389 ニヤニヤシャネル
二日酔いを解消する方法はただ1つ、時間である。
それは失恋と同じ――なんてイキがって言ってみても。俺はまともな失恋すらしたことがないのである。そもそも恋愛ですら、シャネルと出会うまではしてこなかった。
考えてみてほしい。
引き込もりに恋愛ができるかい?
「さて……だいたい治ったか?」
おそらくだが、この異世界に来てから高まった治癒能力。これのおかげで二日酔いも治りやすいはずだ。
服を着て、刀を腰に差す。
重い。
金山に『武芸百般EX』のスキルを奪われてからこっち、刀がとんでもなく重く感じる。よく鉛のように体が重い、なんて表現があるが刀の場合は鋼のように重いとでも言えばいいのだろうか。
ようにっていうか、そもまま鋼なんだけど。
「ポ○モンだとハガネタイプが好きでした」
どうでもいい情報。
独り言が増えるのは寂しいからだ。シャネルが近くにいないだけでなんだか心細い。
でもさっきのことがあるからシャネルのところには行きづらいわけで……。
「にしてもシャネルのやつ……気にしてたんだな。俺が襲わないこと」
そのせいで不安にもさせてしまった。
俺は最低だ。最低の童貞だ。
どうにかしてもう一度謝りたいな、と思ってとりあえず部屋を出た。
すると突然、「わっ!」と、いう叫び声がした。
どうやら扉の前に人がいたみたいだ。運が悪い。
「す、すまん」
「いえ。ただいきなりだったから驚いただけ」
部屋の前にいたのはフミナだった。
「えーっと、なんか用か?」
もしかして、さっさと帰れという相談だろうか。
いや、まあ人の家に泊まって昼くらいまで寝てるやつとか酷いと思うけど。
「シンクさん。いま暇ですか?」
「そりゃあ」
だいたい暇だよ、俺は。
「でしたら一緒に外に行きません? 街に出てみたいんですが、1人じゃ不安で」
「良いともさ。じゃあシャネルも誘ってこよう」
よしよし、これで自然にシャネルに話しかけることができるぞ。
「あ、いえ。それがシャネルさんを誘ってら断られて……」
「断られた?」
「はい。書斎にいたんですが、本を読むからまた今度ねと言われてしまって」
「ふーん」
「あの、それで……」
フミナは少しだけ不安そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「シャネルさんの様子が少しだけおかしかった」
「それはたぶん通常営業だろ」
シャネルがおかしいのなんていつものことだ。
「そう?」
「ちなみにどんな様子だった?」
「なんかニヤニヤしてた」
……なんだそれ?
ニヤニヤしてるシャネル? あんまり想像できないな。
「書斎にいるの?」
「たぶんまだいます」
「それは気になるな」
ちょっと見に行ってみようか、とフミナと一緒に書斎の方へ行く。俺が泊めてもらった部屋から書斎は、少しだけ離れている。
郊外の屋敷と比べれば小さな屋敷だが、それでも普通の人の家と比べればかなり広い。家の中で鬼ごっこでもかくれんぼでもできそうだ。
「そういえばシンクさん」
歩きながらフミナが聞いてくる。
「どうした?」
「昨晩は、シャネルさんと楽しんだ?」
「はあ? なに言ってるのさ、いきなり」
「だってシャネルさん、すごいワクワクしてたから」
シャネル……こんないたいけな少女になんつう話しをしているんだ。いや、というかフミナって何歳くらいだろうか。中学生くらいに見えるけど……。
「あー。とりあえずなんだ? フミナ」
「はい」
「人様のいとなみを詮索するのはよくないぞ。うん、よくない」
「やったんですか? その、あの。そういうことを」
「さあ、どうだろうね」
「教えてくれても良いのに」
「そういうのに興味がある年頃なのは分かるけどな、あんまりバカなことは聞くなよ。それでも聞きたきゃエルグランドにでも聞け」
「お兄様はそういう話しを聞くと怒る」
そりゃあ妹にいきなりワイ談ふられたら叱りつけたくもなる。
「お、書斎ってここだったな」
話を無理やり終わらせる。
書斎の扉に手をかけて、少しだけ開けた。
たしかに中にはシャネルがいる。そこらへんの椅子に座って、あのガングーとトラフィックの日記を読んでいた。
「いた?」と、フミナが聞いてくる。
「いるね」
俺は目を凝らした。たしかにシャネルのやつは笑っているように見えた。嬉しそう、というよりも楽しそうに口を曲げている。
シャネルって、あんな笑い方もするんだ。
「不気味だな」と、俺。
「ニヤニヤしてる」
「これはもしかして……」
あれか? ラノベとかを読んでニヤニヤしちゃうあれか?
