336 水晶宮の最後
水晶宮を周り終えたとき、空は薄っすらと茜色に染まっていた。
これでも早足で良いところだけを見てとった。じっくり見れば本当に1日ではきかなかった。
楽しかった。
いろいろなものが見れた。おかげで1日で世界一周でもした気分になれた。
ぐるりと一周すれば、最終的には最初の場所。ガラスでできた噴水の場所に戻ってきていた。
「これにて終わりです。どうもありがとうございました」
老人は深々と頭を下げた。
その様子に俺はやっぱり尋常ではないものを感じた。
「あの、最後の最後にこんなこと聞くのってあれなんですけど。なんかありました?」
こういうのを聞くのはシャネルの仕事なんだけどなあ。
でもあんまりにも気になったから俺が聞いた。
「こいつとは今日でお別れなんです」
「え?」
「水晶宮は本日で閉鎖されます。長い間、ここにこうして居たこいつですが、明日からはお客様に中を見てもらうことはありません」
「――な、なんで?」
こんなにきれいな建物なのに。
老朽化しているわけでも、中が汚いわけでもない。そりゃあ今日はお客さんが俺たちしかいなかったけど、それはきっと雨だったからで。
いや……違うのか? いつもお客さんなんていないのかもしれない。この国にはもう、若い人などいないのかもしれない。地方でだって、あまり見なかったもの。
老人ばかりの国。わざわざここまで美しいものを見る必要など無い人たちばかり。きっとこれまでの人生でたくさん美しいものを見てきたから。
綺麗事でも言ってないとやってられない。
「水晶宮は明日から、魔王軍の所有物となります。兵隊さんの詰め所になるのです」
「ここを?」
「はい」
駅も近く場所も広いこの水晶宮は、なるほど兵隊を待機させておくには絶好の場所かもしれない。
どうせ兵隊と言っても、あのパワードスーツのような鎧を着た人間かサイボーグかもよく分からないやつらなのだろうけど。
「そもそもどうしてこの国は、こんなに軍備を強化してるんだ?」
「軍備を強化する理由なんて2つに1つじゃないかしら? 他の国に攻め入るか、他の国から防衛するか」
「つまりは戦争をするため、そういうことか」
「どうなんですの、おじいさん?」
「さあ、魔王様がなにを考えているかなど、私どもには分かりませんよ。それにそもそもこの水晶宮はお国のものです。私はあくまでここで働かせてもらっているだけで、国のために使うと言われれば文句も言えますまい」
その割に老人はずいぶんと悲しそうだ。
本音と建前。
実際はこの水晶宮を兵隊なんかに明け渡したくないのだろう。
けど、しょうがないという意味も分かる。
俺たちにできることは、なにもない。
ふと、嫌な予感がした。この感じは――たぶん『女神の寵愛~シックス・センス~』が俺に教える警告だ。
そしてなんだろうかこれは……いわゆる虫の知らせ? 誰かが死ぬときに離れていても感じるというあれだ。
なぜいま、こんなものを?
「シンク、帰りましょうか」
シャネルが言う。
「あ、ああ」
たちは入り口の方へと行く。すると、気がついた。
水晶宮の外に、兵隊たちが整列している。いつの間にいたのだろう、ガラスの建物というのは意外と遮音性が高いのだ。まったく気が付かなかった。
「まずいです、お2人は裏口からお帰りください」
こちらから外が見えるのと同じように、あちらからもガラス越しに中の様子は見えるはずだ。しかし俺たちのことに気づく者はいないようだった。もともとがロボットのような兵隊たちだ、気づいてもなにも感じないのかもしれない。
「あの兵隊たち、中に入ってくるのか?」
「そうでしょう。若いお2人は人狩りにあうかもしれません、早く逃げて」
人狩り……。
若い男は兵隊に、女は慰み者に。そういう悪習というか、文化がこの国にはある。
そのせいでこの国はいびつな生活をしいられる老人たちばかりがいる。
「そうさせてもらいます。行きましょう、シンク」
シャネルは、面倒事はごめんよとばかりに俺の手を引いた。
俺も一度はそれに従った。
深々と頭を下げる老人に見送られて、水晶宮を歩く。先程回ったときに裏口の場所は教えてもらっていたのだ。
だが――。
しばらく歩いて立ち止まる。
「どうしたの?」
周囲には異国情緒あるれる様々な柱があった。
いろいろな国の柱を並べるという、一風変わった展示である。
「なあ、シャネル」
俺は1つの柱に背中をあずけた。くねくねとした唐草模様の装飾のある柱だ。材質はたぶん石で、継ぎ目がない。一枚岩から切り抜いたものだろう。おそろしく手間のかかった柱だ。
「なあに?」
「どうにも気になる」
シャネルはやれやれ、首を横に振った。その口元には微笑があった。
「シンク、好きよねそういうの」
「気にならないか? いや、見たってなんかなるわけじゃないだろうけど」
「危ないと思ったらすぐに逃げるわよ。あんな数の兵隊、相手にしたって疲れるだけなんだから」
俺だってそこまでバカじゃない。
兵隊の数は数えられないほどだった。よく兵隊の単位で小隊とか中隊とか、大隊ってものがある。あれはどれくらいの規模なんだろうか?
