340 シャネルの調べ物
「ちょっとシンク、どうしたの? ずぶ濡れじゃないの」
宿に戻った俺を、シャネルは驚きでもって出迎えてくれた。
「散歩の途中で雨に降られてさ。いつもながら災難だよ」
「泣いてたの?」
「まさか。どうしてそんなこと聞くんだ?」
「目のまわり、真っ赤になってるわ」
「きっと外の霧でやられたんだろう」
そういうことにしておいてくれ。
「ふうん」
シャネルはたぶん話しを終わらせてくれたのだ。誰にだって聞かれたくないことくらいある。そういうことをよく分かっている子だ。
俺は暖炉のあたりに行く。
雨が降ってきて、洗濯物を取り入れたのだろう。タオルがかかっていた。
「なあシャネル、このタオルどれ使っていいやつ?」
うーん、これはこの前ワインをこぼしたときに拭いたやつだな、赤いシミがついている。
「そこにかかってるタオルね、どれでも使っていいから」
「いや、一回床を拭いたタオルはそれもう雑巾でしょ?」
俺はきれいそうなタオルを手にとって、髪を拭いた。
いつもなら外の井戸のあたりに干されている洗濯物だ。部屋の中にあるとなんだか部屋が狭く感じる。
ちなみに俺は洗濯ができない。いや、しないだけなんだけどね。本当本当、やろうと思えばできるよ、当然じゃないか。
でもシャネルがやってくれてるから、俺はやらないのだ。
そういえばシャネルのふりふりの服ってどうやって洗うんだろうか? 分からない。いや、そもそもシャネルはロリータ服を洗わないのか? まさかね。
あ、でも飽きたらすぐ売ってるしな。それで新しいの買ってるし。ありえなくもないのか。
「なあシャネル、お前の服ってどうやって洗うの?」
気になったので聞いてみた。
「自分じゃ洗わないわよ、クリーニング屋さんに頼むの」
だ、そうです。
ああそうなの、こんな異世界でもあるのねクリーニング屋さん。
なんていうかさあ、俺ってじつはこの世界のこと知らないことだらけなのだ。いつもシャネルと一緒にいて、家から出ずにアルコールを飲んでいるだけの日もしばしば。
そんなダメ人間でもシャネルは優しくしてくれるから、勘違いしてしまうんだな。
少しは自分から動こう、と決意するのだった。
「それよりシンク、いろいろ調べておいたわよ」
シャネルはテーブルの上に広げてあった新聞をたたむ。その下から紙が出てきた。
「どうだったよ?」
「上々ね。けっこういろいろ分かったわ。魔王軍の四天王っていたでしょ? 名前もばっちり載ってたし、なんなら戦い方まで載っていたわ」
「戦い方?」
「そう。なんなのかしらね、この国の人は。たぶん新聞だけが娯楽なのよ、だから紙面にずいぶんとたくさん小説みたいな読み物が載っててね――」
「うん」
「――これがまた傑作なのよ。あ、もちろん素晴らしいって意味じゃないわよ。バカバカしいの。だってね、小説の主人公が魔王軍の幹部なのよ。いわゆる戦記ものってやつなのかしら。とにかく魔王軍は素晴らしいってことがこれでもかと書いてあるの」
「そりゃあ、すごいね」
「そんな連載が毎日2本も3本も。目を通すのはなかなかしんどかったわ。だから飛ばし読み。それでも一定の価値はあったわ」
「それがこの紙?」
いわゆる走り書きのメモのような紙と、きちんとまとめられた紙がある。シャネルのやつ、きっと授業ノートとかきちんととるタイプだろうな。
「そうよ。4枚あるわ」
あっ、下からまだ紙が出てきた。
「ふんふむ」
「魔王軍の四天王は4人、これは分かるわよね」
「そりゃあ四天王だもんな」
これで5人も6人もいたら詐欺だ。
「その4人、名前はエディンバラ、カーディフ、ロンドン、そしてビビアン・ココよ」
「つまり俺たちはそのうちのの3人にすでに会ってるわけだな」
「私はお兄ちゃんには会ってないわ」
あ、そうだった。
「ごめん」
「べつに良いわ。で、この4人はそれぞれ相当な力を持っているらしいの。どうも小説だとか、普通の新聞記事から読み解くにこの国で軍隊の指揮をしているらしいの。それで徴兵なんかも担当している、と」
「つまり人狩りの権限があると」
「そういうことね。このロンドンっていう人だけはどうも財政担当みたいだわ。で、エディンバラとカーディフは前線に出ることが多いみたい。問題のお兄ちゃんなのだけど――」
「ココさんは?」
「ダメね、あんまり情報がないの。でも紙面での人気は高いわよ。四天王の紅一点ってね」
「紅一点……」
たしか、野郎どもの中にいる女1人、みたいな意味だよな?