分かるぞ、シャネル。その気持ち。俺も中学のころ、教室でラノベ読んでて周りからキモいって言われたもの。まあ、あのときはイジメられる前だったけど。
にしてもシャネルはすごいな。ニヤニヤしていてもブスってわけじゃない。ただちょっと不気味なだけだ。なんというか、シャネルがニヤニヤ笑っていると、とても精巧な人形が笑っているように思えるんだ。
いつもの無表情に近い顔のほうが人間らしいってのも変な話しだけど、実際にそうなのだから仕方がない。
「うふふ……シンク」
おや、シャネルがなにか言ったぞ。
「いまなんて?」
フミナも聞いたみたい。
「分からん。でもなんか呟いたな」
本を見て喋るタイプの人でもないはずなんだが、シャネルは。
「うふふ……」
「あ、またなんか言ったな」
「言いましたね」
シャネルはまだニヤニヤしている。
「魅力的……私のことを魅力的って言ってくれたわ」
うーん、声が小さすぎてよく聞こえないな。
どうにかして声が拾えないかと扉の方に顔を近づける。すると、頭を扉にぶつけてしまった。
「いてっ」
我ながらバカなことをした。
「誰ッ!」
シャネルの鋭い声。
バレるよね、そりゃあ。
「俺だよ、俺」
と、なんだか詐欺の手口みたいな感じで姿を見せた。さっさと出ないと魔法が飛んできそうだったからね、小細工なしだ。
シャネルは俺の姿を認めると、すぐに真顔になって横を向いた。
「なんだ、シンクか。どうしたの」
やっぱりまだ少し怒っているのかな、と思った。
なんだか声がツンツンしている。
「あ、いや。シャネルも一緒に出かけないか? フミナと街に行くんだけど」
俺の後ろからフミナもひょっこりと顔をだす。
「何度も誘ってすいません」
シャネルは少しも迷う素振りをみせずに、手を横に降った。
「私はいいわ。この本、最後まで読んでおきたいし。2人でどうぞ」
「そっか、じゃあごゆっくり」
なんか怒ってるみたいだし、あんまり無理して誘うのはやめておこう。
「むっ……」
あ、また一段とシャネルが不機嫌そうになった。
「ど、どうした?」
「べつになんでもないわ。榎本さん」
「なにそれ、気持ち悪いな。名字でなんて、初めて会ったときですら呼ばなかったじゃないか」
「別にいいでしょ、榎本シンクさん。フミナちゃん、その人をさっさと連れて行ってくださいな」
「良いんですか?」
「いいわよ、べつに。この本、面白いもの」
シャネルがさっさと出ていって、と唇をとがらせたので俺たちは書斎を出た。
「うーん、変なやつ」
と、俺は思った通りのことを言う。
シャネルが変なのはいまに始まったことじゃないが、なんだかなあ。
「ねえ、シンクさん」
「どうした、フミナ」
「あれ、シャネルさん照れてるんじゃないですか?」
「照れてる?」
シャネルが? なんで?
「そんなわけないじゃないか」
「シンクさんって鈍いんですね」
「失礼な、察しが良いってよく褒めてもらえるよ」
「だとしても鈍感ですよ」
えー? そうなのか。
シャネルが照れてるって本当かよ。
よく分からないな。女の子の言うことって。
けっきょく俺たちはそのまま、シャネルを残して書斎をあとにするのだった。




