344 やがて魔王となる男、キンサン・ブルアットル
あたりがまた暗闇に戻った。
「くそ、なんてもん見せやがる」
俺は悪態をつく。
もっとも、触るなと言われたものを触ったこちらが悪いのだが。
ある人間の幼少期の記憶。その人間が誰か――。
「分かるさ、いま分かった。魔王なんだろう?」
あの記憶は魔王のものだ。
しかしなぜ俺がそんな記憶を見ることになった?
くそ、頭が痛い。なんなんだよ、分からねえよ。
「あてつけかよ! 友達と遊んでるところを見せるなんてよ!」
そりゃあそうだよな、俺はずっと友達なんていなかったしな。
引きこもりで、ボッチの、童貞だ。
そういう意味ではどうだ、魔王が俺にわざわざこの記憶を見せている可能性はないか?
なぜ?
自己顕示欲。
あるいは俺への精神攻撃。
……あまり現実的な可能性ではないな。
そんなことをする意味は、あちらにないのだから。なんらかの手違いがあった?
「くそ、やっぱり考えても分からねえ」
とにかくこの場所から出なければ。
そのための手がかりはどこにある?
そういえばさっきの声、あれはなんだったんだ?
考えだすとまた時間の感覚がなくなった。
それでも正気に戻れたのは、また光が見えたからだ。
「……光ったな」
手がかりがない以上は、少しでも現状を変えるべきだ。それでどうなるかは分からないが。
しかし嫌だなあ、また人様の記憶なんてものを見せられるのだろうか?
それでも背に腹は代えられない。
俺は光のほうへと歩いていく。今度のそれは点滅していた。
「触るの、これを?」
独り言が多くなっている。
「本当は嫌なんだけどなあ」
人間、見たくない景色とかある。思い出したくもない記憶もある。
「ええい、ままよっ!」
俺は光の玉を触れた。
次の瞬間には、また周囲には景色がうまれていた。
いったいどうなってるんだ?
まるでそう、夢の中で夢を見ているような感覚。
「――――――ッ」
なにか声が聞こえた。
「え、なに?」
たぶん俺に話しかけている。でもなんと言っているか分からない。声が遠いのだ。
「――――」
まだなにか言っている。
はて? 風の音にしては、やっぱりおかしいし……。どう考えても声だよな。でもよく聞こえないんだよなあ。
それよりも、いま現在の俺はどこにいる?
ここは……どこだ? グリースのどこかだろうか。
街中を1人の男が歩いている。俺はその男の背中を眺めている。追いかけなければならない、そう思った。
後ろからなので男の顔は見えない。だが少し明るい色をした黒髪の、俺とさほど身長が変わらない男だということは理解できた。いや、たぶん俺の方が身長は少しだけ高そうだ。
「魔王様……ねえ」
俺はひとりごちてから慌てて追いかける。
男は人混みをぬい歩く。
どうやらここはかなり昔のグリースのようで、霧がない。
いや、違う。
俺は道を歩いていて気づいた。この場所はグリースじゃないぞ。ここはドレンスだ、それもパリィ。俺はこの街を何度も歩いたことがある。
あそこに流れている川、あれはセーヌ!
「どうしてこの男がドレンスにいるんだ?」
分からない。この男はいったいどこに向かって歩いているんだ?
「革命だってよ――」
通行人たちの会話が聞こえてきた。
――革命?
なんの話しだろうか。ぜんぜん分からない。しかしそこかしこでそんな話しをしている。そういえば昔、シャネルがドレンスは恋と革命の国だと言っていたことがあった。
「まったくさ、王政を廃止してどうするつもりだか」
「とか言っておたく、革命が始まれば真っ先に革命派になるんじゃないの?」
「いやいや、うちは代々王党派だよ。そっちこそ家では鞍替えの算段をたててるんじゃないのかい?」
「どうだかね、けれど革命派に勢いがあるのは事実でしょう?」
うーん、分からない。
会話を盗み聞きしてもぜんぜん理解できない。革命派と王党派とがいるのか?