騙されてるからねみんな。あの人、男だからね。
「この前のエディンバラとかいう男の戦い方、魔力の腕みたいなのあったでしょう? あれはよく見るのよ、小説でも必殺技扱いだわ。なんでも破壊できる、ってのが売りよ」
「ほうほう」
たしかにあの魔力の黒い腕、当たれば脅威だよな。当たらないけど。
「あとはカーディフね。この片目の人」
紙にはシャネルお手製の似顔絵が描いてあった。ノーコメント、としておこうかな。
「なんだかねえ、この人ね。すごいのよ」
「すごい?」
「ええ。本当はね次期魔王候補だったんですって」
「そもそもさ、この国の魔王ってどうやって決めるんだ?」
「さあ、戦って強い人が魔王じゃないの?」
うわー、決め方がもはや戦国時代だよ。いや待って、戦国時代でもそんなことしねえか。
「魔力を打ち消す大剣と、百発百中のスキルが自慢らしいわ。あとは魔力を身体能力に上乗せできるとか、まあそんなことね。小説だとだいたいあれよ、エディンバラがピンチの時に助けに来るわね」
「もしかしてエディンバラが小説の主人公だったりするのか?」
「群像劇よ」
ま、なんでもいいか。
それにしても百発百中のスキルねえ。たしかにあると便利そうだな。攻撃が外れないってどういうものか分からないけど。
あれ、でも俺、普通に避けてたよな。
「で、最後のロンドンとかいうのは魔法が得意らしいわ。魔王軍の兵隊の中には魔人化をきちんと成功させた部隊があるらしいけど、そのトップなんですって」
「そもそも魔人とはなんぞ?」
何度か説明されたけど、よく覚えていない。
「簡単にいうと魔法で体をいじくり回した人間よ。でね、このロンドンは人工の魔法使いらしいの。魔人の中の魔人。その成功例ですってさ」
「ふうん」
写真を見るに、まだ若そうな男だった。
いかにも小憎らしい笑い方をする少年。体の大きさには不釣り合いなシルクハットをかぶっている。
「ま、そんなところね。このロンドンも戦い方はよくわからないわ。小説の描写だと『すごい光で敵が死滅した』とか、そんな適当なことばっかり書かれてるのよ」
「光?」
つまり陽属性の魔法だろうか。よく分からない。
「あとはそう、魔王なのだけど」
「あ、それも調べてくれたの?」
俺が外に出ている間に、シャネルのやつは有能だなあ。
まあ実際は前々からよく新聞は読んでたけど。
「この前聞いた通り、500年前から生きてるとか。黒髪に黒目の男。それくらいは分かるのだけど――」
「――他は?」
「無慈悲な性格らしいわ。もともとはこのグリースには4つの国があったらしいのだけどそれらを暴力的に平定してみせた。前の魔王はドレンスの勇者に殺されたから、その復讐をしようとしているとか、なんとか」
「本当かよ?」
「少なくともそのために軍備の増強を進めているって言われてるわ」
「ま、ありえなくもないか」
そういえばココさんは言っていた、パリィが戦場になると。これはそういう意味なのか?
もしかして俺ちゃん、責任重大?
ここで魔王を殺しておかないと、戦争が始まっちゃうのか?
「ま、だいたいそんなところ。詳しくはこの紙読んでね」
「ごめん、読めない」
「そうだったわね、じゃあ寝る前に読み聞かせでもしてあげるわ」
「そうしてくれ」
適当に答えた。
それにしても、魔王ねえ……。
いったいどんな人間なのだろうか、ぜんぜん分からなかった。




