383 交換日記
その本ははじめ、五十音から始まり。やがて日記のかたちをとった。それも、2人の交換日記だった。
見ている限り、この日記を書いているときのガングーとトラフィックはまだ若いようだった。17とか、18みたいで。それはつまり今の俺と同じ年齢だ。
『今度の週末はなにをしましょうか?』
なんていう、たいしたことのない話題。
『あの先生は面倒だ』
なんていう普通の学生が言う文句のようなもの。
『あの子とどうなりましたか?』
なんてお前もそれ、会って話せよって内容もあって。
『彼女は俺の星だ』
なんていうつまらない殺し文句のようなものも。
2人の男が交換する日記としては、なんだか女々しいようにもみえるけれど。だからこそそこには歴史に書かれる英雄ではなく、等身大の人間の姿が書かれているように思えた。
久しぶりに読んだ日本語に、俺は惹かれた。
それで思わず読み込んでしまう。
内容の多くは日常のトピック。そこにガングーという男の恋模様が挿入される。ガングーはビビアンという女に懸想しているらしい。
ビビアン?
どこかで聞いた名前だと思った。
あっ!
そうだ、ココさんの偽名だ。たしかガングーはドレンスお姫様と結婚したんだよな。その人が使っていた偽名がビビアンで、ココさんはそれから拝借してビビアン・ココと名乗っていたのだ。
つまりこのガングーが恋をしている相手がお姫様か。
『先日、彼女が通りのカフェでお茶を飲んでいたんだが。俺は大きな失敗をおかした。一緒にと誘われたまでは良かった。最高だった。けれどその後が問題だ。格好良く俺が払おうとしたんだ、代金を』
ふんふむ、それでどうなったのだ?
『しかし俺は無一文だった』
バカじゃねえの、こいつ。
『俺はビビアンに言ってしまった後だったんだ。ここは俺が払うよってさ。ビビアンは喜んでくれたのだが。とても気まずい思いをした。俺は考えた、どうしてお金がなくなっていたのかを。そして分かったんだ――』
なにが?
『カフェに行く前に、ビビアンのために薔薇の花を買ってやっていたんだった』
なんだこいつ?
この日記を読んで楽しいのか、と思ったらトラフィックの返しは。
『薔薇、という字が分かりません』
というものだった。
ページの隅には『薔薇』という文字が練習のようにたくさん書いてあった。
もしかしたらこの日記はトラフィックという男が日本語を覚えるための交換日記なのではないだろうか? 分からないが、見る限りではガングーがトラフィックに対して文字を教えている場面が散見された。
「なんだろうな?」
どうしてガングーという男は日本語を知っているんだ?
可能性はただ一つ。
日記を読み進めていく。
『今度の仮面祭、ビビアンをさそえたぞ!』
『それは良かったですね。言葉、あってますか?』
『俺は一足先に大人になるだろう。つまりは童貞を卒業するのだ!』
『童貞? 知らない言葉ですが、下品な言葉な気がします』
そうか、ガングーも童貞だったときがあるのか。
そりゃあそうか、人はみな童貞で生まれてくるのだから。
いつ卒業するのかというものは人それぞれだろうが。
交換日記はほぼ毎日の頻度で行われているようだった。しかし、その頻度が変わった。
2人はどうやら同じ学校――兵学校というやつだ――に通っていたらしいが、そこを卒業したのだった。その後、軍隊に入隊した。
それから、交換日記の頻度は格段に減った。おそらく2人が会える機会も減ったのだろう。
それと同時にガングーはビビアンとも会えなくなったようだ。
かわいそうに、と俺は思った。俺はシャネルとずっと一緒にいられた。けれどガングーは好きな人と離れ離れになってしまったのだ。
ガングーはテルロン戦線に配属された。
トラフィックはその当時も流行していた革命軍の討伐に派遣された。
革命、か。
ドレンスは恋と革命の国だというから。恋と革命に関してはいつの時代もあるのかもね。
テルロン戦線での戦いは、激闘だったようだ。相手は当時のグリース。港町のテルロンを占領した相手に対して、陣地の奪還を目指した戦いだった。
