385 エルグランドの帰宅
夜もたっぷりふけた頃、エルグランドは屋敷に帰ってきた。
俺は馬車が帰ってきた音を応接室のソファに座って聞いていた。
「馬車の音か……」
「そんなのが分かるの?」
と、フミナが聞いてくる。
「耳は良いんだ」
耳だけじゃない、目も良いし味覚だって良い。ついでに顔も良い――というのは、どうか分からないけど。
「この時間ならお兄様しかいない」
「出迎えてやったりしないのか?」
「……べつに」
ふーん、そうかそうか。
シャネルは気だるげにソファに寝転ぶように座っていた。小難しそうな本をぺらぺらとめくっている。
「よくよく考えてみれば、あの男も帰ってくるのね」
「そりゃあ。ここはプル・シャロンの屋敷。つまりはお兄様の屋敷だから」
「フミナちゃん、あとで一緒にお風呂にでも入りましょうか」
「いいですね」
……女の会話というのはよく分からない。
なんというか、会話がとぶのだ。さっきまで話していた内容と違う内容の話しをさもつながっている会話のようにする。
「ふむ」
俺はソファから立ち上がった。
「どうしたの、シンク」
「ちょっと挨拶してくるよ」
いくら反りが合わないといえど相手はこの屋敷の家主だ。泊めてもらう以上、いちおう顔くらいは見せてよろしくお願いしますと言っておくべきだろう。
人間、礼儀というのは大切だ。
「殿方には殿方どうしの会話があるでしょう。私はここにいるわ」
「おう」
シャネルのやつ、うまく逃げたな。
そんなに会いたくないものかね?
なんというか、俺はそこらへんバランスを取りたくなるタイプの人間なんだよな。シャネルがあんまり嫌っていると、逆に好きとまではいかないが擁護したくなるというか。
これを判官贔屓というのだ。え、違う?
俺は応接室を出た。
屋敷の入り口の方へと行く。
長い通路にはメイドさんたちが立ち並んでいた。
――出迎え?
「お帰りなさいませ、ご主人様」
そんな声が奥の方から聞こえる。
ドミノを倒すようにメイドさんたちがお辞儀をしている。
俺は「ちょっとごめんよ」とその列に入ることにした。
エルグランドが歩いてくる。頭を深々と下げて挨拶をしているメイドさんにはまったく視線もやらない。さっきは肩を持つようなことを言ったけど、やっぱり嫌なやつだな。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
俺はエルグランドが通り過ぎるそのタイミングで頭を下げる。我ながら完璧な動作だったね。
エルグランドは少しだけ俺を通り過ぎてから、ぎょっとしたように振り向いた。
「な、なにをしているのですか貴方は」
「なにって挨拶だよ。挨拶。お帰りなさいませご主人様、ご飯にします。お風呂にします。それとも私にしますかってやつだよ」
「どうして貴方が私の屋敷にいるのですか」
疲れたようにエルグランドは頭を抱える。
なんだか顔が青白い。アイラルンも同じような顔をしていたけど、俺の周りの人間は疲れている人ばかりなのだろうか?
「疲れてる様子だな」
「疲れもします。私は貴方のように気ままな冒険者をやっているわけではないのですから」
「ま、気ままなのは否定しないけどね。エルグラさん、夜ご飯食べたか?」
「たかる気ですか?」
「まさか」
というか俺たち、さっき3人で夜ご飯食べたし。
「夜はまだ食べていませんが、そもそも食べる気もありませんよ。食欲がないんです。それより貴方、なぜこの屋敷にいるのかまだ返答をもらっていませんが」
「おたくの妹に誘われたからいるんだよ。よもや帰れとは言わないだろ、こんな夜に」
「フミナが? そうですか……あの愚妹もそれくらいのことはできますか」
「おい、あんた」
「なんでしょうか」
「そういう言い方は良くないぞ。フミナが聞けば悲しむ。あんたら家族なんだろ」
「家族……ですか」
いつものエルグランドなら文句の一つでも返してくるところだろうが、今日に限ってエルグランドは何も言い返さなかった。
それだけ疲れているのか。
それとも家族、という言葉になにか思うところがあるのか。
「あ、それで今日は泊まっていきますんで。よろしくお願いします」
いちおう言っておく。
「そうですか。何日でも滞在してください」
あれ、意外と好印象? もしかしたら追い返されるかもしれないと思ったくらいなんだけど。
なんだか肩透かしをくらったような感じ。
「さすがに何日もはいないけど……」
「もう1人の、えっと……カブリオレさんはいないのですか?」
まるでその方が良い、とでもいうような言い方だった。やっぱりエルグランドの方もシャネルに対しては微妙な感情を抱いているのだろうか。
「いるよ。フミナと部屋でなんかしてるんじゃないかな」
「分かりました。貴方はどうしますか?」
「どうって?」
「せっかくです、2人で話しでもしませんか」
「あんたと? 俺が? 2人で?」
いったいぜんたい、なんのお誘いだ。
えー、微妙な友達と2人きりでいるってそれ絶対逆にキツイやつじゃん。
それともなに? この人、俺とお友達になりたいのかよ?
