396 胸をもむ
帰りの馬車には俺1人だった。
エルグランドは宮殿に残った。なにか会議があるらしい。いちおう、予定としては明日中にでもテルロンに向けて兵を送りたいと言っていた。
それに対して俺は……自らも特別部隊の隊長として行くことを了承したのだった。
ガタガタと揺れている馬車の椅子の上で、俺はあまっていたブランデーを飲む。流し込まれた液体はねっとりとした質量をもって喉を通り、胃の中に重たい石のようにたまった。
「地獄の機械、か……」
俺のことを戦争に参加させようとしていたのは、アイラルンではなくディアタナだった。
まだ見ぬ女神……いったいなんの理由があってそんなことを?
これまでの旅で、女神ディアタナがこちらの行動に介入してきたことはただ1度だけ。それはへスタリアでだ。
あのとき、ディアタナは自分の信者である男を教皇にしようとしていた。しかしそれを俺は、知らずに邪魔しようとしていた。
つまり死ぬ予定だったエトワールさんを護衛して、最終的に教皇にしてしまったのだ。
その途中で、ディアタナは俺の旅そのものを邪魔しようとした。アンさんという美しい女性の心をいじり、俺に好意をもたせた。そして俺を幸せにさせて、復讐など忘れさせようとしたのだ。
あのとき、ディアタナは俺の妨害をした。
しかし今回は違う。やつは逆に俺をどこかへ連れて行こうとしているのだ――。
なぜディアタナは俺を戦争に参加させたいんだ?
分からない。
「なあ、アイラルン――」
俺は因業の女神を呼んでみるが返事はなかった。
結局のところ、俺に迷っている余裕などないのだ。
俺は魔王である金山を殺さなければならない。それをするには、戦争にでもなんでも参加して、もう一度グリースに行かなければ。あるいは戦場で金山と対峙することになるかもしれないのだし。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
ディアタナとかいう女神がなにを考えているにせよ、いまはその手のひらの上で踊るしかない。けれどバカにするなよ、せいぜい上手に踊ってみせるさ。
馬車がエルグランドの屋敷についた。
俺は馬車を運転してくれていた御者の人にお礼を言って降りた。そして一直線に自分の部屋へと戻る。
シャネルが待っていてくれる、そんな気がしていた。
はたして俺の勘は的中する。
シャネルはもう深夜だというのに、俺が部屋を出たときと同じように本を読んで待っていてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい、榎本さん」
「またその呼び方かよ、勘弁してくれ」
怒ってるのかなと思ったら、シャネルは笑っていた。どうやら冗談のつもりらしい。
「今日も遅かったのね。たらふく飲んで大満足?」
「いや、どちらかというと気分が悪いよ」
俺はベッドに腰掛けた。
シャネルは本を閉じて机の上に置く。
「なにかあった? そういえば外に出てたのね、お外で飲んできたの?」
「いや、違う。テルロンって場所が陥落したんだ」
「テルロン? っていうと港町の? ガングーが初めて戦った場所ね」
「ああ、知ってるんだなやっぱり」
「当然でしょ。でも陥落? ふうん、大変ね」
シャネルは他人事っぽく言うけど。もし俺が戦争に行くことにしたと言ったらどう思うだろうか。
隠すことはできないから。
「なあ、シャネル――」
「なあに?」
「俺、けっきょく行くことにしたよ。戦争にさ」
「あらそう」
シャネルは不安そうに目を伏せた。何か言いたそうだけど、けれど俺が決めたことならばと認めようとしているんだろう。
「ごめん」
「なんで謝るのかしら?」
「いや、だって勝手に決めちゃったから」
「べつに。私は良いともダメとも言ってないわ。シンクはシンクなりに考えたのでしょう? 戦争に行って、何をするつもりかしらないけれど」
「俺の目的はいまも昔も変わらないよ。ただ復讐を果たす。そのために旅をしてきたんだ」
「ねえシンク、もしかしてあなたの復讐相手もみんな日本ってところから来たの?」
「ああ」
シャネルは知っている。俺が昔、やつらにイジメられていたことを。それは昔、俺が勇者である月元に負けたとき暴露した。
聡明な彼女のことだろう、俺がいままで復讐してきた相手が俺にとってどういう存在かなんて気づいているはずだ。
「じゃあ、ちゃんと殺してやらないとね。こんなに素敵な貴方に乱暴したのだから」
シャネルがいきなり、俺の手首を掴んだ。
「え? え? なに?」
いきなりのことだったから、俺はびっくりする。
「ねえシンク、私の胸、触りたい?」
触りたい!
