを一度も見たことがないが、いったいどの程度の腕前なのだろうか?
「茶化さないでください」
「べつにそういうつもりもないがな」
俺は肩をすくめてみせる。
ここまできたらなにを言っても無駄だ。まさしく蛇蝎のごとくエルグランドは俺を嫌っているだろうし。
天幕――つまりはテントなのだが――の中には俺とエルグランド、他にエルグランドの副官である男と、もともとこのテルロンに先についていた部隊の隊長たちがいた。
総勢でいえば8人。
この8人で、今回の戦いの指揮をとるわけだ。
――フェルメーラも連れてこればよかったな。
いまさら思っても後の祭りというやつだ。
まさかいまさら『ちょっと副官連れてくるから。あ、いや俺は難しい話とか分からないし』なんて言えるわけもないのだから。
「良いですか、我々はテルロン砦を奪還します」
天幕の中心にはどれくらいの縮尺かは知らないが、ここらへんの地形を模した模型があった。なんだかプラモデルでも置いたらジオラマにできそうなくらい精巧な模型だった。
こんなもん作ってる暇があったら食事事情を解決してほしいのだが。
「みなさんが知っての通り、この3つの砦が相手の本拠地です。テルロン戦線とは言うものの、伸び切った相手の兵は無視してもよろしいでしょう、この砦! 砦をとればこちらの勝ちなのです!」
いきり立った様子でエルグランドは言う。
なんだか威勢がいいだけの言葉に聞こえる。
そりゃあ砦をとれれば勝ちだろうけどさ、でも大変そうだよ?
と、思っているのは俺だけみたいで周りの人たちはしきりに頷いていた。
「そして、相手の戦力は我々が想像していたよりもはるかに少ない。数の力で押しつぶすことができるでしょう。ただ1つ、注意事項が」
注意事項?
なんだろう、「おはし」とかか?
おさない。
はしらない。
しゃべらない。
あ、いやこれはただの避難訓練なのだけど……。
「あれを持ってきてください」
エルグランドの言葉とともに、天幕の中には妙なものが運び込まれた。
それは2つの死体だった。
いや、それを死体と言ってもいいのか……。
1つは鎧のような外装を着込む人間。これは胴体と四肢が分離されていた。そして首の部分はなかった。なにかを確認するために斬ったのだろう、鋭利な切り口の傷跡。血はすでに抜かれているのだろう、肉がむき出しになっているだけだった。
そしてももう1つはミイラ化した死体。胸の部位に野球ボールほどの大きさの黒い球が埋め込まれている。しわしわの皮膚の中で、つるつるとした球体だけは不気味な光沢を放っていた。
「なんだよ、これ」
と俺は思わず聞く。
顔をしかめた。
見ていてあまり気持ちのいいものではない。
「これこそが魔族の正体です」
と、エルグランドは自慢げに胸を張った。
なるほど、と俺は頷く。そうか魔族か……。




