365 勝者に報酬はない
吹き飛んだココさんの右半身。
だが、血やら臓物が飛び出す前に体は再生していた。
俺は立ち上がり、驚愕の声をあげる。
「五行魔法ってそこまでできるのか!?」
「当然さ――とはいえ、かなりの魔力をくった。治ったんだね、榎本シンク」
「おう。加勢するぞ、シャネル」
「ええっ!」
かたまった俺たちを狙って、雨のように細い剣が降ってくる。それをココさんは様々な盾で防ぐ。
しかし同時に火の玉が飛んでくる。金山の波状攻撃だ。それにもココさんは反応してみせた。火の玉を、水をまとったレイピアで斬った。
そして今度はココさんの攻撃。イカズチが蛇行しながら金山を襲う。しかし金山はそれを素手ではじいた。
目が回るほどの攻防だ。俺たちが間にはいることはできない。
「言っただろう、時間かせぎ程度しかできないと! 色気を出すんじゃない、逃げることだけ考えろ!」
まったく、嫌になる。
さきほどの金山との戦い、やつは俺にたいして本気を出していなかった。
もっとも、金山は俺に、俺と同じ土俵で勝ちたかったのだから当然なのだが。それでも考えてしまう。もしもこの五行魔法を使われていたら――?
俺は一瞬で叩き潰されていたかもしれない。
王座の間を埋めるほどの、武器。そして色とりどりの魔法の攻撃。それらが全て俺たちに向かってくる。
ココさんが片手を上げた。手のひらの直線状にある武器がドロドロと溶けていく。そしてもう一方の手で握った杖剣――レイピアを振るいおそいかかってくる魔法攻撃を切り裂く。
「もってあと3分だよ!」
それは俺たちにとって、衝撃的な宣告だった。
あと3分?
それが過ぎたらどうなるっていうんだ。まさか負けるのか、ココさんが?
だっていま拮抗しているじゃないか。
いや――違う。
そう見えているだけなのだ。
ココさんは涼しい顔をしているように見えるが、もうすでにいっぱいいっぱいなんだ。
「バカなやつだよ、ココ・カブリオレ!」
金山が笑いながら言う。
「ちょっとくらいおバカな方が女の子は可愛いものさ」
いや、あんた男だろ。というツッコミはさておき。
俺はシャネルの手を引く。
逃げるぞ、と目で伝える。
しかしシャネルは迷っている。
どうすれば良いのか分からないのだろう。自分の復讐相手が、自分を守るために戦ってくれている。その状況に混乱しているのだ。
「どうしてよ……お兄ちゃん」
ココさんの口元が少しだけほころんだ。
けれど返事をしている余裕はもうなさそうだ。
「お前が五行魔法をつかえることをさとらせず、不意打ちに使っていれば結果はまだ違っていただろうさ。この俺を殺せていたかもしれなかったぞ」
「まさか――そんなことをしたところで、キミは殺せなかっただろうさ」
「お前まで、お前まで俺を裏切るのか!」
「べつに裏切ったわけじゃないさ――」
ココさんの体はどんどん傷ついていく。
「――ただね、キミといるのも退屈になっただけさ」
「退屈だと!」
「もう少し夢のある男かと思っていたんだがね。やっているのがずっと人形遊びじゃあね」
「黙れッ!」
金山の咆哮とともに、ココさんの左腕が飛んだ。
なにが起こったのか分からない、見えないなにかがココさんの腕を斬ったのだ。
「ったく……なんでもできる私だったけど、男選びのセンスだけは悪かったね。シャネル、キミはそうじゃないことを祈るよ」
「お兄ちゃん、腕が!」
「榎本シンク」
「な、なんですか」
すでに腕を治す余裕もないのだろう。
それでも向かってくる攻撃をココさんはレイピア一本でしのぐ。俺たちの方にはなんの危害もないのだから、凄まじいほどの実力だ。
「シャネルを頼んだよ。今度は捕まるんじゃないぞ。私はもうダメだから、キミが守るんだ」
「守る……って」
やっぱりココさんはシャネルのことを妹として愛していたのだ。
口では哀れんでいるだけだとか言っていたけど、本当は違うのだ。
あの村でシャネルのことをだけを殺さなかったのだって、わざとだ。こうして助けてくれるのだって、シャネルのことを思ってた。それ以前から――ずっとシャネルのことを思って。グリースには来るなと俺に忠告してくれていた。
だというのに、俺は自分の実力を過信して。
魔王にだって勝てると思っていて――。
けっきょくどうだ?
俺は負けた。
このままではシャネルもろとも殺されていただろう。
「行け、榎本シンク! シャネルを連れて走れ!」
俺はシャネルの手を強く握る。
「逃げるぞ」
「そんな、だって――」
「行くぞ! ココさんが助けてくれるんだ、それを無駄にしちゃいけない!」
シャネルはただ頷いた。シャネルはさとい子だ。
「逃がすかよ、榎本!」
金山がこちらに手を向ける。
俺たちの距離は推定で30メートル。なにが出る?
だが、それよりも前に――。
「いやだよ、キンサン。脇見なんてしてちゃあ」
ココさんがからかうように言う。
ココさんがレイピアを投げる。その剣は、ココさんと金山の間で爆ぜた。
不思議な虹色の光が俺たちを包む。
痛みや熱さのようなものはまったく感じない。それどころか心地よい気持ちにすらなってくるほどだ。
それを目くらましにして、俺とシャネルは走り出す。
「お行きよ、シャネル。幸せにおなり……」
ココさんの声が聞こえた。
それを背中に受けて、俺たちは王座の間を出る。
そしてそのまま走り、走り、走り。魔王の宮殿を脱出した。
まごうことなき逃走。
言い訳のできぬほどの大敗。
失ったものは多く、得たものはなにもない。
しかしそれは金山も同じのはずだった。
勝利者などいない。俺たちはお互いに敗北者だったのだ。
「はあっ……はあっ……」
隣を走るシャネルが息を切らしている。
「大丈夫か?」と、俺は聞く。
しかしシャネルはなにも答えてくれなかった。ただ無言で頷いただけだった。
俺たちの背後で、宮殿が爆発した。
それはおそらくココさんがやったのだろう。
「ああ……お兄ちゃん」
「振り返るなよ、シャネル」
「うん」
俺はシャネルの手を引く。
痛み分け、と思った。俺と金山の勝負に決着はまだついていない。
俺は、俺の隣にいてくれるシャネルを見つめた。
彼女がいてくれること、それこそが俺と金山の違いだ。
やつの隣にはすでに、誰もいない。
俺の隣にはいつもシャネルがいる。
それは俺たちの明確な違いだ。
……もう一度、俺はここに戻ってくる。
今度は勝利者になるために、金山に勝つために、復讐を果たすために。
しかし、そのとき俺にはなにを得るのだろうか。
――勝者に報酬はない。
俺はふと、ヘミングウェイの小説のことを思い出していた。
その言葉の意味を、勝者になったことのない俺は知らなかった。
ただ、いまはそれになることを願い、敗走するのだった。




