391 クッサン・ド・リヨン
パリィの街をまわっていると、偶然、人気のお菓子屋さんの噂を聞いた。
「あそこのお菓子屋さんのクッサン・ド・リヨンは最高ですわ」
「本当本当、わたくしもう毎日でも食べていますのよ」
「まあ、嘘ばっかり。そんなに食べていてはそんな体型を維持できませんわ」
女性たちの会話を、たたまた入った雑貨屋さんで聞いたのだ。
――ふむ、お菓子屋さんねえ。
「シンクさん、これ、どう?」
フミナが髪飾りを持ってくる。
「お、良いね。可愛らしい。でも髪飾りは一回プレゼントしたことがあるんだ」
ルオの国でね。
シャネルはいまでもときどき、その髪飾りを付けてくれている。それを見るたびに俺は少しだけ嬉しい気持ちになる。シャネルの愛を再確認するのだ。プレゼントってのは良いものだね。
「そうなんですか。じゃあ違うものを」
「いまさ、いい話を聞いたんだ。なんか美味しいお菓子屋さんがあるとか」
「そうなの? どこに?」
「知らん」
そこまでは聞けなかった。
ちょうどそのときに、女性たちは雑貨屋さんを出ていく。いまさら呼び止めるわけにもいかない。そもそも知らない女性に話しかけるなんて俺にはできっこない。
「手がかりなしですね」
フミナは雑貨の人形を手に取る。欲しいの、と聞くと「いらない」と棚に戻した。
「なんかね、なんたらこんたらリヨンって名前のお菓子なんだけど。あんまり食べると太るらしい」
「……?」
分からない、という顔をされる。
まあそうか、べつにフミナもパリィについて詳しいわけじゃないだろうし。
「うーん、誰かに聞いてみるか」
「店員さんに聞いてみる」
フミナはそう言って、近くにあったアロマキャンドルを手に取る。それを買っていくつもりなのだろう。
アロマ、っていうくらいだからなんかいい匂いがするんだよな。なにか花の形を模したキャンドルだった。
「それ、どんな匂いなの?」
「知らない……けど、疲れがとれるって書いてある」
疲れがとれる。なるほど、ビタミン剤か。それってもしかしてやばいやつかな? こう……疲労がポンと消える感じの。
ありえるぞ、なんせここは異世界なのだから。
「やばいのとか入ってないか?」
「やばいのってなんです?」
匂いをかいでみる。火はつけていないけど、少しだけハチミツみたいな匂いがした。変な感じはしない。やばい予感もない。たぶん普通のストレス解消みたいなアロマキャンドルだ。
「大丈夫そうだな」
「なら良かったです。これ、私もお兄様にプレゼントします」
「そうなの?」
「はい、喜んでくれますか?」
「俺はエルグランドじゃないから、あの人の趣味趣向は分からないけど――」なにせあいつは趣味の悪い男だ「でも絶対に嬉しいと思うよ」
「はい」
どうやらフミナとエルグランドの仲はそう悪くはないようだ。
はたから見ていてどうなのか、よく分からなかったけど。そもそも兄と妹で喋っているのを見たことがないのだ、俺は。
でもフミナの方はそう嫌っていないようだ。疲れて見える兄貴のためにアロマキャンドルを買ってあげるのだから。優しい妹だ。
妹……。
俺も妹がほしかった!
べつにロリコンではありません、ねんのため。
フミナは店員さんのいるレジにキャンドルをもっていく。もちろんこの世界にレジスターなんてものは無いから、勘定はすべて手渡しでおこなわれる。
そのさい、フミナはついでに店員さんに聞いた。
「あの、ここらへんにあるリヨンのお菓子の店、知ってますか?」
「リヨン? ああ、もしかしてクッサン・ド・リヨンのことかな?」
「そうです、たぶんそれです」
「それなら店を出て右側に行って、三番目の通りにあるよ」
「あの、店の名前は……?」
「そのままクッサン・ド・リヨンさ」
ほえー、ときどきあるラーメン屋みたいなもんか。「らーめん亭」とかそんな安直な名前の店、あるよね。
「ありがとうございました」
「はい、まいどあり」
俺たちは店を出る。
「首尾よく場所が分かったな。それだけ有名な店ってことだろうか?」
「たぶんそうですね」
俺たちは言われたとおりに店に向かう。するとどうだろうか、通りに一目見て行列ができている店があった。絶対あそこでしょ! と、俺たちは笑い合う。
「すぐに見つかりましたね」
「なるほど、これは人気店だ」
店の外にまで行列ができている。しかもその行列はきちんとした列をなしていない。日本だったら一列に並ぶところだろうけど、ここはドレンスだ。
いちおう順番はあるみたいだけど、列は蛇行しているし、列から飛び出るようにして待っている人もいる。誰かが横入りしようものなら「そこは俺の場所だよ!」なんて怒号がとぶ。
「すごい列ですね」
「そうだね」
俺たちはおとなしく一番後ろに並ぶ。
それにしても、なんたらリヨン。――クッサン・ド・リヨンってどんなおかしだ?
