330 魔力の霧
けっきょく、宮殿を見て帰って、疲れ切った俺たちは夜ご飯もそこそこに寝てしまった。
夜ご飯はしっそなもので、小さなパンが2つと、まったくもって味の薄いスープだった。1日の食事がたったそれっぽっちでは、育ち盛りの俺たち2人には物足りなかった。
そういうこともあって、眠るという行為は正解だっただろう。
寝ていれば空腹も感じずにすむからな。
そしてあくる日――。
ガサゴソとシャネルがカバンをあさる音で目を覚ました。
「……なにしてんの?」
俺は朝の挨拶もせずに、眠い目をこすりそう聞いた。
「非常食があるのよ」
「ほう、非常食……」
「こんなこともあろうかとね、ほら。干し肉。私が作っておいたのよ」
「シャネルが……作った?」
「そうよ」
嫌な予感がする。
けれどニコニコと笑顔で俺に干し肉を手渡してくるシャネルを、悲しませるわけにはいかない。
「とりあえずなんだ、寝起きだ。顔を洗ってくる」
「どうぞ」
逃げるわけじゃない、ただ覚悟を決めるために一度部屋を出るだけだ。
宿の裏には井戸があり、そこで顔や服を洗うことができる。宿の中には風呂もあるが、それってこの井戸からくんだ水を沸かしているだけだ。水場らしい水場は裏の井戸だけだった。
「おはよぉございます」
ちょっとなまったような言い方で、老婆が俺に挨拶をしてくる。
「はい、おはようです」
「今日は、配給が来ますからねぇ」
配給? なんのこっちゃら。
分からなかったので「そうですか」と適当に答えておいた。
好奇心はおうせいな方だと思う。けれど人見知りだ。知りたいことがあっても、わざわざ聞いてまで、とは思わない。
裏の井戸で顔を洗う。
きれいな水だ、鏡みたいにすんでいる。なんだか疲れた顔をしているのは、昨日の疲労が残っているわけではないだろう。
「水、か」
列車の上から、断崖の下、川に落ちていった金山はいまごろどうしているだろうか。
シャネルは金山が生きているとはあまり信じていないけど、俺は確信している。あいつはまだ生きているんだ、俺に殺されるためにまだ生きている。
今日はあまり霧が深くない。
けれど家々から伸びるパイプのようなものからは、もうもうと煙のようなものが見えている。
なんだろうか……。けっきょくあの煙がこの霧を作り出しているのだろうか?
うーん。
分からない。分からないことは考えないに限る。考えてもしかたがないからだ。
俺は顔を洗うと、シャネルの待つ部屋へ戻った。シャネルはベッドの上でなぜか立ち上がっていた。
「おいおい、行儀が悪いぞ」
「そうなんだけどね。あそこと、あそこ」
シャネルが部屋の天井の隅を指差す。
「なにか?」
「魔力がとどまってるの。なんでかしら、変な感じだわ」
「魔力がとどまるってどういう状態だ?」
「普通放出された魔力って空気中に雲散霧消するものなのよ。それが見えないカタマリみたいになって残ってるの。ちょっとシンク、肩車してくださらない?」
「えっ!?」
「ダメならいいの、ダメなら」
「誰がダメと言ったんだ!」
よしこい! っと俺はしゃがんだ。
シャネルが俺の肩に乗る。
太腿が、太ももが、ふとももが、ぷにぷにしていた。
一瞬で頭がバカになる。
「乗ったわよ、シンク。立ち上がって」
「……そもそも、なんでフトモモってフトモモっていうの? ぼく、わかんない。べつに太くないよね」
太くないない。
名付けた人はバカだなぁ。
あっはっは。シャネルのふとももちゃんはこんなにも細くて、柔らかいのに。
「ねえ、シンク。シンクってば」
呼ばれて、はっと我にかえった。
「はい、なんでしょうか?」
「立ってくださいな。あそこの魔力だまりが気になるのよ。それとも、もしかして重い?」
「そんなわけあるかよ」
よいしょっ、と立ち上がる。
シャネルの体重なんて羽みたいなもんだ。軽い軽い。
「そのまままっすぐ。はい、そこで止まって」
甘い匂いがする。
シャネルのふわふわのスカートは、実際に触ってみるとけっこう固い。それが首元にあたってくすぐったい。
そしてなにより生暖かいシャネルの体温が。
「幸せだなぁ……」
まさか俺ちゃんが女の子に触れる日がくるとは。
あっちの世界にいたころなら考えられないね!