警戒するような目で見てしまう。
それでエルグランドは少し気落ちしたようだった。
「すいません、私と一緒など嫌ですよね」
「え、あ、いや。そんなことないぞ。うんうん、ない。良いじゃないの、アルコールでも飲もうよ」
「アルコールですか良いですね。先日手に入れたブランデーがありますよ、せっかくなのでそれを開けましょう」
「ブランデーか」
あんまり飲んだことないけど、強いお酒だよな? どんな味がするんだろうか。貴族のエルグラさんがわざわざ手に入れたものなら、きっと高級なものだろう。
エルグランドは周りにいるメイドさんたちに下がっていいと手でしめした。メイドさんたちは蜘蛛の子を散らすように離れていく。
「さて、では行きますか。私の部屋へ案内します」
「なあなあ、ちょっと気になってたんだけど」
「なんですか?」
「あのメイドさんたち、あんたの趣味?」
「そうです」
むっ……こいつ、なかなかやりおるな。
自分の趣味をここまで堂々と言ってのけるとは。男――いや、漢だな。
「なかなかいい趣味してますな」
「お気にめしましたか?」
「とうぜん」
むしろあのメイド服、一着欲しいくらいだ。
「貴方とはいい酒が飲めそうだ」
案内された部屋は、先ほど屋敷を探索していたときに入った趣味の悪い部屋だった。
女の子の衣装の趣味は良いのに家具の趣味は悪い男、エルグランド・プル・シャロン。
「てきとうに座ってください」
俺はアラブ風のごてごてした椅子に座る。
「うわっ!」
脚の部分がゆらゆらしていた。思ったよりも揺れてびっくりする。
「その椅子、良いでしょう。遠くの国から取り寄せたものです。はるか昔に王族が使用していたものらしいですよ。椅子の骨の部位が人骨で作られているのです」
「うげえ……」
フミナといい、なんだこの一族は。骨が好きなのか?
エルグランドは美しい琥珀色をした瓶を取り出す。その色は瓶の色かと思っていたら、違った。グラスに入れられたブランデーは美しい色のままだ。
「どうぞ」
と、手渡される。
「ありがとう」
「ブランデーを飲んだことは?」
「ない、ね」
「そうですか。ではまず匂いを嗅いでみてください。それから少し口に含むようにのんでみてください。味が薄まるといけないので氷もなにも入れていません。ツウの飲み方です」
「すごい匂いだな」
カビ臭いにおい、と言うこともできるが。しかし不思議な感じがする。格式の高さというか……上品さが感じられる。
上品なカビってなんだ?
エルグランドは俺と向かい合うように座った。
けっこう距離が近い。
グラスをかかげられた。乾杯、ということだろう。
「今日も疲れましたよ」
なんて、所帯じみたこと言ってるエルグランド。
「おいおい、初めて一緒に酒を飲む相手にその発言はどうなんだ?」
「ああ、失礼しました。いつも1人でやっているので。どうしても愚痴を言うくせがありましてね。申し訳ない」
「あのガングー13世と飲めばいいじゃないか」
いちおう2人の関係は友人に近いように見えたから。
「彼はアルコールをまったく受け付けない体質ですので」
「そうなのか」
ブランデーを飲み衣干す。
アルコールの度数は強いのに不思議なくらいに飲みやすい。
「もう一杯どうぞ」
「もらいます。……それで、いったいなんの話しがあって呼んだんだ? まさか本当に酒だけ飲むつもりじゃないだろう」
「ご明察です。私がしたい話はただ一つ」
俺はぶるっと震える。
ブランデー、思った以上に強い酒だ。
「したい話は?」
「ずばり、恋バナです」
エルグランドはグラスを傾け、入っていた分を飲み干した。
そして実に美味そうに微笑むのだった。
予約投稿忘れておりました、すいません