たしかその上に師団とかそんな感じの単位もあったよな。それがどれくらいのものかは知らないけど。
「とにかくさ、おじいさんが気になるんだよ。あの人、これからどうするのかな?」
「さあ、無職になって家にでも買えるんじゃないの?」
「それならそれで良いんだけど――」
だけどこの嫌な感じは違う。
そういうものじゃないと俺の感覚が告げているのだ。
こういうとき、急がなければいけない。なぜなら、俺が急がなければ人が死ぬからだ。
「いいわよ、戻りましょう」
シャネルが言ってくれて、俺はホッとした。
俺は自分でも知っているが、小心者だ。1人でなにかをやるということが苦手。いつも誰か――それは主にシャネルなのだが――が隣にいてくれなければ、イキることもできないのだ。
俺たちは来た道を戻った。植物のかげに隠れるようにして、水晶宮の入り口の方を見る。
するとガラスでできた噴水の前で老人と長髪の男が向かい合っていた。
その長身の男には見覚えがあった。
「……あれ、エディンバラだ」
実際に見たのはこれで2度目。新聞の写真でも見たこともある。
魔王軍の四天王の1人だ。
なぜこんな場所に?
いや、魔王軍の幹部なのだから軍隊を率いているのは当然なのか?
「誰?」
シャネルはいつものごとく、覚えていないようで。
「港待ちで会っただろ、戦った」
「……あっ。あの魔力を無茶苦茶につかってたやつね」
思い出したようだ。
エディンバラは大仰に手をふって、なにやら叫んでいる。俺は耳をすませた。
「はっはっは、ここはガキのころに来た時まんまだぜ!」
どうやら噴水を見て喜んでいるようだ。
「わ、私としてもそれは褒め事べです」と、老人がおずおずと言う。「お客様がいつこられても変わらなぬ場所というものを目指しておりました」
「そうかいそうかい――」
嫌な予感がした。
その次の瞬間には、それが予感ではなく確信に変わった。
エディンバラの背中から黒い手が伸びた。その手が横薙ぎにガラスでできた噴水を破壊した。
ガラスが割れる甲高い音。
割れた噴水はキラキラと光を反射させながら周囲に飛び散った。
老人は驚きすぎてなにも言えないようだ。その様子をエディンバラはいかにも意地の悪そうな、下品な笑い方でみていた。
「あ……ああっ」
老人の嗚咽のような声。
「ああ、すまん。邪魔だったからつい、な」
俺の頭が一瞬で沸騰した。
怒りで思考が支配された。
他人の嫌がる顔を見て喜ぶ、これはすなわちイジメである。そんなものを許すわけにはいかない。
刀を抜く。
だが遅かったのだ。そんなことをしている暇はなかった。刀など抜くその前に、俺は出ていかなければいけなかった。一瞬のタイムロス。それが全てをわけた。
エディンバラの魔力の腕が、老人の腹部に深々と刺さり、そのまま突き抜いた。まるで細い枝に突き刺さされた鳥類の餌のように、老人の体は持ち上げられた。
老人は叫び声もあげずに、死んだ。
こんなにもあっけなく、死んだのだ。
俺は一瞬だけ呆然として、動けなかった。
だがシャネルは違った。違ったのだ。
動けないでいる俺よりも先に彼女は飛び出していた――。