「あ、届いたわ」
シャネルがそう言った瞬間、部屋をスパーク! 閃光がはじけた。
「うわっ! おい、シャネル! 大丈夫かよ!」
「べつに。それよりも下ろして」
「お、おう」
ゆっくりとしゃがむ。シャネルが降りた。シャネルの体重が肩からなくなると、なんだか寂しい気がした。
「見て、これ」
シャネルが手のひらを差し出す。
見ればそこには小さな石ころが乗っていた。
「なんだよ、これ」
「魔石よ。かなり粗悪で、もう石ころ同然だけどね」
「なんでそんなもんが?」
「だから魔力がたまってたの。ちょっとこっちからも魔力をいれてやれば、固形化したわ。うふふ、私、分かっちゃった」
「なにが?」
「あの霧の正体、これと同じよ。ごくごく微量な魔力の残滓がうすーく、広範囲にたまってるのよ。魔力中毒とはよく言ったものね、人間は生命力が高くなりすぎても健康を損なう、それが体にたまりにたまれば、体は崩壊するでしょうね」
「……つまり?」
「この国、というよりもこの街はぜんたいで魔力がたまってるのよ。建物の中に入ってこないのはたぶん、入って来てるけどどこか一箇所でたまってるのね」
「うん、分からん!」
「ま、分からなくてもいいわ。そういう現象だと思いましょうよ。やっぱり変な街」
「そこは分かった」
「とはいえ、やっぱり分からないのはどうしてこんなふうに魔力が街中に充満してるのか、ってことね。シンク、ちょっと寒くない?」
「寒いか? 暖炉でもつける?」
「そうね、火種でももらってくるわ。それとも魔法でつけましょうか?」
「魔法でやるのは勘弁してくれ」
爆発するパターンでしょ、それ。
「じゃあちょっと待ってて。そのあいだ、干し肉でも食べててちょうだい」
「お、おう」
そういやそういう話しでした。
俺はシャネルにもらった干し肉を眺める。
見た目は普通なんだ、見た目は。
おそるおそる、食べてみる。
「……しょっぱい」
やばいでしょ、これ塩の味がしすぎる。
でもまあ、食べられないほどでもない。シャネルの料理にしてはマシだ。というか消し炭になってないからな、その時点でかなりの成長だろう。
俺もシャネルも成長してるってことだな、わっはっは。
あ、シャネルが戻ってきた。
なんだか納得いかないような顔をしている。
「面白いことを聞いたわ」
いや、これは納得したような顔か? 分からないぞ。
「あんまりハードル上げないほうがいいぞ、面白い話しの」
「じゃあ面白くもなんともない話しをするわ」
ならしないでくれよ……。
もちゃもちゃと干し肉を食べる。舌がしびれてきた。
「で、話しって?」
「なんとこの暖炉。魔力をちょっと込めるだけで――」
シャネルが杖を向けた。
おいおい、爆発させるつもりかよ!
けれど、シャネルは呪文もなにも唱えなかった。なのに勝手に――少なくともそう見えた――火がついた。
「どういうこと?」
「ここの暖炉、どこかからか知らないけど色のついた魔力が出てきてるの。ここの場合は火系統ね、つまり魔力を少し込めるだけで、火がつく」
「ほー」
なんだろうか、家に電気が通ってるようなもんか。
この国、もしかしてすっごい進んでるのか? 魔力があれば誰でも火を起こせるのか。
「明かりもつけられるし、場所によっては傷も治せるようなところがあるらしいわよ」
「すげえな」
「そして使われた魔力のゴミクズが――」
「ゴミクズが?」
「外に充満してる霧」
「はっ?」
シャネルはけらけらとさも面白そうに笑った。笑ってから、悲しそうに目を伏せた。
「魔法は人のために――お兄ちゃんが言っていた言葉よ」
「うん」
「このやり方も最初はずいぶんと画期的で、人のためになる方法だったと思うわ。けど時間がたてばたつほど、ダメな部分が見えてきた。けっきょくこの国は人の住めるような場所じゃなくなったわけね」
「なるほど――」
「この宿のお婆ちゃんの話しだと子供の頃はまだまだ大丈夫だったらしいわ。3つ前の魔王の時代だってさ。この方式はいくつ前の魔王の時代からできたのかはしらないけど、理論自体はずいぶんと昔、何百年も前からあったらしいわ」
「ふーん」
うむ、つまらない話しだ。
「というわけで、この国は豊かな生活を一時期だけして、いまでは没落しましたとさ」
「ふうん」
誰が悪いとか、これはそういう話しじゃない。
人が幸せになろうとして、それが少し失敗しただけだ。
べつに俺はそれにしたいして、誰かを批判しようとも思わなかった。ただ、運がなかったのだなと思った。
みんなそう――幸せを追い求めただけなのだから。




