329 宮殿
きちんと整備された道路のわきを、俺はシャネルと並んで歩いている。
「――――――」
シャネルがなにか言っているが、声がこもっているせいでよく聞こえない。
「え、なんだって?」
顔を近づける。
「つ・か・れ・た!」
不満そうにシャネルは言う。
「そうは言ってもなあ、どこかで休みたいのは川々(かわかわ)なんだが」
「シンク、言っておくけどまったく面白くないからね」
「すいません」
でもさ、そんなこと言われてもしかたないじゃないか。だって休むところなんてどこにもないんだから。俺たちはずっとロッドンの街を歩いていた。
けれど生身の人間とすれ違うことは一度もなかった。ときおりクルマか、馬車が通っていくだけ。割合としては8・2だ。クルマの方がはるかに多い。
「歩きづめなのは良いのだけど、どこに向かってるの?」
「宛がないわけじゃないんだ。ただどこにあるのか分からない」
「なによそれ、宛なんてないんじゃない」
「そう怒るなよ」
「怒ってないわ、ただ疲れただけ」
まあたしかに。宿を出て1時間ほどだろうか、ただ広い道をなにも考えずに歩いていた。
どこかで人がいれば道をたずねることもできただろうに、誰も見当たらないのが運のつき。こうしていまもただ歩いている。
「ちなみに、どんな場所に行きたいわけ?」
「なんたら宮殿」
シャネルが不思議そうに首をかしげた。
「なんたら?」
「……ごめん、しょうじき名前は覚えてないんだよ。えーっと、なんて言ったかな。たしか宮殿に女王だかがいるんだ、イギリスでは――」
ここはグリースだから、必ずしもそうであるとは限らない。
けれどこれまでの経験上、この異世界は俺のもといた世界と似ている。つまりはこちらの異世界では、そのなんたら宮殿に魔王が居座っている可能性が高いのだ。
「女王ということは、魔王のお妃様?」
「あ、いや。うん、」
魔王って結婚してるのか?
「そうねえ……たしかによく考えれば私たち、魔王がどこにいるのか知らなわね。聞いておけばよかったわね」
「それな」
しょうがない、こういうときは――。
運頼み、ならぬ直感だよりだ。なにせ俺は運はないけど、勘はよく働く。
とりあえずは……次の道で左だ!
「次で曲がれるところ左な」
「はいはい」
文句を言いながらもなんだかんだついてきてくれるシャネル。
けれど、つけているマスクが蒸れてきて、俺もなんだか嫌になってきた。そもそも視界も霧のせいで不明瞭。歩くだけでものすごいストレスになる。
あと10分でも歩いて、ダメなら帰ろう。
そう思ったときだった。
霧が濃くなった、そのせいで俺はとうとうたまらずマスクをとった。
マスク越しの空気はなんだかカビたような臭いがして嫌だった。けれどそれなしで吸う空気は、湿ってはいるものの新鮮なものだった。
「あ、ダメよシンク」
俺は少しだけ前に進む。それだけでシャネルが見えなくなる。
「シャネル、この霧の先……」
「なあに?」
声だけ聞こえる。
振り返る。
手が伸びてきて、俺の手をつかんだ。
「このさき、たぶん川だ」
「川?」
「霧が濃いってことは、どこかに水源があるはずだ。だから――」
「川があるって?」
「落ちないように気をつけないと」
目を凝らす。
川っていっても、さすがに落ちるようなものじゃないのか? それとも柵もなにもないのか。それすら分からない。
ゆっくりと歩く。
等間隔に薄ぼんやりとした明かりが浮かんでいる。たぶんあれは川にそってたっている明かりだ。そのまますすめば、橋が見えた。
「ああ、これがタイムズ川かしら」
「タイムズ?」ってなんだ、レンタカーか?
「セーヌ川と並び称される川って聞いてたけど、この霧じゃあぜんぜん見えないわね」
「この橋、渡るか?」
「どうぞ、ご自由に」
「じゃ、渡る方向で」
「それよりシンク、ちゃんとマスクつけなくちゃダメよ」
「分かってる」
巨大な橋――これがロンドン橋だろうか――を超えると、やはりこれまた巨大な建物があった。
そびえ立つ塔のような建築物。これは知っているぞ!
