339 広場の孤独
その日は朝から霧がひどかった。
シャネルは古い新聞を宿の人にたのんで引っ張り出してもらって、それを読んでいる。調べ物をしているのだ。
俺はあまりにも暇なので外に出ることにした。
たった1人、てこてこてこだ。
「じゃ、行ってくる」
「ええ、気をつけてね。はいガスマスク」
「ありがとガス」
ありがとガス? ときどき自分でもゲロを吐きそうなくらいつまらないことを言ってしまう。それなのに――。
「うふふ、面白いわよそれ」
シャネルは笑ってくれるから、もしかしたら俺って笑いのセンスがあるんじゃない? なんて思ってしまうのだが。はい、勘違いですね。
ガスマスクをつけて、俺は外に出た。
今日は霧が深い。
「あーあ、きついなぁ……」
明後日である。
魔王の宮殿でのパーティーが行われるのは。俺たちは招待状ももらっていないのにそこに行くつもりである。
シャネルはココさんを殺すため。
俺は魔王を殺すため。
できるだろうか? 先日のカーディフとの一戦。あれはヤバかった。
もう一回やったとして勝てるだろうか。
自分が弱気になっていることに気づいた。いやだいやだ、もともと調子に乗るとバカなことをするが、一度落ち込むと落ち込み続ける性格だ。そのせいで引きこもりだったこともあるくらいだし。
みんなのために魔王を倒す、というのはいい考えだと思う。
誰かのためだと思えばやる気もでるだろう。
それに、俺が魔王を倒せばその情報は金山の元にも行くはずで……そうなれば俺たちは再開できるはずだ。
「あいつは生きてるさ、絶対にな」
そう信じている。
そうでなくちゃ困る。
だってあいつが生きていないと、俺はあいつを殺すことができないから。
「驚くだろうなー、あいつ。俺が魔王倒したらさ。自分が倒すつもりだったのに! って悔しがるかもな。そしたらさ、もう俺の方が上だよな。絶対にあいつ、俺に負けたって思うよな」
独り言だ。
誰も聞く人などいない。
霧の街を俺はだらだら歩いている。
ガスマスクが邪魔に感じた俺は、それをとった。
少しくらいなら魔力の霧を吸っても問題ないはずだ。
「あの家のダクトからは霧が出てる。あっちは出てないな。あ、こっちは出てる――」
だからどうしたというのか。
ただそこに人の営みがあるというだけ。
この人たちは家の中で何をしているのだろうか? テレビもねえ、ラジオもねえ、車もそんなに――こんな場所でいったい何をしているのだろうか。
生きているだけ。
それはいったい幸せなことなのだろうか?
そもそも幸せってなんだ?
うーん、いかんいかん。そんなことを考えたら思考がドツボにはまるぞ。
適当に歩いていると駅の方についた。
駅に来るのは3度目だ。霧の向こうから汽笛の音が聞こえた。列車が走っているのだ。
このロッドンにやってくる人間は少ない。そしてこのロッドンから出ていく人間も少ない。
この国にはいったいどれくらいの人間がいるのかよく分からない。なにもかもが魔力の霧によって隠れているのだ。
ふと、俺の鼻先に水滴が落ちてきた。
「ああ、雨だ」
最近、多いな。
もしかしたら梅雨かしらん? なんて思いながらその場で空を見上げる。
少しだけ霧がなくなる。雨で霧が落ちていく――というのも変な表現だが。
本降りになるだろうか? 雲模様はよく見えないので判断もつかない。
俺は視線を下に落とした。
霧がなくなって、駅前の広場が一望できた。
「ああっ……」
そうだった。
忘れていた。
いま駅前では、冒険者たちの死体が晒し者にされているんだった。
並んだ死体は17個もあった。死体の単位が『個』なのかは分からないが。
俺は無意識にその中に金山の死体がないか探してしまう。もしくはティアさんの死体があったら、嫌だなとも思った。男の死体はまだ良い、けれど美しい女性の死体を見るのは嫌だった。
けれど、金山の死体はなかった。
……良かった。
死体は損壊が激しいものばかりだ。
戦いの痕なのだろう、腕や足が無いのは当然。頭のない死体もあった。
名前も知らない冒険者たち、からみもなかった。
それらが整然と並べられている。俺は虚しい気持ちになりながら、手を合わせた。それがいちおうの礼儀だと思ったのだ。
もしかしたら見逃しているだけで金山の死体もあるかと思い、1人1人の死体を見ていく。
「ああ、お前か――」
知っている顔があった。
「――お前のことは覚えてるよ」
シグーくんだ。
ドレンスにいたとき、冒険者ギルドでいきなり絡んできた男。自分の爪を伸ばすことができるという、なんともしょうもないスキルを持っていた。
それでもA級冒険者、それなりに腕に自信もあったのだろう。
もっとも、いまは死んでいるが。
青白い肌で、目を見開き、舌をたらして死んでいるシグーくん。
一見したところ体にはなにも異常がないように見える。けれどよく見れば両腕の手首から先がなくなっていた。なにかに潰されたのだろうか、無理に断裂されたようなあとに見える。
「負けたんだな、お前」
魔王にだろうか。
それとも魔王軍の四天王とでも戦ったのだろうか? 分からない。
「ということは、隣にあるでけえ死体はイマニモさんか」
上半身がまるで食べられたかのように損壊しているせいで、ぜんぜん誰か分からない。しかし残った下半身からかなりの大男であることは予想できた。
「あとは、あの爺さんか。あの爺さんもなかなか好戦的だったからなあ」
いきなりよ、ギルドの中で魔法ぶっ放したり。まっうたく冒険者っていうやつらは。
ぱっと見たが、死体はなかった。
もしかしたら死体も残らないほどに酷いやられかたをしたのだろうか。
「だとしたら、ちょっと悲しいな」
墓も作ってやれない。
もっともここに死体が残っていたところで墓なんて誰も作らないか。
雨がひどくなってきた。
ザーザーと音がする。
俺は傘を持ってきていなかった。
「シャネルと一緒じゃなくてよかったな」
いくらシャネルがバイオレンスな女の子だからといって、こんな死体が並ぶ場所を見せてくはなかったから。
それに――。
――俺のこんな情けない顔を見せなくてすむからな。
なぜかは自分でも分からないけれど、俺はとても悲しかった。
人が死んだのなんて何度も見てきたのに、なにがそんなに悲しいのだろうか?
死んだのが同じ冒険者で、知り合いの姿もあったからだろうか。
死体をこんなふうに並べて見世物にすることに対して、人間の尊厳を傷つけられたと思ったのだろうか。
それとも――この広場でただ孤独に1人立っている、ちっぽけな自分が嫌になったからだろうか。
「お前たちはお前たちにみんな、全力でやったんだよな」
カタキはとってやらなければならない。そう思った。
それがこいつらの弔いになるのならば、それで良い。
誰かのためになるのならば――。
雨が降っていた。
俺はその雨の中で、等間隔に並べられた死体を眺めていた。
ずっと、ずっと――ただ1人で孤独に。




