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397 髪を切る、そしてお守りをもらう


 朝が来た。


 晴れ渡る空が広がる素敵な良い日だ。旅立ちには良い日だ。死ぬには良い日だ。


「ああ、シンク。髪がずいぶんと伸びたのね。そうだわ、切ってあげる」


「ん?」


 朝ごはんを3人で食べていた。


 俺と、シャネルと、フミナ。


 その食卓で、シャネルがとつぜん言い出したのだ。


「前髪が目に入って邪魔でしょ?」


「言われてみればな」


 いままで――つまりはこちらの世界に来てから、俺はときどきシャネルに髪を切ってもらっていた。シャネルは髪を切るのがけっこう得意で、ときどき自分の髪型も整えていた。


「良いですね……髪を切るの」


「フミナちゃんのもやってあげましょうか?」


「お願いしてもいい?」


「おまかせあれ。貴族様の髪の手入れができるなんて光栄だわ」


 冗談めかしてシャネルは言うけれど、それに対してフミナはさも面白そうに笑う。


 なんというか、女の子の会話っていうのは独特だ。そう面白くないことでもよく笑うし、逆にとても面白いことがあっても機嫌が悪ければ笑わない。


「じゃあ朝ごはん食べたらさっそくやってくれないか?」


 時間があまりない、そんな気がするのだ。


「良いわよ」


 というわけで、食事が終わると俺たちは屋敷の前の庭に行った。


 椅子に座らされて、マントのようなものをつけられる。ようするに床屋さんでつける髪で汚れないためにするためのあれね。


「さてさて、お客さん。今日はどういう髪型がご所望しょもうですか?」


 シャネルがすきバサミを小気味よく動かしながら聞いてくる。


「そうだなあ、なんか格好良くして」


「なんか格好良くですね。では、はい。おしまいですよ」


「おお、こりゃあ格好いい」


「……なに、その茶番」


 フミナにつっこまれた。


「えっと、真面目にやるわね。とりあえずこの前と同じくらいの長さで良いわよね?」


「俺はシャネルに全部まかせるよ」


「了解よ」


 シャキシャキという音とともに髪が切られていく。


 シャネルの手さばきはいっさいの淀みがない。慣れたものだ。


 ものの10分ほどで髪が切られた。


「どうかしら?」


 鏡を持ってきたシャネルが聞いてくる。


「良いんじゃないかな?」


「頭が軽くなったでしょう?」


「もともと夢しか詰め込んでないからな」


 適当に答えて椅子から立つ。


「次は私の番……」と、フミナが椅子に座った。


「どんな髪型が良い?」


「少しだけ切りそろえて欲しい」


「良いわよ」


 俺は離れた場所で、2人の少女を見ていた。


 まるで姉妹のように見える2人だ。


 いい雰囲気、平和な時間、眠たくなるような午前10時。


 けれどそれは、嫌な予感により打ち砕かれた。平和な時間はおしまいだ。


 屋敷に馬車が入ってきた。その馬車は庭の途中で停まる。馬車からエルグランドが少し急いだ様子で降りてくる。


「エノモト・シンク! すぐに出ます! 準備はできておりますか!」


「まあね」


 俺は切ってもらったばかりの髪をかき上げて答えた。


「では行きますよ」


「……どこに行くの?」


 椅子に座ったままのフミナが聞いてくる。


「ちょっとね、戦場に」


「え?」


「シンクはね、いまから戦争に行くのよ。酔狂なことにね」


「そうなんですか? え、だって私はなにも説得をしていない……」


「説得?」と、俺は聞く。


「私が頼んでおいたのです。まあ、無駄でしたがね」


 エルグランドはいけしゃあしゃあと言う。


 こいつめ……本当にいろんなところに手を回してたんだな。まあいい、今回は許す。だってけっきょく、俺は行くことにしたのだから。


「とりあえずシャネル、行ってくるよ」


「ええ……シンク」


「まさかこれが今生の別れでもあるまい。大丈夫だから」


「そうです、安心してください。テルロンにいるグリース軍など、我々が瞬時に蹴散らしてやりますよ」


「ふん、貴方みたいな脳天気な人間が指揮官じゃ怪しいものだわ。それよりシンク、貴方に渡したいものがあるからちょっと待ってて」


「そりゃあ良いけどさ」


「早くしてください」


「……私も待たされる」


 フミナは椅子に座らされたままだ。髪だって少し切られて放置されている。可哀想に。


 それでもシャネルはさっさと屋敷の中に走っていった。


「まったく、自分勝手なお嬢さんだ」


 エルグランドは呆れたように言う。


「そういうところも可愛いのさ。で、エルグランド。俺たちはいまから戦場に行くんだよな。テルロンってところまで。どれくらいかかる?」


「そうですね、できるだけ行軍は早めるつもりです。ただ、ざっと20日でしょう。昼夜問わずの行軍になるでしょう。落伍者らくごしゃも出るかもしれませんが、ドレンス国内の戦いです、それはそう問題にならないでしょう」