最初、革命と聞いて思い出したのはドレンスで会ったフェルメーラだ。なにやら革命を企てているようで、いつもサロンと呼ばれる場所で同志たちと酒を飲んでいた。
俺なんて目じゃないほどの酔っぱらいだった。
けれど会話の内容を聞く感じ、そういう地下組織が革命をやっているということではなさそうだ。もっと大々的に、それこそ一大勢力として町人の話の種になるほどの革命。
ここはいったい、どれくらい昔のドレンスなのだろうか?
俺はそもそも魔王がいま何歳なのか知らない。
少なくとも俺が見ている光景では、俺とそう変わらない歳に見える。十代の後半、もしくは二十代の前半でも通るかもしれない。
まだ青年と呼ばれる年齢の男。
魔王と呼ばれることは、もっと先のことなのだろう。
男はやがて石造りの建物まで来た。
「あれ……ここって……?」
いまでは冒険者ギルドがある場所だ。
けれど目の前にあるのは、木組みの建物。二階建てだ。なにやら看板があるが、俺には文字を読むことができなかった。
両開きの引き戸を開けて、男は中に入っていく。
俺もそれを追った。
中にはカウンターがあって、その奥にはちょっと時代がかった兵士の衣装を着た男が、つまらなさそうに鼻をほじっていた。
外見こそ違うが、中はギルドに似ている。違うのはギルドのように冒険者が大量にたむろしていないことくらいか。
魔王――というか将来そうなる男はゆっくりとカウンターへと近づいていく。
「兵士になりたい」
と、カウンターの男に向かって言った。
もしかしたらここは兵舎なのだろうか? あるいは詰め所のようなもの。
だからカウンターの男も格好が軍服なのだ。
「徴兵? じゃあ紙見せて」
カウンターの男は鼻をほじりながら言う。汚え……。
「無いんだ、徴兵されねくちゃダメか?」
「ダメじゃねえけど。なに、志願兵? いまどき珍しいね、あんた。職業軍人になるのかよ。家業は?」
「あるように見えるかな?」
「見えねえな。とりあえず後見人は?」
「いない。ダメか?」
「後見人もいねえのかよ。ま、ダメじゃねえけど」
……ダメじゃないのか。
俺は後ろから2人の会話を聞いている。
けれど俺の姿はまったく見えていないようだ。それはさっきの少年たちも同じだった。俺の姿はたぶん誰にも見えない。それは俺がそもそもここには存在しない人間だからだろう。
たぶん俺はいま、魔王の記憶を見せられているのだ。
「どうせいまは兵隊の数が足りてねえんだよ。どんなやつでもウエルカムさ。名前は?」
「キンサン・ブルアットル」
魔王――ブルアットルはそう名乗った。
「はいはい、キンサン・ブルアットルね。家族は?」
「いない、天涯孤独だ」
「そりゃあ良い! ブルアットル、お前が死んでも国は遺族年金を払わずにすむ!」
ひどいこと言うなぁ、この兵隊さん。
ブルアットルは苦笑いを浮かべた。
「仕事もない、家族もいない、ついでに言うと故郷もないんだ。だから兵隊になるしかない、分かってもらえる?」
「ああ、ああ。そういう事情のやつは何人もいるさ。とにかく兵隊になりさえすりゃあ、2度の飯にはありつけるからな」
へー、3回じゃないんだ、ご飯。
「そういうことでお願いするよ」
「おう、分かったよ。とはいえ徴兵は月に1回なんだ。月の初めてにまた来てくれよ。キンサン・ブルアットル」
「承知した」
カウンターに居た男が手を伸ばす。握手だ。
けれどその手は先程まで鼻をほじっていた手だった。
ブルアットルは握手の申し出を丁重に断るのだった。