と、本能で答えそうになる。
しかしまともな声が出なかった。
「あ、あわわ……」
「遠慮しなくてもいいのよ。好きなのでしょう?」
そりゃあ好きだけど……。
いや、いきなりどうしたのさこの子。頭がおかしくなったんじゃないのか!?
と思ったら、シャネルの頬が赤く染まっている。
もしかして、シャネルも恥ずかしがってるのだろうか。
「い、いきなりどうしたのさ」
「どうもしてないわよ?」
手が胸に伸ばされた。
むにゅん。
音がしそうなくらいに、シャネルの柔らかい胸は沈み込んだ。
「あ、あの……」
「ど、どう?」
「いや、どうって……」
そりゃあいままで何度か触ったことはあったけど。なんだろうか、こうやって面と向かってだと緊張する。
少なくとも寝ているシャネルの胸を触るのとは、興奮も段違いだ。
心臓がバカみたいに動いている。これもう爆発するんじゃないかってくらいだ。だというのに、シャネルのやつは俺の手を自分で胸に押し付けて。
トクン、トクンという鼓動が感じられた。
やっぱりシャネルも緊張しているんだ。
俺たちはいったいなにをやっているんだ? そんなふうに一瞬だけ冷静になりそうになるが、赤くなったシャネルの頬を見ているとそんなことすらどうでもよくなって。
この子は俺のことが好きなのだと、恐ろしいくらいに実感した。
「ねえシンク、戦争に行くのは良いわ」
「あ、ああ」
「でも死なないでね」
そうか、と俺は理解した。
シャネルは俺たちがしばらく離れ離れになってしまうことを知っているんだ。だからこんなふうに、甘えるふうに俺とスキンシップをしようとしている。
可愛いじゃないか。
いや、いつも可愛んだけどね。美人なんだけどね。魅力的なんだけどね。
「シャネル」
「はい」と、シャネルは真剣に答えた。
俺はシャネルの胸をもみながら、言う。
「ちゃんと帰ってくるよ。生きてね。大丈夫、俺は榎本シンクだぜ。任せてくれよ」
なんの根拠もない言葉けれどシャネルは嘘でも安心したような顔をしてくれた。
「分かったわ、シンク」
「それでさ……シャネル」
「なあに?」
「あの、右の胸ももんでいい?」
「ええ、どうぞ」
俺はシャネルに掴まれていない方の手を伸ばす。下からなで上げるように、シャンルのおっぱいに手を添わせる。するとシャネルは「んっ……」という色っぽい声をあげた。
「く、くすぐったいか?」
「そうね。あんまり優しく触られるよりも、もっと乱暴なほうが良いかも」
「わ、分かった!」
俺はシャネルの胸をもみながら考える。
――いったいなにをしているんだ、俺は?
分からない。でもいまは気持ちいいから、こうして胸をもみ続けるのだ。
新発見、男というものは乳をもんでいるだけで幸せな気持ちになれるし、なんなら気持ちよくもなれる。
え、そんなこと非童貞の人ならみんな知ってる?
ああ、そうですか。
けっきょく俺は飽きるまでシャネルのおっぱいをもみ続けるのだった。
そして、それ以上のことはしなかったのだった。
情けないね、いつものことながら。
でも幸せでした。
どっとはらい。




