345 貪欲な2人の男
兵隊になったブルアットルが配属されたのはへスタリア方面軍だった。
訓練もほとんどなしに、いきなりパリィから徒歩での行軍をさせられたのだ。お仕着せの軍服を着て、扱い方もしらないマスケット銃を担ぎ行軍する新兵たちは、全員がみずからの不運を呪っていた。
どうして俺たちが兵隊なんかに!
それは徴兵された青年たちの切実な思いだった。
けれどブルアットルは違った。彼は仮にも志願兵だ。1人だけ士気は高く、また自分にはこれしか道がないとも思っていた。
どうしてだろうか、俺にはブルアットルの気持ちがなんとなく分かった。それは俺のスキルによる直感などではない。なんだか俺とブルアットルの心が通じ合っているようだった。気持ちが悪い。
行軍、行軍、行軍。
歩き続ける日々。
行く先々で住民から煙たがられる兵隊。それでも新兵たちはへスタリアへと到着するのだった。俺はそれを早送りされたビデオでも見るように、眺めていた。
新兵たちはへスタリア方面軍へと入り、そこでそれぞれの部隊に配属された。
ブルアットルが配属されたのはルーテシアという男の部隊だった。
ルーテシア、聞いたことがある。
それは俺たちがドレンスからグリースへと渡ったときに乗った船の名前だった。グレート・ルーテシア。たしかこの人の功績をたたえて冠された名前だったはずだ。
「気に入った」
ルーテシアがブルアットルに贈った第一声は、それだった。
ドレンスとへスタリアの国境近く、ドレンス軍が占領している街へと入った。。その街の一角に、作戦本部があった。そこを任されていたのがルーテシア。
本部に今日付けで配属になったと挨拶をしにいったときのことだった。
「はぁ……」
いきなりそんなことを言われて、ブルアットルは気の抜けた返事をした。
その次の瞬間、頬に張り手が飛んだ。
吹き飛ばされるブルアットル、しかし軍隊ではこんなこと日常茶飯事だった。ここに来るまでの行軍でも、先輩の古参兵に何度も殴られていた。
「新兵、良いことを教えてやる。我が栄光のドレンス陸軍にはそのような曖昧な返事はない。返事はただ1つ『はい』だけだ。お前らバカな新兵でもこれぐらいはすぐに覚えてるだろう?」
「はいっ!」
ブルアットルは意外とそこらへん、順応の早い男だった。
というよりも付和雷同、他人に合わせるのが得意なのだ。
「よし。俺はルーテシア。人は俺のことを敬意と畏怖を込めてこう呼ぶ『貪欲のルーテシア』とな。分かるか?」
「はい」
「そしてお前を気に入った理由はそれだ。お前は良い目をしている。貪欲な目だ。俺と同じだ」
ブルアットルは静かに頷く。「はい」
ルーテシアは豪快に笑った。まるで大地が震えるほどの笑い方だった。
作戦本部のテーブルには巨大な地図が広げられていた。その地図にはいくつかのピンが刺されている。ルーテシアはそのうちの1つを指差した。
「我々が現在占領している街はここだ。お前、地図は読めるか?」
「はい、分かります」
「ほう、良いな」
え、地図の見方くらい俺だって分かるんですけど?
それくらい小学校とか中学校の地理の時間に習ったんですけど?
「あ、でもこの地図。地図記号とかないのね」
昔は覚えてたんだけどな。でもいまはほとんど忘れちゃったよ。
「敵の本陣はおそらくはこの場所だ。我が軍は部隊を2つに別けている。総司令のガングーの意向でな」
ガングー!?
ちょっと待って、いまガングーって言った?
それってあのガングーさん? シャネルが大好きな、歴史上の偉人。
いや待てよ、そもそもルーテシアだってそうだった。ガングー時代の軍人だとか、元帥だとかそんなことを言っていた。
ということはこの記憶は……500年前?
まさか魔王が500年の時を生きているというのは本当のことだったのか!
ちょっと驚き。でも心のどこかでこうも思う。
――ま、異世界だしそういうこともあるよね。
「戦争において基本的に戦力の分散や、逐次投入はやってはいけないことだ。それをあの男は平気でやった。なぜか分かるか?」
ブルアットルは答えに迷う。分からないのは、分かっている。だがそう言って良いのか判断がつかないのだ。
ルーテシアは笑いながらブルアットルの頬を殴った。
「分からんだろうな」
「はい!」
張り飛ばされたブルアットルは急いで立ち上がり、直立。そして腹から声をだして答えた。
頬が赤くなっている、あれは時間がたてば腫れるだろう。
「俺にも分からん、あの男がなにを考えているのかは。そもそもなぜあんな男がへスタリア方面軍の責任者なんだ? ついこの前に士官学校を出たばかりの新品士官のくせして。そんなにテルロン戦線での功績が偉いのか?」
ルーテシアは苛立ちながら1つのピンを抜いて、壁に投げつけた。
どうやらそれがガングーの率いる軍がいる位置らしい。
「とはいえ、やつの指揮の手腕は認めよう。なにせあのラグナ将軍が認めた男だ」
……誰?
知らない人の名前ばかり出てくるけど、まあ偉い人なんだろうな。
「将軍、1つ質問をしてもいいですか?」
「つまらないものでなればな」
「そのガングーという男は、どんな男なのですか? 王党派でしょうか、それとも革命派でしょうか」
「野心的な男だ、おそらく根っからの革命家だろうな」
「はい、よく分かりました」
「とりあえず俺たちは2週間後には敵の本体を攻める。分かるな」
「はい」
「ガングーたちと共に2方向から。その前に、だ。ここを攻める」
ルーテシアはまた別のピンを指差す。
「はい」
「略奪だ。ここには敵の食料がたんまりと貯められているらしい。楽しみだなぁ、他人から奪った食い物ってのは格別の味がする。分かるか?」
「はい、分かります」
「よし。お前にはいい思いをさせてやる、ついてこい」
「はい!」
「がはは、それで良い。俺は気に入ったやつには依怙贔屓をする男だ。せいぜいこの俺に気に入られるんだな」
出ていけ、とルーテシアは手でしめした。ブルアットルは敬礼をして作戦本部を出た。
本部の外には他の新兵たちがいて、出てきたブルアットルを取り囲む。
「どうだった、殴られたか?」
「ああ、殴られた」
「かぁ~、次俺だよ。怖えぁなあ」
「その次は俺だよ、俺! 嫌だなあ。そもそもどうしてこんなことやってるんだよ?」
新兵たちは1人1人、代わる代わるルーテシアと面会していたのだ。
「噂によると、ガングー将軍の真似らしいぜ」
他の新兵が言う。
「あーあ、俺もあっちが良かったよ。ガングー将軍は兵隊のことをあんまり殴らねえらしいぜ」
「いや、でもあっちはあっちでキツイって古参兵どもが言ってたぜ。人を馬車馬みたいに使うんだとさ」
「そんなのどこだって一緒さ」と、ブルアットルは分かったようなことを言う。
違いねえ、と新兵たちは笑った。
兵隊というのは、待機している間は意外と陽気だ。見ていてそう思った。たぶん、いつ死ぬか分からないから空元気にでも陽気にしていなければならないのだろう。それができないやつから、ストレスやらなにやらで潰れていく。
「やっぱり下につくならちょっとキツくても優しい将軍の下が良いよなー」
「そうかい?」と、ブルアットルは言う。「俺はこっちで良いけど」
「なんで?」
「略奪ができるからな」
ブルアットルは嫌な笑い方をした。
それは俺の一等嫌いな笑い方だった。イジメっ子の笑い方。何度も見た笑い方だった。




