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335 水晶宮の中



 ガラスでできた水晶宮には、いくつものくぎりがあった。それぞれの部屋で違った展示が見られる。水晶宮の中は美術館と言えばいいのか、それとも植物園と言えばいいのか。


 多くの美術品と同時に、世界各国の植物までもが植えられている。それどころか――。


「チュンチュン!」


 いきなり背中をつつかれた。


「痛っ! え、なになに!」


「ああ、お客様。鳥ですよ、鳥」


 トリィ? と、振り返る。


 するとどうだろうか、俺の背中を小鳥がくちばしでつついているではないか。


「うふふ、人気ねシンク」


「そう見えるか?」


 これ舐められてるんじゃねえの?


 なんだよこの小鳥、うざったいなぁ。俺はしっしっと手で小鳥を振り払った。


 どういうわけかこの水晶宮では鳥を放し飼いしているらしい。よく見れば天井付近や木々の合間を縫って小さな鳥たちが元気に飛び回っていた。


「その鳥はこの国にはいないものですよ、カタナインコウと言ってジャポネの鳥だそうです」


「カタナインコウ? なんだよそれ」


「ナンダヨソレ!」


 カタナインコウは俺の言う言葉を繰り返した。


「すごい、喋ったわ。これもしかしてモンスター? 魔物のたぐいじゃないの?」


「はは、違いますよ。カタナインコウは人間の言葉を真似るんです。見てください、この眉間の部分だけが白くなっているでしょう? これがカタナと呼ばれるジャポネの武器に似ているから、そういう名前だそうです」


「ふうん、刀ねえ」


「カタナネェ!」


 ちょっとイラッとした。


「バーカ」


 言ってみる。


「バーカ!」


 カタナインコウは繰り返す。


 よし、これなら。


「カタナインコウのバーカ」


「シンクのバーカ!」


 ……いや、すごいけどね。よく名前覚えたね。


「この鳥、なかなか頭が良いのね」


「バカにしてやがるぜ」


 カタナインコウは笑い声のようなものをあげながら、天井付近まで飛んでいった。


「まあ、このようにして色々な鳥がいるのですよ」


「鳥は分かりますけど、この植物とかの管理はおじいさんがやってるんですか?」


 ちょっと気になったので聞いてみる。


「はい、私が1人でやっております。といっても水をやるのは機械任せですが。冠水かんすい機がちゃんとあるんですよ。、魔力で動く」


 ほー、そうなのか。


 ま、そうだよね。こんなに広い場所だし。人力でやってるわけないか。


「植物に囲まれる生活って素敵そうですね」


「そうですね。あちらは温室となっております、熱帯の果樹がありますよ。見ていかれますか?」


「熱帯の果実ってなんだ?」


「さあ、知らない。どんなものがありますの?」


「そうですね、有名なものではバナナやパイナップルでしょうか。あとはコーヒーの木などが」


「ちょっとまって、コーヒーって木からできてるの?」


「そうですよ」


「あたりまえじゃないか」


 俺もちょっと得意になる。知ってるよ、コーヒー豆って木になるんだよね! なんだよシャネル、そんなことも知らないのかよー。


「ふうん、そうなの。でも興味ないわね」


 あらら。シャネルの鶴の一声で、温室の方は行かないことに。


 植物がおいしげる場所を超えると、次は美術品が並んでいた。


「ここはイッドの工芸品などが展示されております」


「ほえー。あ、シャネル。これ見てよこれ。ターバンだよ」


「どうするの、これ? タオル?」


「違うって、頭に巻くんだよ」


「現在ではイッドは我がグリースの統治下にありますが、この頃はまでそうではありませんでした。それでは次はルオの国となります――」


 俺たちは老人の案内についていく。


 老人はめぼしいものの前で立ち止まり、そのたびに解説をしてくれる。


「こちらはルオで使われた高官の衣装です。ルオでは蒼色が禁色きんじきと呼ばれ、皇帝のものとされておりました。青い服を着るだけでも皇帝の許可が必要だったのです」


「知ってる知ってる」


「ルオには長いこと滞在したものね」


「ああ、そうでしたか。こちらの衣装は皇帝に使えた高官のものですが、しかしルオの国は現在、体制が変わったと聞いております。さて、いまはどうなっているのでしょうか」


 ま、なんとかやってるんじゃないかな?