最終的にテルロン戦線はドレンス側の勝利で終わる。勝利の決め手はトラフィックだった。革命軍を迅速に蹴散らしたトラフィックは、自己判断によりそのままテルロン戦線に参戦した。この援軍のおかげでテルロン奪還ははたされた。
このあたりはガングーの1人日記として書かれていた。
『やはりやつは天才である』
というのがしめの文章。本人も読むことを考えれば、これは最大級の賞賛だろう。
「テルロン戦線、か」
なにか聞いた事もある地名のような気がしたが、どこで聞いたのか分からなかった。
本の続きを読もうとする。
すると、突然。
「朋輩。それ、面白いですか?」
背後から声をかけられた。
「うわっ!」
驚いて飛び上がる。
「そんなに驚かなくても……わたくしちょっとショックですわ」
アイラルンだった。いや、まあ声をかけられた時点で誰かは分かったけどさ。
「お前なあ。いきなりすぎるんだよ」
本に集中していた俺も悪かったかもしれないけどさ。
「それは失礼しました」
俺は本を閉じて、後ろにいるアイラルンに向き直る。
「で、どうしたのさ。久しぶりだな」
アイラルンはどこか顔色が悪く見えた。もともと色白な女神様だが、白いを通り越して青い。
「そのご本、面白いですか?」
「まあまあだな」
面白さは別としても日本語を読めるというだけで少し嬉しい。
「それで朋輩、わたくしになにか聞きたいことがあるのではないですか?」
「そりゃあな。アイラルン、ガングーってもしかして俺と同じか?」
「同じ、という意味が分かりませんが」
「嫌なやつだな。つまりガングーは異世界からの転移してきた人間なのかって聞いてるんだよ」
日本語を理解するガングーという男。
時代が生んだ英雄。
ドレンスの皇帝にまで上り詰めた。
それが異世界転移してきた人間なのだとしたら、あるいは説明がつくのかもしれない。きっとなにかチート級のスキルをもらって無双したんだろう。
チート?
しかし、俺が金山の記憶で見たガングーという男は、そういうふうには見えなかった。ただ人間としてカリスマ性を感じただけだ。
「厳密には彼は転移者ではありません。転生者ですわ」
「転生?」
つまりこの異世界で赤ちゃんからやり直したってことか。
「そうですわ」
「アイラルン、あんたがやったのか?」
「いいえ。ガングーをこの世界に転生させたのはわたくしではありません。ディアタナですわ」
アイラルンではないもう1人の女神、ディアタナ。俺は会ったことがないが。そもそも女神なんて普通、人間が会う相手ではないんだろうけど。
「この人、なんかスキルとかもってたの?」
「スキル、というものはガングー時代のあとにできたものですわ。それはつまりディアタナが人間を管理するためのシステム」
アイラルンはまるで風邪をひいた人がそうであるように、頭を抱えながら言う。体調が悪くて頭が回っていないのではないだろうか。
だから、彼女はいまとんでもないことを言ったのだ。
つまりこの異世界の核心を――。
「アイラルン、いまなんて言った?」
人間を管理するためのシステム?
「朋輩、あの女神はわたくしのように仁愛の心なんて持たない、ただの管理者ですわ。わたくしが人間を寵愛するようなことを絶対にしません」
「おい、アイラルン?」
会話が通じていないぞ。
本当に大丈夫なのか、こいつ。体調が悪そうで、いまにも倒れそうだ。
「朋輩、復讐をしてくださませ。あの女に――」
「大丈夫かよ?」
俺の質問に、アイラルンはにっこりと笑ってみせた。
「ええ、大丈夫ですわ」
けど、そう言ったその瞬間、アイラルンは消えてしまった。
あとには俺だけが残された。
「ワンッ!」
いや、違った。パトリシアがいた。いままで静かだったから忘れていた。
「なあ、犬」
「ワン?」
「いま、アイラルンいたよな?」
一瞬で消えてしまったから、狐につままれたような気分だった。
本当にアイラルンはいたのだろうか?
いやな予感がした。これが今生の別れとは思えないけど。けれどアイラルンとは少しの間、会えないような気がしたのだ。
俺の勘はよくあたるのだ……。
昨日、予告なく更新お休みしてしまいました。
すいません