「ちょっと待て、20日!? そんなにかかるのか」


 テルロンという場所がどこかは、だいたいだが分かっているつもりだ。なのでそれがどれほどの距離かは分かっているつもりだ。


 距離にしてだいたい800キロ。


「そうですが、なにか?」


「あ、いや」


 バカなことを言ってしまった。


 よくよく考えてみればドレンス陸軍は、ルオの国で一緒に戦った馬賊たちと違って全員が馬に乗る騎兵というわけではないだろう。


 むしろ歩いてテルロンまで向かう兵士の方が多いはずだ。


「遠いな。相手はその間に動くかもしれないぞ」


「……ですから急ぐのです。昨日の今日ですぐに出撃できたのですよ? むしろ早いくらいですから。なんとかなるでしょう。それにリーヨンという国からすでに援軍はでております。こちらは数日でテルロンにつくでしょう」


「つまり俺たちは本隊というか、最後の大詰めのための部隊か?」


「そういうことです」


 それにしても20日の旅……思った以上に遠いぞ。


 それってわざわざパリィから軍隊を派遣する必要があるほどか?


「もっと早く行けないのかよ」


「無理ですね。というよりも20日というのもかなり早く見積もった数字です」


「なんでそんな民族大移動みたいなことをしなくちゃならないのさ」


「2つの理由があります。1つは単純に、いま現在ドレンスに自由に動かせる兵が少ないから。そしてもう1つは、ただのパフォーマンスです」


「なに?」


「このエルグランド・プル・シャロンが対グリース戦争の初戦で勝利をおさめる。このことに意味があるのです」


「ならあんただけで行けば良いものを」


「貴方がた特別部隊の初陣でもあるのですよ。分かるでしょう、さまざまな思いが交錯こうさくしてこうなっているのです。そりゃあ私だって、わざわざテルロンくんだりまで行きたくはありません」


「仕方ないことなんだな」


「そうです」


 ならば納得するしかないだろう。


 800キロの行軍、何日かかってもやってみせようじゃないか。


 シャネルが屋敷の中から出てきた。


「おまたせ。シンク、これあげるわ」


「なにこれ?」


「お守りよ」


 確かにお守りだ。しかもこれ、神社に売ってそうなお守りだ。つまりすっごく日本的なお守りである。


「ありがとう」


 べつに文字は書かれていないが……。たとえば家内安全とか、学業成就とか。


「それはカブリオレ家に伝わる由緒正しきお守りよ」


「へー」


 俺はお守りの口を開けてみる。こういうことしたらご利益がなくなるって言うけど、どうしても俺はやっちゃうタイプの人間なのだ。つまり悪いやつ。


「あ、開けちゃダメよ」


「ごめん、もう開けちゃった。ん、なんだこれ?」


 お守りの中にはきらりと光る銀色の糸のようなものが……。


 なんだこれ、毛か?


 しかもこの色、シャネルのものだな。


 なるほど、お守りか。


「どこの毛かは、聞かないでね」


 シャネルは恥ずかしそうに言う。


「え?」


 言われてみればこの毛、なんだかシャネルのものにしては短いような……。


 その瞬間、俺ははっと気づいた。


 むかしどこかで聞いたことがあるぞ! たしか戦場に行くとき、恋人の恥毛ちもうを持っていけば被弾しないみたいな話しを……。


 そう、あれはガ○ダムの小説で……たしかア○ロがセ○ラさんにもらおうとしたんだよな。あれ、けっきょく陰毛はもらえたんだったか? それとも断られたんだったか? 定かではない。


「それ、お守りだからね。無くさないでね」


「は、はい」


 俺はシャネルのお守りをそっと服の内ポケットに入れた。


「じゃあね、シンク。武運長久よ」


「う、うん」


 これ、シャネルの毛なのか。


 いや、べつに汚いとか思わないよ? 好きな人のものだし。


 でもまあ、


「これなら5銭でももらった方が良かったかも……」


 と、ちょっと思ってしまうのだった。


明日から更新、16:00に戻します

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