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372 オ・パ、キャラマド


 さて、ガングー13世に呼ばれた翌日のこと。


 俺とシャネルは久しぶりに陽の光の元を歩いていた。


 さすがに毎日家の中では健康にも悪い。それに体がなまってしまえば金山に勝つこともできなくなるかもしれない。


 なにせ、いまの俺には『武芸百般EX』のスキルがないのだか。


 自分でも恥ずかしいことだが、俺はいままでこのスキルというやつに随分と頼ってきた。いまじゃあ剣を握っても体が羽のように軽くなることもなく、一度振るだけでも覚悟がいるほどだ。


 それでも俺は諦めていない。じつはこっそり練習しているのだ。素振りだけどね。


「ねえ、シンク。とりあえずどこに行きましょうか」


「そっちの行きたいところで良いよ。服でも買いに行くかい?」


「いいえ今日はそういう気分じゃないわ。それよりもそうね、2人で散歩しない?」


「それも良いな」


 俺たちはセーヌ川にそった道を歩いていく。


 平和だ。あくびが出るほどに。


「霧のない街っていうのは美しいわね」


「そうだな」


 まるであのグリースでの経験が悪夢かなにかだったかのように遠いものに思えた。


 でもそれは現実なのだ。


 ふと、いきなりシャネルが手を繋いできた。


 まあそれ自体はおかしなことじゃない。ドレンスはなんせ恋と革命の国だ。外で手を繋いでいるカップルなんてよく見るし、なんなら公共の場でキスしている人たちだっているくらいだ。


 とはいえ、自分がそれをやるほうになると、なんだ。恥ずかしい。


「ねえ、シンク」


「どうした?」


「あんまり無理しないでね」


「サテ、ナンノコトデショウ」


「手、マメができてるわよ」


 そうだよなあ、やっぱり気づくよな。


「焦ってるんだ」と、俺は正直に言う。


「分かってるわ、でも焦って良いことなんてないわ」


「……うん」


 シャネルが口笛を吹き出した。


 きれいな、澄んだ高音がシャネルのおちょぼみたいな口から奏でられる。


 おや? この曲は……。


「それ、あれだな。パパからもらったクラリネットってやつ」


 なんでシャネルがこんな曲を知ってるんだろうか?


 異世界にあっちの世界の音楽があるってのもおかしなものだけど、いまは考えないようにしてシャネルの横で口ずさむ。


 パパからもらったクラリネットが壊れてしまった、という歌。


 じつはクラリネットは壊れていなくて、子供は吹き方を知らなかったから音がでなかったのだという話を聞いたことがある。


 歌詞の中に、わけの分からない英語みたいな部分がある。俺はそれをうろ覚えで。


「オー、パキャパキャナンタラ」


 と、歌う。


 それでシャネルは笑った。


「違うわよ、シンク。なあに、それ?」


「いや、歌詞が分からなかった」


「そこはね、『au pas,camarade』って歌ってるの」


 すさまじく発音がよくて、けっきょくオーパキャパキャナンタラとしか聞こえなかった。


「なんだって?」


「オ・パ、キャラマドよ。『戦友よ一歩一歩進もう』って、そう言ってるのよ」


 俺はその中の戦友という言葉で、なにかを察した。


「この曲、ガングー時代からあるだろ」


「正解」


 ほらね、たいていこの異世界で違和感のあったものはガングー時代からあるんだ。


「だいたいはガングー時代からあるんだよな」


 そして、そこから先この異世界では時間が進んでいない、と。


「そうね、この曲は軍隊が行進するときに鼓笛隊が流したらしいの。だからほら、リズムが良いでしょ?」


「軍隊ねえ……」


 クラリネットの歌じゃないのか。


「一歩一歩、行きましょう。ゆっくり行きましょう。ね、シンク」


「分かってるって」


 あんまり焦るべきじゃないんだ。そうだろう?


 ぶらぶらと街を歩いて、けっきょく行くあてもなくカフェに入る。


 そこで軽い軽食をとることにした。


 今日は天気が良かったのでビールやワインを飲むようなことはしなかった。これは俺の持論だが、昼間からアルコールを飲むときは曇りの日に限る。


 天気が良すぎれば自分のダメさ加減が嫌になる。――俺は昼間からなにをしているんだ!