 思ったけど、俺はなにも言わなかった。


「お次はドレンスです。こちらにあるのはヴェルサイユ宮殿に使われていた大理石であります。そしてこちらはノートルダム大聖堂のイコン。かの有名なガングー・カブリオレの戴冠式たいかんしきがあった場所としても有名ですね」


「どうしてノートルダムのイコンが?」


「詳しいことはなにぶん500年も前のことでありまして定かではありませんが。ガングーの戴冠式があった当時、ノートルダム大聖堂は荒れ果てていたという話しらしいです」


「常識ね」と、シャネル。


「常識なのか?」


 ぜんぜん知らんぞ。


「そこで教会をほとんど改装に近いかたちできれいにしました。そのさいに取り外されたのがこちらのイコンという話しです」


「ふうん、それが巡り巡ってここに来たということね」


「はい、その遠りですよ。ですのでこちらのイコンは厳密にいえば『ガングーの戴冠』を見ていないことになります」


「それは残念ね。あの戴冠式でのダモクレスの剣を見ていないだなんて」


「いやいや」


 まるで自分は見てきたかのように言うけど、シャネルさん。あんただって見てないでしょう?


「ああ、しかし先日魔王様がこちらに来られたときは、しきりに懐かしいと回顧かいこしておられましたよ」


「どういうことですの?」


「ご存知ありませんか? 当代の魔王様は悠久の時を生きられておるのです。それこそ500年も前から――」


 なんだそれ、と俺は笑った。


「まさか、不老不死だとでも?」


 けれど老人はまったく笑わない。


「と、いう話しですが」


「不老不死ねえ……」


 シャネルは首をかしげた。


 やっぱりシャネルも半信半疑みたいだ。


「ありえるんですか?」と聞いてみる。


「魔王様は私たちとはまったくべつの法則で生きておられるのだと思います。ですのでそういうこともありえるかと」


 俺は少し開け真面目に考えてみる。


 たしかにそういうスキルがあってもおかしくないかもしれない。


 不老不死……。


 実際にありえるのか? だとしたら、そんな人間を殺せるのか? うーん、分からん。


「次はエッジプトとなります。こちらは砂漠の国です」


「知ってる、シンク」


「ピラミッド、スフィンクス、ミイラ」


 適当に知ってることを並べる。


「まさか! ガングーのエッジプト遠征の話しよ」


「知らん」


 そんなこんなで色々回った俺たち。


 お昼時になったので、水晶球の中を見ることを中断。


 シャネルは軽食のサンドイッチを用意してくれていたので、それを2人で食べた。味がしょうしょう雑だったので、たぶんシャネルが作ってくれたのだろう。


「美味しかった?」と、食べた後に聞かれた。


「美味しかったよ」


 なんだかこうして2人で出かけてサンドイッチなんて食べていると、遠足みたいだった。


 それから午後になって、ガラス館という場所にいった。


 いや、そもそもガラスでできた水晶宮じゃないですか? それでさらにガラス館とはなんぞ? とかなり興味があった。


 ガラス館にはガラスで作られた芸術品が並べられていた。


 食器や花瓶などの生活に密着したものから。


 装飾品としてのネックレスやイヤリング。


 そしてなによりもステンドグラスだ。ステンドグラスは壁いっぱいにいくつも並んでいた。


 外から差し込む光で、床を七色に照らす。


「きれいね……」


「そうだな」


 ガラス館では老人はなんの説明もしなかった。それどころか俺たちを2人きりにするために、老人は外で待っていてくれた。


「なあ、シャネル」


「なあに?」


「来てよかったな」


「そうね」


 シャネルはステンドグラスに手のひらをくっつけた。


 シャネルの白い手に赤い光と青い光が透けていた。


 美しい、そう思った俺は逆になにも言えなかった。なにか言葉を発すれば、全てが嘘になりそうで。1枚の絵画のように見えるシャネルは、あわい幻のようで。


 言葉は鎖だと思った。


 それを言うことで、形が定まる。縛られる。


 なにも言わなければシャネルはその場所で、ゆらめく陽炎のように美しさをたもっていられる。


 そういう考えって、ちょっとおかしいと自分でも分かっている。


 昔の俺だったら自分で自分のことを厨二臭いと笑っていただろう。


 でも今は笑えない。


 だって冗談ぬきで、シャネルは美しいのだから。


 それは現実感すらないものだった。



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