400 歩く歩く、くるくるくる
人の足というのは、これでなかなか長距離移動に向いていると聞いたことがある。
機械と違って壊れて動かなくなる前にあきらかな予兆がある。馬のように扱いが難しいわけでもない。体力がなくてもなんなら気力で前に進むこともできる。
とはいえ、人間には限界というものがある。
「………………おい」
俺は隣を歩くフェルメーラに言う。
「………………」
しかし無視された。
「……なんか言えよ」
「……アルコールが飲みたい」
「……バカ野郎」
最初こそ遠足気分で始まった行軍も、次第に疲れがたまってくる。
談笑をしたり、行軍に文句を言い合ったりしていた兵たちも、いまでは口を開くのも億劫という感じ。ただ黙々と歩いている。
休みたくても休むことはできない。そんなことをすれば隊列から遅れてしまう。遅れたら最後、置いていかれる。
パリィから出て数日がたっていた。恐ろしいことに、俺は詳しく何日たったかを覚えていない。それくらい疲れている。
けっこう進んだと思うのだが……そのせいでここがドレンスのどこらへんなのかも分からない。それはたぶん、他の兵隊たちも一緒なのだろう。
だから必死で行軍にくらいつく。
そうしなければ、ここがどこかもわからない場所で置いていかれる。そうなれば死んでしまうかもしれない……。
とくにいまの時期、夜が寒い。
夜になれば俺たちは身を寄せ合って眠っていた。それでも体がガタガタと震えるほどだった。そんな中で、ただ1人になれば凍死してしまうだろう。
こんな街道のど真ん中で凍死……。
嫌な死に方だ。
「つうかよ、俺ずっと思ってたんだけど。なんでエルグランドは馬に乗ってるんだ? 卑怯じゃないか?」
俺たち特別部隊からはるか先、行軍列の先頭集団にエルグランドがあやつる馬がいる。人間にとっては辛い徒歩での旅でも、馬ならばゆうゆうと行くことができる速度だ。おそらく、馬の方にも疲労はほとんど出ないスピード。
「べつに士官なんだからそんなもんだ。シンクくんだって乗りたきゃ乗っていんだ。文句を言う人間はいないさ」
「そもそも馬なんてもってないよ……」
くそ、こんなことになると分かっていたなら行軍が始まる前に馬を買っておけばよかった。
いや、そもそもフミナに頼めば馬の一頭くらい貸してもらえたんじゃないのか?
いまさら思っても後の祭りというやつだ。
こうなれば覚悟を決めて、歩くのだ。歩く歩く、くるくるくる。
はい、頭がおかしくなっております。
前の方がざわつきだす。
俺の前を歩くのは正規の兵隊で、どちらかといえば品の良いやつらだ。そいつらが行軍中なのに騒ぐということは……。
「小休止」
と、前にいる兵士に言われた。
やったね、休憩だ!
伝言ゲームのように、俺は後ろの兵隊たちに伝える。
「小休止だってさ」
「やったぜ!」
久しぶりの休憩、たぶん1時間ぶりくらいだ。
小休止ってのは10分か15分くらいの短い休憩だけど、念願の休憩時間だ。そんなものでもありがたい。
俺たちはさっそくそこらへんに寝転がる。
街道を占拠している兵隊たちだが、通る人も馬車もないので文句は言われない。
「妙だな……」と、フェルメーラが疲れたように座り込みながら、言う。
「なにが?」
俺は大の字で寝転がる。
息が荒い。疲れが蓄積されている。いま何時だろうか? 昼ごはんはまだ食べてなかったよな?
「小休止、小休止。そればっかりだ。そろそろ大休止がきてもいいはずなんだが」
「言われてみればそうである」
そういや今日は一度も大休止をとっていない。
だから昼ごはんも食べていないのだ。
大休止ってのは1時間とか、2時間とかの休憩だ。みんなが待ち望む休憩。俺はいつもぐだぐだしているが、中には眠るやつもいるくらい。行軍の途中で寝るってのは肝が太い。俺にはちょっと真似できない。
「なるほど……そういうことか。エルグランドのやつ、今日中に行けるところまで行こうって腹積もりか」
「どういうこと?」
「あそこに山があるだろう?」
「あるね」
高い山だなあ。標高何メートル? さすがに富士山ほど高いってことはないだろうけど、そもそも俺、富士山見たことないけど。
「へへ、あの山の先にガングー時代の拠点があるのさ」
「ガングー時代って、それもう500年前だろう? それって拠点じゃなくてもはや遺跡じゃないの?」
「いや、たぶん整備くらいはしてたはずなんだ。少し前……軍縮が行われる前までは」
「なんでもいいけどさ、フェルメーラ」
「なんだい?」
「あんた、ずいぶんと詳しいな。その、軍備的なものに関して。革命家になる前はなにをやってたんだ?」
「貴族さ」
なんだこいつ、と俺は思った。
けどたぶん、言いたくないのだろう。
俺はそれ以上聞かないことにする。なにせ俺は優しい男なのだから。
「つまり、エルグランドは今日中にあの山を超えるつもりなんだな?」
「だろう。そうとうな強行軍になるな、休憩も少ないはずだ」
「でも、あそこさえ超えれば屋根のある場所で眠れる?」
「そういうこと。ああ、隊長――」
隊長、とフェルメーラは茶化すように俺を読んだ。
「なんだい、副官」
「兵たちにはなにも言うなよ。あの山を超えるって言うと、それだけで嫌になるやつらもいるかもしれない」
「たしかにな」
というか俺がもう嫌になってるんだが。
きついなあ。
山越えするの?
夜までに?
無理じゃねえか?
俺は疲れたので靴を脱ごうとした。
「お、シンクくん。靴は脱ぐなよ」
「え?」
「脱いだら再出発のときにきついよ。それなら脱がずに休んだほうが良い。あ、それと足は心臓よりも上に向けろ。そこの背嚢はマクラよりも足置きにするんだな」
「お、おう」
……うーん。
やっぱりこの人、慣れてないか?
行軍に、というよりも軍隊に。
副官を買って出ただけある、ということか。
しばらくして小休止が終わる。
ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がるならず者部隊。
でもそれもすぐになくなるだろう。あるき出せば体力温存のために私語すらなくなるのだ。
なくなる、といえば。人によっては身軽になるために武器を捨てている者もいた。
まあ俺のように武器に思い入れがある人間ばかりではないということだ。
「まったく、どれだけ歩かせるんだか」
フェルメーラが文句を言う。
「なあ、その拠点とやらに言ったら飯はあるのか?」
「たぶんだけどね。わざわざ無理やり歩かせるんだ。先に補給用の物資くらいは運び込んでおいたと思うけど。酒もあるさ」
「それなら良いけど……」
エルグランド本人はどう思っているのだろうか?
あいつは実際に歩いている人間たちの気持ちを考えているんだろうか。
俺は不安だった。
もしかしたらエルグランドには、俺たちの気持ちが分からないのかもしれない。
俺たちを使い捨ての駒として見ている……。嫌な予感がした。
たぶんエルグランドは、俺たちのことを人間だとは思っていないのだ。兵力としての数としてしかみていない。
「危ういな」
と、俺は思わず呟いてしまう。
本当に兵たちはエルグランドにこのままついていくだろうか?
分からなかった。




