367 プロローグ
ギルドからの招集に応じなかったら、家まで職員がやってきたのだから驚いた。
そのとき俺は例のごとくワインを飲んでおり、もちろんやけ酒なのだが、それでもほろ酔い加減でいい気分になっていた。
「シンク、誰か来たわよ」
シャネルがそう言って、ナイフを握っていた手を止めた。シャネルはリンゴの皮を向いていた。ナイフの方は動かさず、リンゴの方だけを回しながら器用に向かれた皮。それはまるで蛇のように一直線で。
「すごいもんだな」
俺はシャネルの器用さにケラケラと笑った。料理はできないくせに、こういうのは得意なんだな、と。
笑ってはいたが、心のどこかでは金山のことを考えていた。
どうやったらあいつを倒せる?
ドレンスに戻ってきて1週間ほどが経っていたが、いい案はまったく浮かんでいない。
俺はすっかり自信をなくしていた。
金山に勝つビジョンがまったく見えず、ともすれば昔のように引きこもっているしまつだった。
自分でも情けないと思う。
けれどシャネルは何も言わない。むしろ彼女もナイーブな感情にやられているようだった。
「ねえ、シンク。誰か来たわ」
「誰が来るっていうんだよ。俺たちの場所に。きっと他の部屋さ」
このアパートにはいろいろな人間が住んでいるんだ。
不良軍人が愛人とのホテル代わりに使っていたり、貧乏そうな学生が住んでいたり、俺たちのような得体の知れない冒険者が住んでいたり。
そういう場所だから、人がたずねてくるというのはあまりないのだが――。
俺は耳をすます。スキルである『女神の寵愛~聴覚~』を発動させる。
――トクンッ。
と、シャネルの心臓の音まで聞こえた。
少し緊張しているのだろうか、鼓動が少しだけ速いと思った。
それよりも、来訪者だ。
「いえ――あたしゃあね。どんな人が住んでいるかまでは知らないんです」
このアパートの管理人であるタイタイ婆さんの声がする。
「ここにエノモト・シンクとシャネル・カブリオレの両名が住んでいることは分かっている。我々は怪しいものではない、ギルドの者だ」
「はあ……ギルド? どちらのですか?」
「ギルドといえば冒険者ギルドに決まっているだろう!」
「ああ、そうですかそうですか。ガングーの時代には商業ギルドも盛んでしたからね。そちらかと思いまして」
また言ってるのよ、あの婆さん。
不思議な老婆だった。自分はガングー時代から生きていると言ってはばからない。それが本当かどうかは分からないが、でももしかしたらあながち嘘でもないのかもしれない。
なんせ俺はそういう存在をもう知ってしまったのだから。
おそらくは不老不死の男――金山アオシ。
やつはガングーの生きていた頃からこちらの異世界に来ていた。
「ねえ、どうする? 出る?」
「いや、どうもタイタイ婆さんが時間を稼いでくれてるらしい」
シャネルは誰かが来たことまでは分かっていたが、どのような人が来たかは分からなかったのだろう。
それなのに自分たちの客だと思っていた。
それは勘とかよりも、むしろ強迫観念に近い不安だったかもしれない。
「来たのはギルドの人たちが。俺たちを探してるみたいだ」
「……ギルド?」
「ああ。さて、どうしたもんかね。ギルドから呼び出されることなんてした覚えないけどな」
「でも毎日ギルドカードには通知が来てたわよ」
「え、そうなの?」
知らなかった。
「ええ。ただ面倒だったから。シンクだって知っていたとして、出向かなかったでしょ?」
「まあ……」
そういう気分じゃなかったし。
たとえるならあれだな、学校からの呼び出しを無視していたらしびれを切らして担任が家庭訪問に来たと。引きこもりの頃によくあった。
「素直に出る?」
「声の感じからすると、少し苛立ってるみたいだな」
俺は刀を手に持った。ずっしりと重い刀だ。『武芸百般EX』のスキルをなくした俺に使うことができるだろうか?