店から出ていくる人たち袋は中が見えないようになっており、そのお菓子がどんなものかは謎だった。
とうとう俺たちの番が来た。
というかお菓子を売るだけだからな、列の回転率は早いのだ。でも俺たちの後ろにもぞくぞくと客がきていてすでに新しい列ができていた。
「よーし、買うぞー」
店の中に入る。甘い匂いがした。
店内はがらんとしている。レジがあるだけ。どうやら奥が調理場のようで、ここはものを売るだけの場所らしい。お菓子の見本の一つもなかった。
レジの奥にいるエプロン姿の店員さんがにっこりと笑う。
「いらっしゃいませ」
と、言いながらレジの上に何かを置いた。
三角のなにか。文字が書かれている。
「え、なに?」
「売り切れ、ですって」
「はい?」
「申し訳ございません。これにて午後の分はすべて終わりです」
「え、なにすべて終わりって? 日本語として正しくないだろ!」
たぶんだけど!
「日本語?」
「こっちの話! え、もうないんですか? 今日の分は終わり? マジで?」
「あ、いえ。いまからまた作りますので、夜の分がありますが……」
「夜!?」
それまで待てってのかよ。
なんて運のない男なんだ、榎本シンク!
「どうします?」と、フミナ。
「待つよ、待ってやるよ!」
意地になって言う。
店員さんは苦笑いだ。
「……私もですか?」
そう冷静に言われると困ってしまう。
しかし男には引けないときがある。
「俺はここで待つんだ!」と、駄々っ子のように言う。
「はあ、シャネルさんはシンクさんのそういうところが好きなんですね。きっと」
「そういうところ?」
「子供っぽいところ」
とはいえ、なんだかんだとフミナも一緒に待ってくれるらしい。
店員さんは俺たちの後ろにいた人たちにも売り切れだと伝える。見た感じ、だいたいの人が帰っていった。待ったのはそうとうに暇な人間たち。
つまり俺のような人間だ。
そして、暇人たちにも福音はおとずれる。
しばらく待っていると、店主らしい人が出てきた。
「どうも今日は待ってくれている人が多いようなので、早めに夜の分を出します」
上がる歓声!
「やったね、フミナ!」
「ラッキーですね」
いや、これは幸運なんかじゃないさ。俺たちが頑張ったから、つまりは実力。
「というか……普通は昼から夜まで待とうとする人なんていないんですけど」
店主がぽつりとつぶやく。
ああ、もしかしなくてもこれ、マジで俺が頑張ったからだな。
普通だったらみんな帰るところを、一番先頭にいた俺たちが帰らないから、残る人が増えたと。申し訳ない。
とはいえ、手に入ればそれで問題はない。
とりあえずお菓子は袋単位で売っているらしく、俺たちは3つ買ってみた。
そう大きくない袋の中に、小さな緑色のお菓子がたくさんつまっていた。
緑、というのはいかにも毒々しい色である。
「私の髪と同じ色ですね」
毒々しいと言ったのは撤回だ。
「綺麗な色だね」
俺は適当に言う。
とりあえず、歩きながら袋を開けてみた。
太陽の光をあててみると、緑色のお菓子の表面にはキラキラと砂糖がまぶしてあった。
口に入れると甘い味の中に、少しだけアルコールの風味があった。
「美味しいな、砂糖菓子のたぐいか」
甘いものは嫌いじゃない。けどこれ、本当に甘いけど。なのであまり口に合わない人もいるかもしれない。
「なるほど……これはたしかにあまり食べると太る」
「しかしシャネルには良い土産ができた」
緑色の、宝石のようなお菓子。
きっとシャネルも喜んでくれる。
これがあれば仲直りできるね。べつにケンカしたわけでもないけど。
俺たちはそこらへんの馬車を捕まえて屋敷に帰ることにした。
「ひくっ」と、フミナがしゃっくりした。
もしかしたらクッサン・ド・リヨンの中に入ったアルコール風味で酔ったのかもしれなかった。