 天気が悪ければ、自分のダメさ加減が嫌になる。――やっぱり俺は最低な人間だ!


 ようするに、ポジティブに落ち込むかネガティブに落ち込むかってことだ。ネガティブに落ち込むってのも変な表現だが。


 そのてんいくと曇の日ってのは最高だ。落ち込みすぎるということがない。むしろ、こんな微妙な天気の日だしアルコールでも飲むか。となるわけだ。


「あんまり天気が良いと、なんだか悲しくならない?」


 シャネルがわけのわからないことを言う。


「さあ、どうだろうな。あ、今日はアルコールいらないぞ」


「それが良いわ」


 俺たちが通されたのは外のテラス席。


 俺は椅子にジャケットをかけてから座る。


 この前まで来ていた超ロングコート――ガングー・コートというらしい――は、金山のとの戦いでボロ布のようになってしまった。そのため、こっちに戻って来てから新しい服をシャネルに買ってもらったのだ。


 喪服みたいな黒いジャケット。


 下も黒いパンツでそろえた。いっそのこと中に着る襟付きのシャツも黒にしてしまおうとシャネルに提案したら、それはあんまりだということでワイシャツになった。そうなってくると、なんだかスーツを着ているようで。


 いや、まあ大人っぽくて素敵な服だと思うのだが。


 どうにも窮屈な気がした。


 店員さんがきてオーダーをとっていく。


 あとは注文したのが来るのを待つだけ。なんて思って目を閉じ椅子の背に体重を預けていたら……。


「おいおい、この店は客にこんなもんが入ったコーヒーを飲ませんのかよ!」


 いきなり、大声が聞こえてきた。


 俺は舌打ちをする。


「どこの席?」


 目を開けて、シャネルに聞く。


 シャネルは無表情で中の席を指差す。


 俺はそちらに視線をやる。


 なるほど、中の座席には強面の男が2人。たぶん冒険者だろう、これみよがしに武器をもって、しかも街で大きな顔をする。そんなやつらはまずまともな仕事をしていない。そうなると、まあ冒険者だろうと推測できるわけだ。


「まったく、あんなのだから中の席に入れられるのよ」


「どういうことだ?」


「こういうカフェってね、身なりの良い人間をテラス席に通すものなのよ。その方が道行く人の宣伝になるでしょ?」


「ほうほう」


 つまり俺たちはそれなりに身なりが良いと認められたわけだ。


 そしてあっちはダメ。


 うん、その目測は正しかったね。


 だってあいつら――。


「アニキ! 俺のコーヒーにはゴキブリが入ってましたぜ!」


「なにぃ! てめえら、こんなふざけたもんで金をとるもりか!」


 イチャモンつけて、支払いをしないでおこうって考えだ。


「あー、クソ!」


 変なもん見ちゃったなあ……。


「助けるの、シンク?」


「そうしようと思う」


 昔の人は言いました、義を見てせざるは勇なきなりってね。


 とはいえ。


 いやはや。


 しょうじき。


 怖い。


 けどこんなやつらにビビってたら金山になんて勝ってこないからな。


 俺は勇気を出す。刀を持ち、店内へと入った。


「おい、あんたら。それくらいにしておけよ」


「ああんっ?」


「なんだ、ごらぁっっっ」


 うわあ……なんて頭の悪そうな巻き舌でしょうか。


 そして男たちは剣を抜く。


 おいおい、マジかよ。こんな店内で抜刀? 本当に頭が悪いんだな。


「やるのかよ」


 と、俺は言う。


 声が震えそうなのを必死でこらえる。


 俺にはもう、『武芸百般EX』のスキルがない。それは金山に奪われた。


 だから俺の振るう剣はすでに素人同然のものだ。


 それでも俺はここに立っている。


 なぜだろうか?


 それはたぶん、俺が榎本シンクという人間だからだ。


 俺はこうやって、この異世界で暮らしてきた。野次馬をして、いろいろなことに首を突っ込み、他人のために戦ってきた。


 いまさらそれを変える気はない。


 もしもスキルを奪われたならば、取り戻していけば良いのだ。


 ゆっくりと、一歩ずつ。


 男たちが何かを叫びながら向かってくる。


 俺はそれを、冷静に見つめて刀を構えるのだった。


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