「悪いようにはされないわよね」
「たぶんな、けど警戒しておけよ」
「分かったわ」
階段をのぼる音がする。
部屋の前にギルドの職員たちが来た。
数は、1、2、3、4人だ。まったくがん首揃えてなにしに来たんだか。その中におそらく女性はいない。せっかくだから美人の受け付けのお姉さんがやって来れば、こちらの警戒感などしめさなかっただろうに。
「エノモト・シンク! シャネル・カブリオレ! ギルドからのものです。入りますよ!」
なんでもいいけど、榎本の発音がちょっとおかしい。
扉が乱暴に開けられる。
俺は刀を抜いて、シャネルは杖を抜いた。
「いらっしゃい」と、刀を突きつけながら威圧感を込めて言う。
まあ、ようするにイキる。
あきらかにギルドの職員たちはたじろいだ。
まさかいきなり武器を向けられるとは思わなかったのだろう。
「なにか御用かしら? 私たちはいま静かに自分たちを慰めているところなんですの」
シャネルさんや、そうはっきり言わないでください。外の人たちに。
「……わ、我々の招集に応じていただきたいのだが」
「あら、人様を顎でつかって挙句の果てには出向いてこいなんて、こんな勝手な話はないんじゃなくって?」
「そうだそうだ」
シャネルがなんか難しいことを言っているので、俺は隣で賑やかしになる。
刀を持っている腕が重たくなってきたので、下ろした。
「我々は、た、ただあなた方をお連れしたくて……」
こちらは腐ってもS級冒険者ということだろう。ギルドの職員たちは俺たちを恐れている。
それを見て、俺は少しだけ悲しい気持ちになった。
「やめよう、シャネル」
「え?」
力で相手を押さえつけるなんて、イジメみたいなものだ。そういうのは嫌いだった。
「話しを聞こうじゃないか。どうしてここに来たんですか?」
俺は刀を鞘に納める。手を斬らないように、慎重にだ。
「ま、まずは先日の魔王討伐の一件。失敗に終わったとはいえ生きて帰還されたことをお喜び申し上げます」
「そういう堅苦しいの、いらないわ。慇懃無礼ですわよ」
どの口が言うか、とシャネルにツッコみたかったが、まあここはスルーだ。あんまり言うと話しが進まないからな。
「つ、つまり我々はその報告に来てほしいのです」
最初とはべつの職員が言う。
「報告?」
それだったらドレンスに帰ってきてすぐの頃にシャネルが行ったはずだが。それだけでは不十分ということだろうか。
「それならもうしたでしょ。私たちはグリースに渡った。けど魔王には勝てなかった。他の冒険者たちは全員死んだ、はい終わり」
「そうそう、終わりだ」
詳しく説明すると長くなるが、まあ概ねそんなものだ。
「それをきちんと説明してほしいのです」
「ギルドでか?」
「いいえ、違います。お2人を呼んでいるのはギルドではありません」
「じゃあ誰が?」と、シャネルが問う。
「ガングー13世様です」
俺とシャネルは顔を見合わせた。
これまた意外な名前が出てきた。
ガングー13世といえば、いまのドレンスを統治している言うなれば王様のはずだ。その男が――男だよね?――俺たちを呼んでいる。
「どうするシンク」
「面白そうだ」と、俺は言う。
持ち前の好奇心だ。
「そうね。私も気になっていたのよ、ガングーの名前を語る不届き者を」
そういえばシャネルって、ガングーの直系の子孫だったな。忘れてた。
「では来ていただけるのですね!」
「ああ。ただし――」
「ただし?」
俺は条件をつける。
「酔いが覚めてからな」
つまり、明日だ。
俺はギルドの人たちに出ていけとしめす。それで文句も言われなかった。
ベッドに寝転がる。シャネルが添い寝してくれる。まったく……これからどうなってしまうのだろうか。まったく先が不透明で、けっきょくベッドの上でまたワインを飲むのだった。
今日から第六章【魔王】です
長いお話になると思います、いろいろなキャラクターも再登場します
楽しんでいただけるように精一杯頑張るので、よろしくお願いします。
予告なのですが、年末年始は更新をお休みさせていただきます
申し訳ありません。