「ゴシック・リバイバル建築ね。とげとげした先端や、等間隔の装飾、そしてシンメトリーが特徴、っと。少し前に流行った建築だわ」
「いや、そんな詳しいことは知らないけどさ。これってあれだろ、ビッグ・ベン!」
「さあ、知らないわ」
上の方はよく見えないけど、どうやら時計のようなものが見える。
そうかそうか、ビッグ・ベンってここにあったのか。
いわずとしれた観光名所。超巨大な時計台だ。北海道のあれとは規模が段違いだぞ。
「大きいわね、となりにも建物あるけれど……?」
「さあ、知らないよ。なんだろうな」
いきなり、鐘が鳴り出した。
驚いて2人で飛び上がる。
「わあっ、びっくりした! うるさいのだけど!」
「なんだ、お昼の時間か!?」
なんだか学校のチャイムみたいな音が大音量で流されている。打鐘音はいかにも偉そうに、霧の街に響き渡る。
その音にあわせてだろうか、隣の建物から例のパワードスーツのようなごつい鎧を来たやつらが、ぞろぞろと出てきた。
あれを人間だとは思わない方がいい。あれはロボットみたいなものだ。
証拠というわけではないが、まったく乱れのない動きで全員が同じように歩いている。
「どこに行くのかしら?」
「追ってみよう」
どうせやることもないんだから。
おそらくあれは魔王軍の兵隊たちだ。兵隊たちは俺たちが後ろをついていってもまったく気にしていないようだ。
大きな自然公園があった。へえ、こんな都会みたいな場所でもこんな緑があるのか。
その緑の先には、宮殿があった。
いや、分からないけどたぶん宮殿。
俺の勘がそう告げているのだ。
「あれ、ここじゃねえか?」
「あら、本当? 表札あるかしら」
「ないだろ、そんなもん」
「あったわ」
「えっ!?」
「ほらここ、バッキンガム宮殿って書いてある」
「本当だ……」
いや、表札というかこれ看板? なんだこれ、観光地なのか?
というかあれね、そういえばそういう名前だったわ。バッキンガム宮殿、そうそう。焼き肉のタレとか作ってるんでしょうか?
看板の下にはなにか説明のようなものが小さな文字で書いてあった。俺はそれを読めないし、シャネルも読む気はないようだった。
門扉が開き、兵隊たちが中に入っていく。
ここらへんは少しだけ霧が薄い、遠くもみることができた。
宮殿の庭で、兵隊たちが並んでいる。そしてそれに向かい合うようにして、同じような兵隊たちがいた。敬礼をしあっている。
俺はシャネルとともにそれを見た。
「なにかしら、あれ」
「申し送り? というか、警備の引き継ぎに見えるな」
「なるほど、シンクは冴えてるわね」
「もっと褒めて」
「あ、出てくるわよ」
俺たちは門の先からどいた。兵隊たちは2列で縦隊を組みながら出ていく。こちらには視線もくれない。無視、というよりもまるで見えていないよう。
「この調子なら、たぶん中に魔王がいるんだよな」
「いまもいるのかしら?」
「分からん」
ただ……中にはいま、いない気がする。まったくの勘だが。
魔王というものがどんな存在なのかは分からない。しかし、きっと強いんだろうな。よっぽど強い人間だとか、魔物だとかってのはそれだけで異常な雰囲気、プレッシャーを感じるものだ。
「とりあえずどうする? 中に侵入してみる?」
「やりたいか?」
「……疲れてるわ、嫌よ。それよりも帰ってお風呂にでも入りたいわ。あの宿、いちおうお風呂があるのよ」
「そうだな」
俺たちはそのあと、バッキンガム宮殿を一周して外から眺めた。べつだんそれで分かったのは、とても大きな宮殿であるということだけ。
しかしその宮殿の外では兵隊が大量に待機しているようだった。
「入るだけなら簡単そうだが……」
「帰るわよ、シンク」
言われて、俺は頷く。
とりあえず敵情視察は終わり。
あとはそうだな、機を見て侵入するか。できればそう、霧がなくて、月明かりのない夜なんかに――。
にしてもでかい宮殿だなぁ(2回目)。
こんなところに策もなく侵入して、魔王の場所まで行けるのだろうか? わからなかった。




